近くて遠い隣家
五寸釘レオが育った神社と氏家の本家は、小高い丘を挟んで背中合わせの位置にある。レオとレイカが幼なじみだったのは、身体能力に優れたレオが丘を駆け昇ってレイカの家まで遊びにいくことができたからであり、普通に舗装された道を歩けば、三〇分以上かかる。昔のように丘を越えれば、車で移動している母親より氏家の屋敷に早く着ける自信があった。
母親のクルミもレオと同じように身体能力の強化を得意としており、走ったほうが着くのは早いはずだ。あえて迎えの車を手配され、それに乗って行ったということは、格式にこだわる要件であるということだ。レイカと巫女姿の母が重ならず、レオは不安を募らせていた。
無意識のうちに身体能力の強化をしたのか、わずか数分で氏家の屋敷を見降ろせる位置に到達した。氏家の一族は旧家であり、屋敷の背後から見降ろすことを許すはずがなく、丘はすべて氏家の所有である。レオが育った神社は、氏家の敷地を借りているにすぎない。当然丘を登ることも禁じられているが、宮司や巫女の健康のためと称して散策することは許されている。もちろん、丘の頂上から氏家の屋敷に向かって駆け下りるようなことが認められるはずがない。
禁じられているはずの行為を、レオはあえて実行した。レイカに何かが起きている。それは推測にすぎないが、確信に近い実感があった。
屋敷の裏手の塀に達する。真っ黒い板塀が、約三メートルの高さでぐるりと屋敷を囲んでいる。いい趣味とはとても思えないが、近寄り難さを演出するには最適な壁だった。
板塀に見えるが、そもそもただの木の板とは限らない。レオは塀を見上げた。脚力を強化すれば、飛び越えることもできるだろう。今まで、試そうとしたこともない。そんなことをすれば、神社そのものが追いだされる事になりかねない。
わずか一回の跳躍が、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。
もう一度、レオは携帯電話を手に取った。
すぐに出た。相手の反応を待たず、レオは一気にまくしたてた。
「神社の五寸釘レオです。レイカさんの携帯電話にかけています。レイカさんと話をさせてください」
答えたのは、女性の声だった。レオには聞き覚えがあった。レイカの世話をしている女性だ。
『お嬢様は話せないの。事情は言えないわ。旦那様が口外するなと……何が起きるのか、わたしには……あっ……』
盛大な雑音とともに、通信が途絶えた。
――レイカ……何があった?
携帯電話を懐にしまい、レオは迷いなく三メートルの板塀を飛び越えた。