26.ジルム町での決戦(後)
「まあ、確かに勘違いをしているこの世界の人間たちを再教育してやるつもりではあるがな。ちゃんとホムンクルスたちを人間扱いをするように。そのためにはまず、この王国をのっとる必要があるが」
その答えを聞いてグレーギンは目の前の男が本当の狂人であると悟る。
いや、実際には邪神と融合してしまった狂った化け物なのだが、ただの人間であるグレーギンにその事を知る由はなかった。
彼は足元に転がっていた誰かの剣をとっさに拾い上げると、
「この悪魔めがっ!」
と叫び声をあげてイッシに斬りかかる。
プルミエがそれを防ごうとするが、イッシは手を上げてそれを止めた。
そして、グレーギンの剣が彼の肩へと振り下ろされ、見事命中するが・・・。
「な、なんで貫通しねえ。鎧も何も身に着けていないお前がッ・・・!!」
だが、そんな彼の疑問に答えが与えられることはなかった。
つまらなさそうに肩で止まっている剣を眺めた後、イッシは自然な動作で刃を突き出してグレーギンの心臓を軽々と貫いたからである。
男は何事かを口にしながら地面へとあっけなく崩れ落ちた。
何人か残った傭兵たちも、グレーギンの死に茫然としているところをアルジェやナハトに次々と始末されて行く。
後に残ったのはばらばらに散らばった傭兵たちの死体と瓦礫の山、そして尋常ではない魔力の奔流によって空けられたクレーター、そして。
・・・そして目の前の惨劇に恐怖してただ立ち竦む人々だけであった。
勝者たるイッシとホムンクルスたちはその地獄の中で、いつまでもにこやかに笑っていたのである。
・・・
・・
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「はあ、はあ、はあっ」
その男は単身で月夜だけが道しるべとなる高原を駆けていた。
「はあ、はあ、はあっ」
顔には悲壮な表情を浮かべ、一通の手紙を握りしめている。
「はあ、はあ、はあっ」
やがて見えて来た城塞都市ラッガナイトが目に入ると、最後の気力を振り絞る。
そして、握り締めた手紙を門番の騎士たちに手渡すと、たちまちあまりの疲労に気を失ってしまうのであった。
ただ一言、
「ホムンクルスの反乱によりディアン様が死亡されましたっ!!」
という言葉を残して。
・・・
・・
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「何と、これは誠なのかッ!?」
その日、来賓を迎えるパーティーも終わり、居城にある私室で客人をもてなしていた、ここイブール王国北部を治めるウェハル家ロウビル公爵は部下からの急報を聞いて驚いた。
そんな狼狽する公爵に対して、その日の主賓であった勇者カザミとバザル翁は訝しげに彼を見る。
「おいおい、公爵のおっさんよお、何かあったのかよ」
貴族であるロウビル公爵に対してあまりにも無礼な口の利き方に、ロウビルは青筋を立てるが、目の前の男が精強な帝国軍を追い返す程の実力者であり、また国王のお気に入りであることを思いだすと、すぐに社交界で培った作り笑いを浮かべ質問に応じた。
「いえ、なんでもありませんよ。どうやら部下が少し失敗をしでかしたようでしてね」
彼は何でもないというように笑って誤魔化した。
なぜ誤魔化す必要があるのかと言えば、自領で内乱が起こったなどと国王に知られる訳にはいかなかいからである。
しかも、今回はホムンクルスなどという取るに足らない邪悪な人形が引き起こした事件のようだ。
内乱の発生が国王に知られるだけでも自分の統治能力を疑われるというのに、その上、犯人がホムンクルスと来れば、まさに醜聞以外の何物でもない。
しかも時勢が悪い。
北部を長年治めて来たウェハル家ではあるが、今は帝国との戦争で領地を失った貴族たちが多い。
没落貴族たちは他の貴族たちのわずかな失点をあげつらい、糾弾し、代わって所領を得ようと躍起になっている。
であるからして、国王の腹心とも言うべき勇者カザミ、そして魔法学院長バザル翁にとてもではないが真実をつげることなどできなかった。
下手をすれば領地没収の憂き目を見かねないのだ。
「へえ、そうかよ。その割にはおっさん、どえらいことが起きた、って顔してたぜ。まるでお家お取り潰しの危機だー、って感じでな」
そんなどこか心を読んだような突っ込みに、ロウビルの心臓は跳ね上がるが、この暴れ者のお目付け役であるバザル翁が「これっ」といって勇者をいさめた。
「公爵殿に向かって何たる口の利き方じゃ。ロウビル殿、堪忍してくだされ。このカザミはとんでもない馬鹿者でしてな。興味本位で色々なことに嘴を挟もうとする悪癖があるのじゃ」
その言葉に勇者は「はん」と鼻を鳴らした。
「へっ、いいじゃねえかよ。それに公爵のおっさんも本当は何か困ったことがあったんじゃねえのかい? 何なら俺たちが手伝っても良い。邪魔な敵だったら一撃でぶち殺してやんぜ。セイラムのゴーレムたちじゃ物足りなかったからな。やっぱり殺すなら人間に限る」
そういって狂人のごとく舌なめずりする様子は、まさしく悪魔の様であった。
ロウビルは一瞬、その誘惑に魅力を覚えたが、その代償はきっと自らの命であり、
この領地であると直感すると何とか思いとどまる。
そして貴族らしいおおらかな態度で、
「勇者カザミ殿の御心遣い、感謝いたしますぞ。だがしかし今回は勇者殿の手を借りるまでもありませぬ。なあに、それほど大した問題では本当にないのです。このような些末事は忘れ、今宵はどうぞ賓客として、ごゆっくりと御寛ぎください」
「でもよおっ、って、いってえええええ!」
尚も言い募ろうとした勇者の頭に、バザル翁のゲンコツが飛んだ。
「何度も言わせるでない勇者よ。今朝も国王から使いが来て言っておっただあろう。東の帝国軍の動きがきな臭いのじゃ。おぬしが前回、散々に勝ってしまったせいで、権威の落ちた帝国領は内部が今、ごたごたとしておる。バキラ帝はその失敗を取り繕うために、もう一度、総力を挙げて王国へ侵攻するつもりじゃ。わしらは一刻も早く王国へと戻り次の戦に備えなくては・・・」
「あー、クソジイイが、うるせえなあッ。分かってんだよ、んなことはよ!!」
そう言って立ち上がると、いらだたしげにロウビルの私室から出て行った。
「まったく、癇癪持ちのガキのようじゃ。おお、公爵殿、まことに申し訳なかったですな。それでは儂もこれでお暇させていただく。安心して下され。明日の朝イチにはここを発つつもりじゃからの。公爵殿の領地で何が起こっとるか干渉する気はありはせぬよ。もちろん王国への忠誠が続く限りは、ですがの」
好々爺じみた表情を浮かべながらも、最後に恫喝めいた言葉を残してバザル翁も退室して行った。
ロウビルは静かになった私室でしばらく瞑目した後、「よし」と言って、息子であり公爵軍の大将サリュートを呼び出したのである。