捻くれ男はふと思う。 ②
教室に到着し、自分の席へと向かう玲の後ろ姿を見送りながら喋る相手もいない俺は思索にふける。
彼女は自分の席周辺にて雑談に花を咲かせる花咲かGさんズ(俺称。GはギャルのG)の輪に加わると、ひらひらと手を振って挨拶しながらもすぐに口を忙しく動かし始める。
時折笑い声が響く意外には彼女たちの会話は離れたこの場所までは届かないが、おそらく昨日のドラマだとか、教師の悪口、ファッション、男子の悪口、食べ物、身内の悪口などで盛り上がっているに違いない。なにそれ怖い。
怖いが思わず自分について話されてるんじゃないかと心の隅で思ってしまう俺の自意識が手におえない。
そういえばさっきの質問。
とらえようによっては、自意識をフル稼働させてみれば俺の女性関係に興味があるという証左の他ならない。やっぱり女子ってみんな俺の事が好きなのかもしれない。マジ困るわ―、俺の妄想が。
しかし幼馴染というのは不思議なものだ。
普段接したことがないような女子が同じ質問を俺に投げかけたなら俺はすぐに勘違いしていただろう。勘違いしたうえで自分の暴走する思考を律したはずだ。
だが。
玲が相手では間違った方向に突き進むこともない。
おそらくは共に過ごしてきた時間が長いからだろう。
中学生の頃も一緒にいたんだ。色恋事が俺たちの間で有り得るなら既に何かすら起こっているだろう。でも兆候すらない。不意に手が重なって顔を赤らめることも、二人きりになって緊張することも。バレンタインにチョコを貰ったときすら、クリスマスを家族ぐるみとはいえ共に過ごしたあの日でさえも青い春色には染まらなかった。
故に俺と玲とのラブコメは時間によって徹底的に否定されたのだろう。十年間起こりえなかったことが、積み重ねてさえ来なかったものが今日明日でどうこうなるわけではない。
無論男として可愛い幼馴染がいる事実は変わらず、ガリレオが激怒しそうなほどに自分が中心な妄想の中では色々とあるし、期待が全くないと言えば嘘になるかもしれないが、ゼロに近いとはいえる。
友達との修学旅行の布団の中ではからかわれようと意中の人には他の女子の名前を上げるだろうし、「それじゃ俺がとっちゃうよ?」なんて常套句で脅されても動じないだろう。
ここまで近しい場所にヒロインがいるような、神が用意してくれた最高のポジションで頑張ってみたところでこれだ。
冷静に考えてみれば他の女子とラブコメが始まるわけがない。始まる前に終わっていたよ俺。
分相応にあこがれのあの子との青春ラブストーリーは思い浮かんでにへらと笑うだけに留めておこう。気味悪がられる可能性こそあれど俺が必要以上に傷つくことも傷つけることもない。
平穏だ。悪くはない。
過剰な期待をしなければそれが裏切られることもない。つまり落ち込むこともない。逆に初期値が低ければ低いほどに多くが期待以上の展開を見せるのだから毎日が楽しいまである。
案外俺は人生のエキスパートなのかもしれぬ。高校生にして極めてしまうとは、多分後十年くらいで仙人とかになれる。ふぉっふぉっふぉとか言う笑い声が似合う大人になろう。