その後の始まり
誘拐事件から二年、氏家レイカ《うじいえれいか》は死亡した。
高校二年生となった五寸釘レオは、一学年下の氏家レイカと同じ都内の進学校に通っていた。自らが人間とは違う存在であることに負い目を感じていたレオは、レイカに近づかないように気をつけながら毎日を送っていた。気をつけなければならなかったのは、レイカがことあるごとにレオに近づいてきたからである。
まともに勉強しているわけではないのにレオの成績は全国でも上位にあり、注目される存在だった。レイカとは幼なじみだったため周囲から奇異な目で見られることはなかったが、レオはレイカとは関わらないように細心の注意を払っていた。
いつものように、レイカをまくように自宅である地元神社に戻ると、母親の五寸釘クルミが巫女としての正装で出かけるところだった。
「今日はどこかの祭りだったかい?」
「まさか。氏家の本家から呼ばれたのよ」
レオの能力は主に母親からの遺伝である。クルミも同じように身体の強化を得意とし、その影響か肉体の衰えが極めて遅い。外見だけであれば姉と弟に見られるが、加齢が遅い分クルミとレオは通常の母子より年齢は離れている。それだけ、クルミが若く見られるのだ。
母が手を振って出かけ、レオは神社の裏手である実家の玄関に向かった。
『氏家の本家』とは、氏家レイカの家である。由緒ある旧家で、現代でもグループ会社の所有者として日本屈指の富豪である。レオがレイカと距離をとろうとした、もう一つの理由でもある。日本でも屈指のお嬢様のそばに、半人間がいるのはふさわしくないと考えたのだ。
迎えの車は黒塗りの高級車だった。レオとレイカが同じ高校に通っていることも、レイカと親しくしていることも、母に言ったことはない。母のクルミはレオと同様に半人間で、小さな神社の巫女として切り盛りしている。宮司は不在がちな父親だけであり、収入源がなんなのか、レオは知らない。ただ、幼いころから母はレオに産れつきの能力を磨かせていた。レオが神社を継ぐことを疑っておらず、大富豪とはいえ生粋の人間と付き合うことを歓迎するとは思えなかった。
母親が乗った車を見送り、玄関から家に戻りつつ、レオは携帯電話を手に取った。
レイカの家が熱心な神道の信者だとは聞いたことがない。母クルミが呼ばれ、巫女の衣装ででかけた以上、何かが起こっているのだ。
レオは確認せずにはいられなかった。レオからレイカの携帯に電話をしたことはなかった。
レイカはどんな反応を示すだろう。過剰に喜び、有頂天になったレイカをまずどうなだめようかと想像しながら、携帯電話を耳に当てた。
反応は、予想外のものだった。
『お嬢様が電話に出られる状況ではないことはご存知でしょう。なんの悪戯ですか?』
聞いたことがある、落ち着いた老成した声は、氏家に仕えるレイカの教育係に間違いない。
「レイカに何かあったんですか?」
『あなたは……失礼、登録が苗字だけでしたので、お母様からだと勘違いしました。お答えすることはできません。お嬢様は大丈夫です。詮索は無用に願います』
言いたいことだけを告げ、電話は切れた。
レイカの携帯電話に、教育係とはいえ他人が出た。『電話に出られる状況ではない』と言われた最初の言葉が、レオの中で繰り返された。
――レイカ……何があった?
学生鞄を放り出し、五寸釘レオは外に飛び出していた。