死せる体
悠然と屋敷の中を闊歩する火陀レンカを追い、追い越して五寸釘レオは氏家レイカが眠る寝室へと案内した。
「こちらです」
「ああ。ご苦労」
レンカに胸元をぽんと叩かれ、幸せな気持ちになるのは、服従させられた魔法の影響に違いない。そう、レオは思いこんだ。
部屋に入ったレンカが、空調で冷やされた室内に入る。
レオが続くと、使用人である蛇目スズがレオに近づいてきた。
「誰なの?」
「火陀レンカさん、魔法使いだよ」
スズも息を飲むのがわかった。スズは、レイカが生き返るなどとは信じていない。蛇目スズが、慌てた様子もなく分厚い室内のビニールシートをめくり上げた。一段と強い冷気が染み出してくる。
「躾がいいね」
レンカがスズの頭に軽く手を当てた。スズは恐れたように目に向ける。目を向けられたのはレオである。
逆らってはいけない。その意味で、レオは小さく首を横に振った。
意味が伝わったのか、スズが小さく首肯する。
レンカがビニールの内側に入っていく。レオが続いた。
スズが小声で話しかける。
「本当に、生き返らせられるの?」
「あの人が無理なら、もう諦めるしかない。とにかく、これで終わるよ」
「……そう」
スズは自分の胸に拳をあてた。死体のそばにお仕えし続けることが、いかに重荷になっていたのかがうかがえる。レオは小さく頷き、レンカに続いた。
ビニールシートで覆われた内側にいたのは、寝台に横たえられた無残な死体と、年老いた中級魔法使いだけだった。
火陀レンカは氏家レイカの体を見降ろす。
「死んでどれぐらい経つ?」
レオにではなく、レイカの死体の鮮度を保つためだけに意識を向けている中級魔法使いに尋ねていた。
「40時間ほどでしょうか」
「なるほど……完全な蘇りはもう不可能だね」
「そうですか」
レオは黙っていようと思っていた。レンカが集中しているのなら、邪魔してはいけないと思っていた。だが、自然に口をついた。
「『不可能』ですか……」
「『完全な蘇りは』と言っただろう。方法は一つじゃない。あんたらがどこまで求めているのかは知らないが、できるところまではやってやるよ」
魔女に場所を譲ると、年老いた中級魔法使いはふらふらと五寸釘レオのそばまで移動した。
「良く見つけてこられたな」
「ええ。お疲れさまです」
「ああ……魔法使いの力、見せてもらいたかったが、わしは限界だ」
レオの寄りかかるように、老人は力が抜けた。
ただ眠っただけのようだ。レオは静かに、老人を床に寝かせた。
部屋の扉が騒々しく開き、別の老人が入ってくる。氏家サダオ、火陀レンカをやとった本人だ。
レンカ自身は、周囲の動きに囚われず、自分の行動に没頭していた。
最初にやったことは、死んでいる氏家レイカの体に、自分の手を差し入れることだった。
レイカは首の骨が折れ、頭蓋骨が砕けて脳が損傷している。肉体を構成する位置は正しく戻されていたが、縫合されたわけではない。
火陀レンカはレイカの頭蓋骨に触れると、砕けた部位に指先を差し入れた。
氏家サダオがビニールシートの内側に入り、レイカの死体を挟んでレンカと向かい合った。
「あなたが魔法使いですか?」
「ああ。あんたは?」
「氏家サダオです」
「この娘の父親かい?」
「そうです」
つまり、金を出す本人である。レンカはそのことは尋ねなかった。
火陀レンカの指はさらにレイカの脳の内側に潜り込んでいた。指の付け根までが、赤い肉の内側に吸い込まれている。空いた手で、レイカの体をまさぐる。生き返らせるなら、当然生命活動を停止して40時間が経過している肉体の蘇生も不可欠だろう。
「……どうですか?」
レンカが黙ったまま何も言わないので、サダオが尋ねた。レオはレンカの所作をすべて記憶しようと見つめていた。サダオの声が邪魔だった。レンカは怒らなかった。
「『どう』ってのは、何を聞きたいんだい?」
「……レイカを呼び戻せますか?」
「死んだ生き物は、戻らない。それが常識だ」
「……では……」
無理なのだろうか。レオはそうは思えなかった。できないことをやろうとしているほど、火陀レンカが物好きだとは思えない。勝算があるのではないのか。
「例外はあってね。小さな生き物なら可能だ。ちいさな、とても小さな生き物さ。顕微鏡でなければ見ることができないような生き物の中には、氷漬けになってもお湯で溶かせば復活する奴もいる。それと同じだ。大きな生き物は、すべてそういう小さな生き物の集合だ。床で寝ている爺さんと、いま私がやっていることは、実際には同じことだ。ただし、私はごく小さな生き物なら、何万匹でも同時に生き返らせることができる」
火陀レンカが『小さな生き物』と呼ぶのは、人間を構成している細胞のことだとレオは想像した。
「では、生き返るのですね?」
「そう焦りなさんなよ。食べたり話したりはできるようになるだろう。学校にも行けるだろう。でも、あんたはこの娘に何をさせたい? それ次第さ」
「生き返ってくれるのなら……それ以外は望みません」
「本当だね?」
レンカが初めて、氏家サダオの年老いた顔を見つめた。まさか、魔法使いは他人の心まで読むことができるのだろうか。レオは、精神を操作しても、読むことはできないとクルミから言われていた。それは、全く違うものなのだと。人間の思考はあまりにも複雑な仕組みで成り立っているので、自分の思考を押し付けることはできても、他人の思考を読み取ることは魔法使いでもできないのだと教えられた。
火陀レンカなら、それができるのだろうか。
「氏家さん、本当のことを言ったほうがいい。レンカさんに、嘘は通じない」
慌ててレオが首を突っ込んだが、レンカはレオを見て笑った。
「そんなことはないさ。私にも嘘は見破れない。だけど、私に嘘をつかない方がいいっていうのは本当だ。本当のことをいいな。金を払って生き返らせて、この娘に何を期待している?」
サダオは苦しそうな顔をした。言いたくないのだと、レオにも察しがついた。息をのみ、サダオが話しだした。レオは出ていこうかとしたが、レンカが行くなと命じた。
レンカの手の下で、氏家レイカの、折れたままだった首の骨がきれいに修復されていた。跡形もない。レイカの手が、ゴムのような色をした肌の上を移動する。脳に突き刺した指は、そのままだった。
「氏家の家系は……代々子宝に恵まれません。その娘の代まで続いているのが奇蹟かと思われるほどです。その娘が後継ぎを産まずに死ねば、氏家の血統は途絶えます」
「つまり、子供が埋める体にしてほしいのかい?」
「……はい」
ためらいながらも、サダオははっきりと口にした。
「その程度なら問題はない。ただし、長くは生きられないだろう。死んでから時間が経ちすぎている。魂は戻せない」
「ずっと、寝たきりということですか?」
レオが口を挟む。魂が無い人間のイメージは、ずっと寝たきりの植物状態なのではないかと勝手に思ったのだ。レンカはレオをただ睨んだ。普通に視線を向けられただけかもしれないが、目つきが鋭いので睨まれたように感じる。
怒っているわけではないのか、レンカは言った。
「脳も修復するから、生活は今まで通りだ。ただし、魂が無いっていうことは、この娘には、どの生き物も普通にまとっているオーラが無いっていうことさ。オーラは、色々なものから肉体を守っている。病気になりやすい人間は、オーラが弱い。オーラが無い人間の寿命は、この先、一〇年もないだろう。しかも、生きている時間のほとんどは、病院のベッドの上だと思ったほうがいい」
「……どうにか、できませんか?」
サダオが尋ねた。レオには聞けなかった。レンカの力を、身を持って知ったばかりである。レンカはサダオの問いに答えず、レオにレイカの足を抑えるように指示をした。
「どうして抑えるんですか?」
「これから、暴れるからだよ。もっとしっかり持ちな。脳の制御が外れた人間の力ってのは、私らとそう変わるもんじゃないからね」
レオはレイカの足首を掴み、驚いた。死体の体温ではない。しっかりと、体は生きている。生々しく、滑らかな肌をしている。
やはり、火陀レンカの力は本物なのだ。レオは命じられる通り、レイカの足をしっかりと抑えた。
「行くよ」
レンカの手が、レイカの胸に沈んだように見える。
同時に、レイカが寝台の上でのけぞった。
体がばたばたと暴れる。レオがあらかじめ抑えていなければ、寝台から転げ落ちたかもしれない。
「腕も抑えな。気が散る」
脳の制御が利かないというレイカの動きは、体つきからも普段の生活からも、想像できないほど激しかった。レオはそれでも必死で抑えていたが、レンカの命令を無視するわけにはいかない。
いままで、それほど真剣に集中しているとも見えなかったのに、これだけあっさりとレイカの体を修復して見せたのだ。そのレンカが、『気が散る』と言った。おそらく、もっとも複雑な部分の修復に取りかかっているのだろう。レオはベッドの上に乗りかかり、今まで抑えていたレイカの足を自分の太ももで抑え、レイカの腕を寝台に縫い付けた。
「……あっ……ぐっ……」
言葉にならない声が、レイカの喉から漏れる。サダオが身をのりだしたが、レンカの一睨のみで、腰が抜けたように座りこんだ。下級魔法を使ったのだと、レオは判断できた。
これほどの修復をしながら、他人の精神へ干渉を行えるという魔法使いの力は、本当に無尽蔵なのだろうかと改めて恐れた。
レンカの、ずっとレイカの脳をえぐっていた指が抜かれる。
血をまとい、脳症をまとった指が抜けると同時に、レイカの頭部に穿たれた穴が埋まっていく。
最後にびくりと震え、レイカの動きは止まった。
「終わりだ。さて、さっきの質問に答えようか?」
レオはレイカの体から飛び降り、腰を抜かしたままのサダオを立たせた。




