37.親子水入らず
「ここのようね。この部屋の中から芳醇な香りが漂って来ているわ」
ビブリオテーカの囁きに、周囲の者たちはコクリとうなずいた。
とは言っても、全員がマリゴールドのギフトによって透明化しているのでお互いの姿も見えないのだが。
彼女たちはビブリオテーカの鼻を頼りに、この城塞都市の軍事情報が記された冊子を探しここまで来たのだ。
「聞き耳を立ててみる。ちょっと待ってな」
スミレがそう言ってドアに耳を押し当てた。
すると部屋の中から会話する声が聞こえてきた。
「明日には放った斥候が戻ってくるであろう。サリュートよ、軍の編成準備は進んでおるか」
「はい父上。既に募兵は完了しつつあります。帝国の戦争の方に若干流れてはいるようですが、かなりの数を揃えることができそうです」
「ふむ。取るに足らぬホムンクルスとの戦いとはいえ、此度の戦は言わば反乱があったことを隠蔽するための戦い。短期間で敵を殲滅し、証拠を一切残してはならん。傭兵どもの口に戸を建てることは出来ぬ。だがその程度であれば金の力でどうとでもなろう。知らぬ存ぜぬ、押し通すのじゃ」
「分かっております。ではもう夜も遅うございます。父上もお休みになられますように」
「ああ、そうだな。おお、それから先ほどまたネズミが出たそうじゃ。兵どもが騒がしかったから聞いてみれば、つまらぬ。てっきり敵の斥候かと思ったのじゃがの」
「ほお、そうですか。しかしこの城の壁を乗り越えられる様な存在は、この世にはおりますまい。世にはフライの魔法を使える大魔術師も何人かいると聞いておりますが、壁を越えたところで中はアリ一匹見逃さぬほどの厳重な警備体制を敷いております。まあ、ネズミは何ともならんようですがな」
サリュートは、ハハハ、と笑うと「では失礼致します」と言ってドアの方へと向かった。
そして部屋から出て後ろ手に扉を閉める。
目の前にあるのは見慣れたただの廊下だ。
だが、ふと甘酸っぱい匂いを嗅いだ気がして思わず立ち止まり周囲を見回した。
丸で花の蜜のような、美しい少女を抱いた時のような、鼻腔をくすぐる魅力的な香りだ。
「なんだ? 匂いの元はこのあたりの様だが・・・。今の今までここに何かあったのか?」
サリュートは振り返って閉じた扉をじっと見た。
(父上に報告をするか? だが何と言う? ここに女がいたとでも言うのか? まさか、ホムンクルスが忍び込んだとでもいうのか? 奴らの性別はメスだ・・・。馬鹿な!! ありえぬことだ!! こんなことを父上に逐一報告していては、臆病者と笑われるのがオチだな)
彼は自分の考えに頷くと、一人の兵を呼び出して城内の警備を強化するように指示する。
それから、また別の信頼できる部下に、
「この部屋には誰も入れないよう注意して見張っておけ。念の為にな」
と言ってドアの前に立たせたのである。
まさに、アリ一匹通さない厳重な警戒態勢だ。
(まあ、これで良いだろう。わたしも軍の編成に忙殺されて少し疲れた。明日には斥候からの情報も入ことだ。今日はこのあたりで眠るとしよう)
そう心の中で言うと、若干疲れた足取りで自室へと引き上げて行くのであった。
「・・・」
「・・・」
「・・・行ってくれたよーッスね・・・」
遠ざかる足音を確認してから、アマレロは他の3人にだけ聞こえる声でつぶやいた。
3人からも頷く気配が感じられる。
サリュートが部屋から出てきた瞬間、スミレはドアから離れ、少女たちの元に戻ると、タイミングを見計らって「部屋の中」へとテレポートしたのである。
見えない場所へのテレポートは苦手な彼女だが、サリュートがドアを開けた瞬間、少しだけ中を垣間見ることができたのだ。
おかげで物音一つ立てず、正確な移動ができたというわけである。
「あれが大将のサリュートっスね。。なんとか気づかれなくて良かったっす・・・。けど、マリゴールドの体臭にはかなり反応してたっすね。びくびくもんだったッス!」
「あなた、もう少しその良い匂い、何とかならないの? 姿を消していても匂いでばれるわよ。っていうか、一体どうやったらその匂いが出るの? 館長も、その、やっぱりそういう匂いが好きなのかしら?」
「いえ、そう言われましてもねえ」
「おいてめえら、おしゃべりは止めとけ。やることは分かってんだろ?」
スミレの一言にぴたりと会話をやめる。
なぜならば、ここはロウビル公爵の私室。
広い部屋の奥にはまだデスクワークを続けている公爵がいるし、ドアの前には警備の兵士もいる。
それに、ここまで来たからにはやることは一つである。彼女たちはタイミングをひたすらに待った。
そうして半時間ほど経ったとき、公爵の方が動く。
「ふむ、そろそろ眠るとしようか。夜の執務は老体には少し骨よな。昔は戦士として大陸に名を馳せたものなのじゃが。サリュートにそろそろ家督を継がせねばならんのう」
そう言って、ドアを開けて寝室へと消えて行った。
よほど疲れていたのか、まもなく隣の部屋から寝息が聞こえ始める。
それを確認するとビブリオテーカはゆっくりと歩き出す。
マリゴールドから離れすぎるとギフトの範囲から外れてしまうため、みんなで手をつなぎながら部屋の中を静かに進んだ。
そしてビブリオテーカは懐に隠し持つ短剣にそっと触れると、公爵のいる寝室を睨みつけ・・・。