森の魔法使い
とある国の、とある場所。
人々に「いにしえの森」と呼ばれるそれはそれは深くとてもとても古い森があったそうな。
たくさんの食べ物と澄んだ水に珍しい素材があると言われていたが、方向感覚を失くすほどの深さと凶暴な獣が立ちはだかり誰も辿り着けなかったそう。
人々の寄り付かないそんな森に住んでいたのは、すばしっこい草食動物かそれを狙う肉食の獣………それから、変わり者の魔法使いだけでした。
「せんせー、せんせー!」
「どーこにおりますだかぁー?」
木々が鬱蒼と生い茂る暗い森には似つかわしくない丸っこくて高い子供の声(しかし妙な喋り方)が響きます。
キョロキョロと辺りを見やる声の主は、その声からの印象通り幼い身体使って一生懸命ナニかを探していました。
「せんせぇー!お夕飯出来ましただよぉー」
子供の近くにはいかにも手造りしました、と言わんばかりの粗さが見えるログハウス風の家…のような小屋があります。斜めに突き刺さった黒い鉄パイプからは白くて暖かそうな煙が昇っていて、出るときに開かられた扉からは香草の良い匂いがしていました。
すると、その匂いに釣られるように少し離れた草むらがガサガサと音を立てるではありませんか。
「あぁせんせー。そこにおったですかぁ?」
ガバリと現れたのは、苔むしたような黴色のローブと目の見えない丸眼鏡を着けたどこか胡散臭い雰囲気の男でした。男は威丈高な様子で問い掛けます。
「シェッセ、今日の夕飯はなんだ」
「いっつもどぉーり、パンとスープと干し肉ですだぁよ」
「またか!たまには違うものが食べたい!」
「じゃーあ、お金か食料持ってきてくだせぇ。話はそっこからですだぁ」
「いやだいやだ!なんとかしろっ」
「やーなら食わんでえぇですよぉー」
「なっ食べないとは言ってないだろう!」
もう立派な体躯をした大人のくせに子供のようにヤダヤダわがままを言いそれを子供に諌められているなんとも情けないこの男こそが、森に住む変人と名高い魔法使いなのでした。
そんな魔法使いをなだめすかし従っているようで影より操りながら世話しているのがシェッセと呼ばれたこの子供。
なぜ子供が魔法使いの面倒を見てるのかって?それは……
「あんまり私を馬鹿にすると兎に戻して食ってやるぞ!」
「……それして困るんはせんせーですだよ」
──そう、シェッセの正体は兎なのでした。
いにしえの森の深部、ぽっかりと空いたようにある、はるか草原という場所がシェッセの元の住処です。
その昔、ただの兎だったシェッセは不幸にも魔法使いに捕まえられ晩御飯にされるはず……でした。
もちろん食べられたくなかったシェッセは連れられてきた魔法使いの小屋、それも絶体絶命鍋の上、必死に暴れ回り、貧弱な魔法使いの細腕から逃げたまでは良かったのです。
そこに、グツグツと煮えたぎる実験用の鍋さえなければ。
バシャーン!と豪快な音を立て鍋に落ちたシェッセを魔法使いは茫然と見下ろしました。ああ、どうしようと迷っているうちに鍋からモクモクと白い煙が上がってくるではありませんか。
何が何だか、魔法使いは大変慌てましたがどうなっているのかわからない鍋の中に手を入れる勇気はなくしばらくその様子を見守るしかありませんでした。
どのくらいたったか…握り込んだ掌が白くなり固まりかけるくらいの間だったか確かなことはわかりません。
そのうちにずっとモクモクと白い煙を吐いていた鍋から煙が消え始めました。恐る恐る魔法使いがその中を覗き込むと、そこには………兎の着ぐるみを着たような小さな子供がいたのでした。
つまるところ。
妙な薬を作ることばかりを使命としている魔法使いの試作中の鍋に落ちてしまった哀れな一匹は、作った本人ですら驚きの効果のせいで『人間もどき』になってしまったのです。
見た目はほとんど人間。ただし着ぐるみのような服は毛皮のごとく肌に直接ついており脱ぐことができません。言葉も妙な訛りがありますが普通に話せ、知識もただの動物以上のものになったのです。
魔法使いにとっても偶然の産物なため元に戻す方法もわからず、かといって兎として生きるには見た目も中身も変わりすぎました。
人のようになってしまってはさすがの変人魔法使いも食用にはできず、仕方がないので魔法使いのしもべとしてシェッセは生きることになったのでした。
陰気臭い緑の魔法使いと真っ白ほわほわの人間もどきの兎、奇妙な一人と一匹の生活はこうして始まりを迎えたのです。
いにしえの森は本当に深くできています。年齢不詳の魔法使いが住み着いてからもう大分長い時間が経っていましたが、この森に入り込み魔法使いの元まで来た人間は数える程しかいませんでした。
そんな森に一人の訪問者が現れます。暗く陰気な森に相応しくない金の髪が美しい綺麗な娘でした。
「あなたが、このいにしえの森の魔法使い様?」
「他に魔法使いがいないのならそういうことになるな」
「こんなとご住む魔法使いなんでせんせーくらいしかおらねよ」
「シェッセ」
稀に見る人間、それも極上の美人を前にドギマギしている魔法使いを冷たい目で見やるシェッセ。に余計なことを言うなと視線で脅す魔法使い。そんな二人をキョロキョロと見る訪問者の女性。
久しぶりの客人をほっぽらかしにしていたことに気づいた魔法使いはシェッセに茶を用意するように言いつけ自分は彼女に椅子を勧め用件を聞くことにしました。
「貴女のような若くて美しい女性が一人でどうしてこの森に? 道中さぞ大変だっただろ「お願いです!!あなたは高名な薬師とお聞きしました、あなたの薬を分けて欲しいのです!!!」
思い詰めた表情から一転、食い気味に激しく言い募る女性に魔法使いは目を白黒させます。
「く、薬といっても様々あるぞ。病に効くものから容姿に効くもの、はては生死に効くものまでな。…貴女の望みは?」
動揺しつつも魔法使いが神妙な様子で問うと女性も勢いで立ち上がった椅子に再びもどり話し始めました。
「私には村に結婚を誓った恋人がいるのです…」
「………」
恋人と聞きこめかみをヒクつかせた魔法使い。彼はリアじゅ、─いえ幸せそうな若者が大嫌いです。しかし美人の手前それを出さぬよう堪えながら話を聞きます。
「結婚を目前控えた私たちは幸せいっぱいでした」
「……………それで、?」
必死に表情筋を鍛えている魔法使いに気づく様子のない女性は相槌に促され話を続けます。がんばれ魔法使い。
「しかしある日の夕食中、突然彼が胸を押さえて倒れしまったのです!」
あ、こら魔法使い、こっそりガッツポーズしない!
「すぐに村のお医者様に見せました。でも原因ははっきりせず、何か悪いものでも食べたのではないかと言われました。出された薬を与えて様子を見守っていたのですが、何日たっても一向に彼の具合は良くならないのです!」
「それは困ったな…」
「困るどころではないのです!毎日毎日心配な日々が続いていたころ、村に流れの呪い師が現れ言ったのです。彼は呪われている、と」
「………ほう」
「では呪いを解いて欲しいと言いましたが、その老婆では解けないほど強い呪いだと言われ、これを解くには森の魔法使いの薬しかないと言われたのです」
「…………」
「その老婆より、強力な獣避けの御守りをいただいてなんとかここまでやってきた次第です…お願いします魔法使い様、彼を助けてください!!」
「……話はわかった。恋人を助ける薬を作ってやってもいい」
「本当ですか!?」
「ああ。だが、代償は払ってもらう。私はタダでは動かん。聖職者ではないからな」
「…わかりました。言ってください、私なんでもします」
「良かろう」
ニヤリと笑った魔法使い。陰気な雰囲気を含めその顔は悪役街道まっしぐらです。
恋人のために健気にここまでやってきた勇敢な女性も、何をさせられるかわからず流石に顔がこわばっています。
「では君にはお使いを頼もう」
「お使い、ですか…?」
魔法使いの邪悪な様子からは想像もつかない、いたって平和的な代償に女性は首を傾げます。
「そうだ。この森の端にある切りだった崖に咲く、月光華を取ってこい。満月の夜、一晩だけしか咲かない美しい花だ。その花が無ければ薬は作れん」
「そんな…、」
女性は言葉を失いました。魔法使いはさも簡単そうに言いましたが、ここは別名迷いの森とも言われるほど深く暗い森です。凶暴な獣たちもあちこちに住んでいます。女性が呪い師にもらった獣避けももう効力を失っており役には立ちません。その上、はっきりとした場所もわからない崖に咲く花を取ってこいだなんて。課題の難しさに女性は肩を落としました。
「なんだ、諦めるのか? 貴女の愛はその程度のものだったか」
そんな女性を嘲笑うように口の端を上げる魔法使い。いえ私怨など一切ありませんとも。
煽られた女性は綺麗な二重をきっと釣り上げ魔法使いを睨みます。
「いえ、行きます。それで彼が助かるのなら!」
「なら早い方がいい、満月は三日後だ。それまでに辿り着くにはもうここを出なければ間に合わんぞ」
女性が慌てて部屋を出ようとしたところに可愛い声が響きました。
「お茶入りましただよー。今日は花の香りのお茶だで、いい香りだべなぁ…。あれ? お客さんもう帰るだか?」
「い、いえ、これから月光華を採りに行くのです」
「…月光華、ですだか」
「ええ。魔法使い様に願いを叶えてもらうために」
「あぁーそういうこどで。まま、せっかく淹れたこのお茶さ、飲んでから行ってけれな?」
「……でも、」
「私は、二杯も飲めん。貴女も飲んで行け」
「…わかりました」
急いでいかなければと焦る女性でしたが、幼気な子供の好意を無視することは出来ず、魔法使いの言葉もあってそのお茶にそっと口をつけました。
「美味しい…!」
カップに顔を寄せたときに感じた華やかな香りは口に入れた途端さらに鼻腔に広がり、砂糖は入っていないのに蜜を垂らしたような甘みが口に広がりました。村にはない暖かく優しいお茶の風味に女性の頬も緩みます。
魔法使いは仏頂面のまま無言で飲んでいましたが、シェッセは美味しそうに飲んでいる女性を満足気に見つめていました。
「気に入ってくれただか? そのお茶はおらが作ったんだで。せんせーはなーんも言わんとただ飲むだけだから、お客さんみだいにうまそうに飲んでくれっと淹れがいがあるだよー」
「余計なことを言うなシェッセ」
「えっと、シェッセ、ちゃん? 美味しいお茶をありがとう。でももう行かないと」
身なりを整えた女性は、よっしと気合を入れると魔法使いの家を出たのでした。
「森の端の切り立った崖、かあ。地図もないのにどうしよう…。とりあえず端までなんとか向かわないと…」
誰に言うでもなく、一人先の見えない森を歩く女性。
サクサクサク
森の中に女性の足音が響きます。
サクサクサク……………っ……………
女性の周りには誰もいないはずです。
サクサクサク………とて………とて………
「誰か、ついてきてる…?」
その場で立ち止まると耳を澄ませます。
……とてとて……
「やっぱり、誰かいる」
女性は怖くなりました。勢い込んで飛び出てきたもののだんだん冷静になってきた今で
は、背後にいる何かが怖くてたまりません。しかし振り返らないままというのも耐えられませんでした。
覚悟を決めた女性はぎゅっと拳を握って振り返ります。
「はぁ、はぁ、お客さん足速いだなぁ!」
そこにいたのは白くてもこもこの子ども……シェッセでした。
「な、なんだぁ。シェッセちゃんかぁ」
「うん。おいらだよ?」
「誰が付いてきてるのかわからなくて怖かったわ」
「あんら、すまねだ、怖がらすつもりはながっただよ」
「えぇ、そうよね。わかってるわ。それよりもどうしてここに?」
「ああ!そだったそだった。お客さん月光華取りに行くだよね? おいらもついてくだよ」
「え、でも……」
「せんせーんことが?」
「ええ…私、一人で行かなくてはいけないのでは?」
「だいじょーぶだいじょーぶ! おいら道案内くらいしかできっこねーがら! こえー獣さも追い払えねし、高いとこも登れねがらそっだらことはお客さん自身でやってもらわんとならねぇだよ」
「……そう。でも道を教えてくれるのはありがたいわ。今のままでは右も左もわからないもの」
そうして二人は月光華を求め一緒に崖へ向かうのでした。
それから、森に巣食う狼の群れをやり過ごしたり深くて冷たい川を迂回せずに渡る方法を考えたりと数々の試練を乗り越え、ついに三日目の夜、森の端の切り立った崖に辿り着くことが出来たのです。
いえ、説明が面倒になったとかそういうわけではないですよ?ほんとに。ネタがないとかそういうわけでもないですから!
ゴホンッ。──ええと、そう。
魔法使いが言っていた満月が登る美しい夜。遮るもののないその崖に射し込む月光を受ける白い花が、そこにはありました。
「…きれい。これが月光華…?」
「んだ。いつ見ても神秘的な花だなぁ」
「あれを持ち帰ればいいのね」
「端っこにあるだべ、落ちんよう気をつけでな」
シェッセが無防備に立てるフラグもなんのその、慎重に歩みを進めた女性は無事に花を摘むことに成功しました。
「これで彼を助けられる…」
「まだ、終わってないだよ?」
「え?」
「『持ち帰るまでが、試練』ってせんせー言ってただか」
「そうね。急いで帰りましょう」
辛く苦難の連続だった行きとは打って変わって、帰りの道はほとんど危険と遭遇せず、なんとその日の朝日が昇る頃には魔法使いの家についたのでした。
「よく帰った。──花を見せてもらおうか」
「はい、これ、ですよね?」
「…ああこれだ。ちょっと待ってろ。すぐ調合して薬を作ってやるから」
「ありがとうございます」
「礼ならそこの兎に言うんだな。私の世話をほっぽりだしてあんたについていったんだ」
女性は振り返りシェッセを見ます。白いもこもこの毛皮?は薄茶色に汚れています。狼に追われこけたときに付いた頬の擦り傷もまだ残っています。
小さい体で精一杯女性を助けてくれたナイトです。
「シェッセちゃん、ほんとうに最後までありがとう。あなたがいなかったら私、きっと月光華を持ち帰ることができなかったわ」
「いえいえ。おいらはせんせーに言われてついていっただけだぁよ。ああ見えてせんせーは優しいがらな」
ニコニコと笑いながら言うシェッセ。その言葉に女性は少し驚きました。まさかあのちょっと冷たそうな魔法使いがそんなことを言うなんて。
「お前は本当余計なことばかり言うな。…ほら、出来たぞ」
「魔法使い様もありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「ふん、その言葉は無事恋人が助かってから言うんだな」
「ふふふ、そうですね」
変人魔法使いは素直に感謝されることが苦手です。そんな偏屈な魔法使いのことを少しだけわかった女性は笑って受け入れました。
「特別に帰り道を用意してやった。その薬は鮮度が命だからな」
そういって魔法使いが指したのは、どこにでもありそうな扉でした。
「この扉の先は、お前が今一番行きたい場所に繋がっている。行き専用の道だからもうここには戻れん。さっさと帰って恋人を助けてやれ」
「なにから何までありがとうございます…!」
「礼はいい。さっさと行け。もう二度とこの森へは来るなよ。私は便利屋じゃないんだ」
「…わかりました。魔法使い様もシェッセちゃんもお元気で」
女性が扉に入り、バタンと閉じてしまうとそこにはもう何もありませんでした。それを見送った魔法使いはシェッセに言います。
「いなかった3日分、きっちり働いてもらうぞ。まずは茶だ」
「へいへーい!わかりましただよー」
小さなログハウスに花の香りが充満します。シェッセは自分用に淹れたカップをふーふーしながら、ふと気になったことを魔法使いに尋ねました。
「せんせー、今回はだいぶサービス過多じゃないだか? 帰り道まで用意しどくなんで。どうしてだべ?」
「まぁ…そうだな……」
年に一度の聖夜だからな
そう呟いた魔法使いにシェッセはひっそりと笑い、お茶を啜ったのでした。
おしまい
投稿がこの日になったのでせっかくだから聖夜オチにしてみました。
お読みいただきありがとうございました。