レイカとレオ
蛇目スズ《じゃのめ すず》は、頬を撃たれて床のじゅうたんに崩れ落ちていた。若いころから氏家の使用人として仕え、ここ数年は本家の唯一の子供であるレイカの世話役として働いていた。旧家である氏家の本家の奥、レイカの寝室の一隅でのことである。
レイカの寝室は普段は大きなベッドが置かれた広い部屋だが、今は天井まで届く仕切りで分断されている。仕切の向こうにレイカがいるはずだが、学校から帰ってきたレイカは男達に抱えられていた。スズは見ることが許されず、レイカの状況も知ることができなかった。レイカの荷物はまとめて外に出され、いくつかに、血と思われる赤い液体が付着していた。
「余計なことを言うからだ」
スズの頬を撃ったのは、スズよりはるかに昔から氏家に仕えている使用人の祢津ジンベエ《ねず じんべえ》だった。民間会社であれば当に定年退職しているはすの年齢で、頭部もすべて白髪で覆われている、いかめしい顔つきの大男である。レイカの父である氏家の当主の信頼厚く、レイカの教育係を勤めながら、当主不在の場合には屋敷全体を取り仕切っている。
「でも、お嬢様がかわいそうです。五寸釘家のレオさんは、ただの幼なじみじゃないんですよ」
「お前に言われなくても、そんなことはわかっている。だからこそ、近づけるわけには行かないんだ」
ジンベエはスズから奪ったレイカの携帯電話の電源を切った。二度とかかってこないようにである。テーブルの上に置いた。レイカの所持品が並べられている。
「お嬢様はまだお若いんです。小さいころから憧れていた好きな人がいるのに、話もさせないなんて酷すぎます」
スズはへたり込んだまま話していた。じゅうたんに座り込んだ現在の姿勢が、男の感心を惹くことも意識している。だが、ジンベエはスズを見もせずに答えた。
「そういう意味じゃない。あのレオという男は、普通じゃない。二年前にレイカお嬢様が誘拐された時、誘拐犯人が勝手に仲間割れして、お嬢様が隙を見て警察に連絡したことになっている」
「……その時のことは知っています。大変な騒ぎでした」
「お嬢様の服は血だらけだった。お嬢様の話からは、お嬢様の服に血が付くはずがなかったから、警察の知り合いに言って調べさせた。その場にいたはずの、誰の血でもなかった。可能性のありそうな人間のDℕAをすべて調べた結果、五寸釘レオの血液だった」
「……まあ」
蛇目スズは驚いた。当時はレイカの武勇伝として語られた事件に、五寸釘レオが関わっていたとしたら、レイカがスズと二人だけの時、いつもレオの話ばかりしていたのもうなずける。
「当時、警察も全く手がかりがつかめなかった誘拐犯のアジトに乗り込み、人知れず助け出したとは考えられない。できるはずがない。ありえるとしたら、初めからレオが誘拐犯人を先導し、事件を仕組んだと考える方が妥当だ」
「レイカお嬢様は、レオさんを全く疑っていません。当事者のお嬢様が疑っていないというのに、レオさんが誘拐犯の一味だなんてありえないでしょう。それに、その時はまだレオさんは中学生です」
「お嬢様はずっと目隠しをされていた。主犯だとは言わないが、誘拐犯にそそのかされて手引きしたとしても不思議ではない。そんな男を、お嬢様に近づけるわけにはいかない」
ジンベエは、あくまでレイカのことを考えて対処しているのだ。スズとしても、これ以上言い合うことはできなかった。
ジンベエとしても、これ以上話すことはないのだろう。腕時計を確認してから、部屋を出ようとした。同時にジンベエの携帯電話が鳴る。
スズには会話の内容はわからないが、ジンベエはただ聞いているだけのように見えた。携帯電話の向う側にいる相手に、短く指示をした。
「客人は丁重に出迎えるように。ご主人様の命令だ。侵入者については、お前たちで対処しろ。死んでも構わない」
携帯電話を懐にしまうジンベエに、スズは尋ねた。
「侵入者? このお屋敷に、誰が来たんですか?」
「裏山の塀を越えたそうだ。ただ高いだけの壁だとでも思ったんだろう。監視カメラの存在にも気づかない素人が……間違いない、五寸釘レオだ。お嬢様にたかるハエのような男だ」
「幼なじみでしょう? 素敵じゃないですか」
「三メートルの壁を飛び越える男だぞ。ますます怪しい。それに、現段階でお嬢様は死んでいる。旦那様が口外を禁じているのだ。私たちが禁をやぶるわけにはいかない」
スズが黙ったままだったためか、ジンベエはそのまま部屋を出た。客人とやらを、自分で迎えるつもりなのだろう。スズは動けなかった。頭がいっぱいだったのだ。ジンベエが最後に発した言葉が、いつまでも頭の中で渦巻いていた。
――レイカお嬢様が……死んだ?