13.邪神訪問
「ううん、ここはどこだ」
さっきまで可愛いホムンクルスの少女たちの頭を撫でていたイッシは、突然の眠気に襲われたあと気を失ったのである。
そして気が付くとこの場所にいた。
地面も空もなく、ふわふわと漂っているような状態だ。
夢のようではあるものの、意識ははっきりとしている。
明晰夢、というのは聞いたことがあるが、そんなものだろうか。
彼は自分の頬をつねってみるが、しっかりと痛かった。
「夢ではないのかな?」
そうつぶやいたとき、
「いや、夢みたいなもので間違いではない」
そんな聞き知れぬ声が辺りに響いた。
するといつの間にか、目の前にはドラゴンの頭蓋骨を頭部に乗せた、イッシの何十倍はあるかという巨大な存在がいたのである。
ローブのような衣服には複雑な模様が刻まれ、数々の彩と光輝を放つ宝石が見て取れる。
左手には巨大な杖を持ち、その天辺の部分には禍々しい髑髏がのっていた。
その滲み出るオーラは悍ましいとしか言いようのないもので、イッシはひと目でこれが人の世に降臨してはならない邪悪な者だと理解する。
「あの、どちら様でしょうか。ここは一体どこなのでしょう」
とりあえず腰を低くして聞いてみるイッシにそれは答えた。
「我は邪神アデキ。混沌と闇を司る者。異世界の若者よ、よくぞ我が前に来た」
邪神と名乗る化物はそう言うと、骸骨のおちくぼんだ眼窩をイッシへと向ける。
アデキの名前はプルミエから聞いたことがあることをイッシはすぐに思い出す。
彼女たちホムンクルスはそもそもこの邪神を復活させるためび生贄として悪の魔法使いセイラムに作られたのである。
だが、復活の儀式は勇者の襲撃によって阻止され、結果、暴走した召喚魔法が偶然にも異世界の自分をこの世界へ招いたのである。
つまり、目の前の存在は、その伝説の邪神であり、自分はその復活を横取りした邪魔者と言えなくもない、ということだ。
ひえええ、と内心では仰天しながらも彼はその目線をそらさないように努める。
単に、野生の獣に会った時に、弱気になれば襲われる、という話を思い出し、無我夢中で実践しただけであるのだが、邪神はその様子を勘違いしたようで、
「ほう、なるほど。異世界に召喚されるだけの器の持ち主だけある。もし気に入らなければその首を貰い受けようかとも思っていたが、どうやら気骨というものを持つ者らしいな」
そう言って勝手に納得すると、邪神は言葉を続けた。
「ふむ、貴様の行動はここからずっと見ていた。無論、貴様の名も知っておる。だが、改めて我の前でその名を名乗ることを許そうぞ」
邪神などという存在に名前を告げれば呪われてしまうのでは? という不安が一瞬胸をよぎる。
だが、これほど圧倒的な相手の前では、呪われようとなかろうと、気を損ねれば叩きつぶされて終わりだな、と開き直った。
イッシは自分の名前を淡々と述べる。
「フルテラ・イッシか。改めて告げられると異世界の者らしい変わった名だ。それにしてもイッシよ。貴様、我を邪神と知りつつ一切動じぬとは、思ったとおり肝が座っているようだ」
そう言うと邪神は面白いとばかりに「カカカ」と笑い、興味深そうにじろじろとイッシを見た。
一体これから何をされれのだろうかと、イッシは内心、歯の根も合わない心持ちなのだが表面上は冷静な振りを押し通す。
やがて邪神アデキが口を開いた。
「ふむ、イッシよ。お前が気づいているかどうかは知らんが、貴様が我の一部と融合していることを知っているか」
「えっ、それは本当ですか」
彼が思わず驚いた声を上げると、邪神は厳かに頷いた。
「そうだ。やはり気付いていなかったか。ただの人間に過ぎない貴様がこの世界に来て、冷静沈着に物事を考え、すでに環境に順応しているという事実。そして人には過ぎた大きな力を振るっているという事実。これらはすべて、我が肉体の一部、すなわち信徒セイラムが我を召喚するため用意した寄り代、角の一部が貴様と融合を果たしているからよ」
「どうしてそんなことが起こったのでしょうか」
イッシの質問に邪神は答える。
「我の召喚はもう少しで成るところであった。だが、勇者どもの妨害によって召喚魔法は中断し、現世へ呼び出されつつあった我と、偶然呼び出されることになった貴様とが混じりあったのであろうな」
だとすれば・・・。
だとすれば、自分はもう元の自分ではないということだろうか。
いや、もしくはこれからこの目の前の恐るべき邪神に自我を乗っ取られてしまうのか。
そんな想像するイッシであったが、邪神は「だが安心するがいい」と続けた。
「今しゃべっている我も、所詮は本体ではない。貴様と融合した邪神の欠片に過ぎぬ。本体であれば貴様なぞ我が話しかけた時点でこの世から消滅してしまうだろう。貴様の精神、そして力はあくまでお前のものとして成長したということだ。我が今、イッシの目の前に現れたのはな、もう休むゆえ、一時の宿り木になった貴様に別れを告げるためよ」
「別れ、ですか」
そうだ、と邪神は肯定する。
「我は本体の何億、何兆分の1の残滓に過ぎぬ。本体は放っておいても何万年か後には復活し、この世界を混沌に堕とし、新たな世界を創造するであろう。まあ最初はな、貴様の意識を乗っ取り、一足先にこの世界を終わらせようかとも思ったが、貴様、なかなかおもしろい。少なくとも我がやるよりも、この世界をかき乱してくれそうだ」
やはり場合によっては自分の体は乗っ取られていたのか。
そんな恐怖をイッシが感じている間にも、邪神の言葉は続く。
「期待しているぞ。フルテライッシよ。ああ、ところでな、我が眷属たるホムンクルスたちのことを頼んだぞ。あれは何万年も前に戯れに作ってみた種ではあるが、思いのほかよくできておる。今度、本体がこの世に復活したとき、あの邪悪なる金色の瞳が世に溢れていることを期待しておるぞ」
カカカ、では頼んだぞ。そんな声を残して、その姿は突如現れた闇の中に掻き消えた。
先ほどまであった禍々しいオーラは嘘のように消失している。
「・・・結局、何だったのだろう」
邪神が本当に消え去ったことを確認すると、やっとイッシは口を開いた。
「よく意味のわからない会話だったな・・・」
なぜなら、邪神は色々としゃべって行ったが、実際にイッシに頼んだことと言えば「ホムンクルスを頼んだ」、ということくらいなのだ。
もしやそのことをわざわざ言いに出て来たのだろうか?
「まさか、な」
イッシがそう呟いた時、この世界に来た時と同様の睡魔を彼は感じた。
どうやら邪神が消失したことで、この世界もまた終わるようだ。
イッシは逆らわずに目を瞑る。
だが、意識を閉じる前に一つだけ邪神の言葉を思い出した。
ホムンクルス達を頼んだぞ、という言葉だ。
「まあ、了解した」
その返事を残して彼の意識は本当に夢の世界を離れ、現実へと浮上するのであった。