Level.50:辺境世界レイトノーフ
「反転した……辺境の世界……」
茜の言葉を復唱する。
意味合い自体は理解出来るが、それが実際、世界にどのように作用しているのかが分からない。
「それは……どういう……」
レイネ達も茜の言葉を理解出来ていない様子である。俺の問いに対して、茜が答える。
「思い出して見て下さい。和也様がこの世界に来て、まず初めに、何に違和感を持ちましたか?」
記憶の糸を辿る。この世界に来て、最初に感じた違和感。この世界で見た最初の景色は、よく晴れた夏の日の草原だった。
――そうだ。『夏』の日の。
「……季節。元の世界で最後に覚えているのは、雪の日の記憶だった。だがこの世界で初めて見た景色は夏。……そうか、反転しているってのは……!」
「……ええ。『季節』もその一つです。ですが他にも複数……そうですね、例えば、『ドワーフとオーク』、『職業』、『レベル』等が上げられます。
ドワーフとオークという言葉に、エレナがハッとした。……そうだ。確かに元の世界からすれば、ドワーフとオークは外見が正反対である。あの時は特に深く考えなかったが、あれはそういうことだったのか。
職業とレベルもそうだ。騎士でレベル1。元の世界なら最弱クラスの俺がこの世界で最強なのも、この世界が『反転』していることが原因だったのだ。
だが反転しているものとそうでないものがあるのは何故なのか。そしてティアは何故、この世界をそうしたのか。
その疑問を茜に問いかけようとしたが、茜は横に頭を振った。
「その先は、私ではなくティア様から直接聞くべきです。特に和也様、貴方に関わることですから」
「……俺に? それはいったい、どういう……」
――その時だった。
「ああもう! いつまで待たせるのじゃ!? 話を聞いてるだけではつまらぬ!」
――扉の封印が内側から爆ぜ、ティア・ブレイディ・ドロップディストが姿を現したのは。
「ティア様……!? 強引に封印を破壊されては困ります……!」
「うるさいうるさいうるさい! 妾は退屈なのじゃ! せっかく和也達がここまでやってきたというのに……。さっさと会わせんか!」
自分のことを『妾』と呼ぶ、花柄の着物に身を包んだ、獣耳が特徴的な小柄な少女。彼女こそが、ティアその人……らしい。清楚で美しい女神……というような大方の予想に反したその姿に、レイネ達も目を疑っている様子である。
「えっと……お前が……ティア……なのか……?」
「ようやく会えたな和也! いかにも! 妾こそがティア・ブレイディ・ドロップディストである!」
ティアが無い胸を張って答える。……何故か一瞬睨み付けられたが気のせいだろう。
が、俺にはすぐに分かった。『分かってしまった』。……ティアが、嘘をついているということを。
「……嘘だな。お前はティアじゃない。だってその姿は――」
俺が言い終えるのを待たずして、ティアの姿が煙に包まれた。そして次の瞬間、俺の目の前に、薙刀の刃が姿を現した。
「……っ!」
反射的に、それを《絶零氷華の聖剣》で受ける。……小柄な身体のどこからそんな力が出ているというのだろうか? すぐに剣が押し込まれそうになる。
「《闇を穿つ氷鎗》!!」
と、レイネの放った氷鎗が、薙刀を構えるティアに襲いかかった。一瞬驚いた様子をみせたティアだったが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、俺の剣と鍔競り合いをしたまま薙刀の切っ先だけを氷鎗の方へと向け、呟いた。
「《旋颪》」
……刹那。レイネの放った氷鎗が、音も無く見えない何かに切り裂かれ、霧散した。
「今のは……!?」
魔法に詳しいティアやイズナさんも、今起こった現象を理解出来ていないようだ。
……まあそれも仕方無いことなのかも知れない。何故なら、今の技は――。
「ちょっとレイネ!? ティア様に向けて攻撃するなんて……!」
「……この人はティア様じゃない。カズヤがそう言うなら、私はそれを信じる。それに例えティア様だったとしても、カズヤに刃を向ける人を、私は許さない」
エレナの指摘に、レイネが悠然とした態度で答える。それを聞いたティアは、またしてもその口元に笑みを浮かべた。
「……レイネにそんなに想われているなんて、カズヤは幸せじゃな。カズヤをこの世界に呼んだ甲斐があったというものじゃ」
「カズヤをこの世界に呼んだ? 貴女はいったい何を言って……」
「まあまあそう急かすでない。……レイネ、お主は合格じゃ。他の者も……力を試させてもらうぞ!」
口調が、変わった。いや、口調だけでは無い。瞬きをする一瞬の間にティアは、可憐な獣人の姿から、高身長で銀髪、尖った耳が特徴のエルフへと姿を変えていた。
「変身した……!?」
驚く彩月に、ロングソードを手にしたティアが襲いかかる。突然の出来事に全く反応出来ていない彩月。しかし、目の前に肉薄したティアの刃を、彩月の足下から飛び出たクナイが弾いた。
「《影縫い》。……貴女が誰かは分からないけれども、和也に危害を加えるなら私も容赦はしない」
ティアと彩月との間に、神楽が割って入る。その言葉を聞いた彩月は、一瞬呆れたようにため息を吐いてから、肩を合わせるように神楽の横へと歩み出た。
「……確かにそうね。私達は守衛兵団とも戦ったのだから、今更誰が相手になっても関係ないわ……!」
お互いに顔を見合せ、神楽と彩月が同時に動く。影と雷、それぞれを纏った刃がティアに襲いかかった。……しかし。
「《ミラージュ》」
神楽と彩月の刃は、ティアの残像を両断して虚しく空を切る。
驚く二人の肩を、背後から伸びてきた手が掴む。
「神楽も彩月も合格だ。相手が私で無ければ五体満足ではいられなかっただろう」
振り向きざまに再び刃を振るう二人だったが、またしてもティアは《ミラージュ》で姿を消し、距離を取った所でその姿を現した。
「そんなに敵意を向けないで頂きたいものだな。私は君達の敵では無い……むしろ味方なのだから」
「ならば、なんで私達を試すようなことを……。貴女はいったい、私達に何を伝えたいんですか?」
ティカの質問に、ティアは意を得たりといった様子で頷いた。
「……ふむ。良い質問だティカ。私と名前が似ているだけある。……というのは冗談として、君も合格としよう。……いやなに、単純な話さ。私は、君達が『この先』を知るのに相応しい人間かどうかを確かめたいだけだ」
「『この先』と言うと……この世界……《辺境世界レイトノーフ》のことかしら」
「……イズナは流石に察しがいいな。君も合格だ。さて、エレナにリッカにカイル……君達はどうかな? 『この先』の話は辛いことの方が多い。それでも……聞くかな?」
「……もちろん」
「ここで帰る訳にもいきませんものね」
「どんな話でも真実なら受け止めるしかないしな」
それぞれの返答に、ティアは満足そうに頷いた。
そしてその姿を再び獣人の……さっきよりも少し大人の姿に戻したティアは、その口をゆっくりと開いた。
「お主達の答え、しかと受け止めた。さて、では本題に入る前にまずハッキリさせておくとするが……この世界は正確に言えば異世界では無い」
「異世界じゃ、無い……?」
「……ああ。弌彌からある程度のことは聞いておるじゃろう。この世界は一言で表せば『もしもの世界』。地球という世界そのものの辺境に、妾が創造した世界なのじゃ」
「なんで……世界を創ろうと思ったんだ……?」
「……そうだな。きっかけとなったのは、和也……お主がいたからじゃ。お主を救いたいとの思いで、妾はこの世界を創造した」
「俺を……救う……?」
「……ああ。妾にはいつからかは分からぬが、『予知』の力があった。その力でお主が死に至るという未来を予知した妾は、『ある男』と協力してこの世界を創造し、お主を迎え入れる準備をしていた。そして予知通り茜を庇って交通事故にあったお主は、この世界にやってきたのじゃ」
「……ちょっと待て。その理論だと、俺一人を迎え入れる空間があればいいわけで、何もこんなに広大な世界を創る必要性も、他の皆を呼ぶ必要も……特……に……」
言ってる途中で、俺は気付いてしまった。そのことを悟ったティアがゆっくりと頷く。
「妾が『予知』で見たものはお主の死だけじゃない。溺死や焼死、自殺に心中といった形で死という運命を迎えようとしていた命を救うため、妾はそれら全ての魂をこの世界へと招き入れた。しかし予想以上に数は多く、妾だけでは全てを管理することが出来ず、妾自身も負荷に耐えきれず眠りに就くことになってしまった。……その間、計画の準備を企てていたのが、弌彌というわけじゃ」
「……そう、だったのか。だが、じゃあこの世界の一部の事象を反転させた理由はいったい、なんなんだ?」
「……そうじゃな。一番分かりやすいのが『レベル』じゃ。弌彌から聞いたじゃろ。『この世界への適応力』が強い程その者のレベルは高くなる。逆にレベルが高い者程、『現実世界での生存確率』は低くなる。パーセンテージ=レベル……それを数値化することによって、人々が現実で死に至る危機を察知するため、というのが大きな理由じゃな。職業は元々のレベルの数字に付随させて、という形じゃな。ドワーフとオークは……」
「ドワーフとオークは……?」
「……うむ。茜に言われるまで、気が付かんかった。昔、絵本で見たものを参考にしたからかの。本来のドワーフとオークの姿を聞いた時は流石に恥ずかしかったものじゃ」
微妙な空気が流れた。ティアはこほんっ!とわざとらしく咳払いをすると、話を再開させ……ようとした。
「……なあ、その喋り方、疲れないか……?」
「……何を言う。妾は獣人ゆえこの喋り方なのだ。疲れるも何も……」
「……もういい。もう充分だろ? ……俺も最初に気付いた時は驚いたけどさ、今は正直に……嬉しいよ」
「……あーあ、やっぱり分かっちゃったか。まあそりゃそーだよね。全部あのゲームのアバターの真似事だもん」
ティアはバツが悪そうにそう言うと、またしても己の姿を変えた。赤いリボンが印象的な黒髪ショート、パッチリとした二重瞼に、幼さが残る顔付き。小柄な身体は、痩せすぎという程に細々しい。『本当の姿』となった彼女は、その身に纏う『本来彼女が身に着けるはずだった制服』のスカートの裾をつまみ、その場で優雅に一回転してみせた。
「……どう? 中学校の制服、似合ってるかな? ――にぃに」
――その姿に。
――その声に。
――本来なら何気ない日常の一ページを飾っていたはずの、その場面に。
俺はこみ上げてくるものを必死に堪えながら、はにかむ少女に向け、精一杯の笑顔で答えた。
「……ああ、良く似合ってるよ。――雫」




