逃走
倉庫の壁を破り、五寸釘レオが助けた少女もろとも落下を始めた直後、少女の鋭い悲鳴が響いた。レオの腕の中である。目隠しをされているため状況がまったく理解できていないところで、突然落ち始めたのだから、驚くのは当然だ。
レオの体に、少女の腕がきつく絡みついた。地面が迫る。少女の頭を抑え、レオは自分の腕の中に抱きこんだ。
下の地面は幸いにも土だった。
激突する肩と頭、衝撃を受ける首の筋肉と皮膚を硬化する。少女が悲鳴を上げ続けている。
少女が舌を噛まないよう、手を少女の口腔に突っ込んだところで、落下が終わった。地面に激突したのだ。
刺さった杭が倒れるかのように、少女とともに地面に倒れる。レオが少女に覆いかぶさる形になった。
地面に伏せた姿勢で、少女の目隠しを強引に剥ぎ取る。
「大丈夫か? 怪我は?」
答えはない。少女の口には、レオの手が突っ込まれていた。少女が口を開ける。レオの手に、少女の歯形がくっきりと残っていた。
「レオなの? どうして?」
「詳しい事情は後だ。今は、ここを逃げないと」
「うん……レオ、怪我をしているの?」
レオが体を起こし、少女が地面に座った。レオは右足と左肩に銃弾を受け入ていた。血が流れている。少女はレオの心配をしたが、誘拐され丸二日が経過していた。レオには、少女が意識を別のことに向け、思いだしたくない経験を封印しようとしているのだろうと感じた。
「こんなの、大した怪我じゃない。オレは、人間じゃないからな」
「また、そんなこと言って」
一つ年下の幼馴染である少女に、レオは昔から親しみを覚えていた。常人とは異なる力を持つレオは、自らを人間とは別の生き物と考えていた。
少女はレオの傷に顔を近づけるが、レオは頭上の破壊された倉庫の壁から、男の顔が見下ろすのに気づいた。銃を持っている。倉庫の中から、足音が聞こえた。レオが精神を操作した男達も、事態の異変に正気に戻ったのかもしれない。
レオは急いで周囲を見回した。郊外の人気のない一画にある古びた倉庫だ。まばらに家はあるが、人が住んでいるかどうかはわからない。住んでいたとしても、銃器を持ち歩くような男達相手に、助けを求めるわけにはいかない。
「レイカ、歩けるか?」
「うん。大丈夫」
「走るぞ」
「えっ? 走れるかって聞かなかったじゃない」
少女を一人で逃がすわけにはいかなかった。誘拐犯人は複数で、しかも確実にレイカを狙うはずだ。レイカを一人にして襲われたら、もはや助けにいくことはできないだろう。
状況がはっきりと飲み込めていない少女の反応を待つことができず、レオは少女を強引に担ぎあげた。
「冗談よ、レオ。ちゃんと走れるから」
少女はおどけた声を出したが、レオは取り合わなかった。気が動転しているはずだ。少女の言うことを真に受けているわけにはいかない。
遠くで、乾いた音がした。
尻に熱い感覚があった。レオの目の前に、ブロック塀があった。壊れかけ、人家の一部を構成するブロック塀だ。その人家に居住者がいるとは思えなかった。
――撃たれたな。
しかも、体内に弾丸が残っているようだ。レオが普通の人間なら、動くこともできなくなる重症である。
レオは歩みを止めず、ブロック塀の影に飛び込んだ。少女を抱えたままである。ブロック塀の影に飛び込みざま、少女を抱き替える。周囲から隠すように、塀のそばに少女を下ろした。
五寸釘レオは、自らが大量の血を流していることに気づいた。血流も、レオは操作できる。出血を止めつつ、耳に意識を集中させる。レオが手を放すと、地面に座らされた少女は肩を抱いて震えはじめた。
誘拐されていた間にどのような目にあったのか、レオは知りたくもなかった。何もされていなくても、されていた可能性を想像して震えているのかもしれない。
耳に意識を集中し、建物の中から男達が出てくるのが聞こえた。その数は四人、レオのことを仲間だと思いこませた男も、ナイフを持って二階の床にめり込んだ男もいる。足音で判断がついた。しかも、全員まっすぐレオと少女が隠れている塀を目指してくる。隠れたところが目撃されていたのだろう。
「レイカ、できれば、これから先のことは見ないでほしい」
「……変身でもするの?」
震えながらでも、少女は軽口を叩いた。そうしていないと、精神を保てないのかもしれない。
「いや、変身はできないが、頼む。レイカの記憶を消すようなことはしたくないんだ」
「わかった」
少女の返事と同時に、レオは少女を隠すようにブロック塀に寄り添った。同じタイミングで、男の一人が顔を出した。