Level.45:告げる想い
……あの日、俺は父さん達の下でいつも通り《物部流》の修行に励んでいた。いつもと変わらない天気、いつもと変わらない雰囲気、何事も無くその日の修行は終わるはずだった。
……だけど。だけど突然、父さんが暴れ出した。……手当たり次第に、門下生達を攻撃し出した。
俺は正直、何が起きてるのか理解することが出来なかった。尊敬していた、憧れだった父親が急に異常行動に出たのだから。
夢であって欲しかったけど、やっぱり夢じゃ無かった。
そして父さんは、俺以外の門下生を一掃すると、壁に飾られている真剣を手に取った。
……俺は察した。父さんは俺を殺す気でいるのだと。
……俺はそれで父さんの気が済むのなら、そこで死んでも構わなかった。
けどそこに、あいつが……雫が現れたんだ。帰りが遅い、俺達を心配して。
父さんの意識は……意識と呼んでいいのかすら分からないそれは、雫の方へと向いた。父さんは雫に向けて、刃を振り下ろそうとした。
…………だから俺は、止めるしか無かった。既に人とは呼べない状態の父さんを止めるためには……父さんを殺すしか無かったのだ。
不意を突き父さんの手から真剣を奪い取った俺は、そのままそれで父さんの心臓を貫いた。雫の目の前で、実の父親の心臓を貫いた。父さんの口からはおびただしい量の血液と、一言『ありがとう』と感謝の言葉が零れた。
程なくして警察が現れた。現場の状況から、真っ先に俺が全ての事を起こした犯人だと疑われるはずだった。でも何故か、そうはならなかった。警察は無言で現場を処理し、俺と雫を何もただの一般人のように扱い、家へと帰した。それから数日が過ぎても、事件そのものが無かったかのように扱われ、俺が事情を聞かれることも無かった。
その事件のショックがキッカケで雫は体調を崩し、病に陥り、最終的には死に至ってしまった。……だから雫が死んだのは俺の責任なんだ。あの時、迷うことなくすぐに父さんを殺していれば、雫が責任を背負う必要は無かったのだ。
じゃあその事件は本当に闇に葬り去られたのか。そうじゃ無かった。報道されないだけで、裏でその罪を背負わされる人間がいた。それが弌彌兄ぃだった。弌彌兄ぃが父さんを恨んでいるのは、父さんが死ぬ間際に警察に犯人が弌彌兄ぃであると告げたことにより、罪を背負わされたから。そして死刑という罪状が、異例の速さで実行されたから。……これも、元はと言えば俺の責任なのだ。俺が罪を背負うべきだったのに、弌彌兄ぃが罪を背負わされてしまった。
……でも、ここには矛盾点が存在する。何故俺と弌彌兄ぃの体験が食い違うのか。そこには警察の警察らしからぬ行動が存在し、それを操る人物が存在するんだ。……じゃあそれは誰なのか。俺と雫は、そして母さんは、知っている。
――物部大河。父さんの、物部大和の実の双子の兄だ。
そして、母さんを強姦・妊娠させて弌彌兄ぃを産ませた人物でもある。……俺と弌彌兄ぃが兄弟っていうのは、そういうことだ。
母さんは隠していたつもりだったけど、父さんは知っていた。弌彌兄ぃという、俺の兄がどこかで生きているということを。父さんは弌彌兄ぃを探し回った。そして探し出し、自分の門下に加えた。でも弌彌兄ぃは程無くして辞めていってしまった。それでも父さんは弌彌兄ぃを護りたいという想いがあった。だけどそれが裏目に出た。物部大河はそれを憎らしく思い、父さんを罠にかけた。……恐らく身体に異常をもたらす毒物か何かを父さんに投与したんだろう。それが結果、あの事件に繋がったのだ。
物部大河は事件後、俺と雫と母さんを脅し、普通の家族を装って暮らせと命じた。数年して、戸籍上は離婚して、家を出ていったことになっているが、実際は飽きてまた悪事を働こうとしていたと考えた方が妥当だろう。今もなお、アイツの行方は分かっていないのだから。
「……これが、あの事件の真相だ。……アンタに事件の原因全てがあるわけじゃないが、アンタが《物部流》を辞めなければ父さんが物部大河と接触することも無かったはずだ。……だからアンタが父さんを責めるのは間違ってる。責めるなら……俺を責めればいいんだよ」
事の真相を告げ終えると、そこには重い空気が広がっていた。レイネも弌彌兄ぃも俺も、すぐには口を開こうとはしなかった。
しばらくして最初に口を開いたのは、弌彌兄ぃだった。
「……和也。お前……一人で……抱えて……。なのに……なのに俺は……」
「……いいよ、もう。それに本当は謝るのは俺の方なんだ。俺のせいで、アンタは、命を……」
弌彌兄ぃは首を横に振る。
「……俺は大和……さんを、殺すつもりでいたんだ。俺を護りたいという想いにも気付かずに、近付いてくる鬱陶しい奴という気持ちだけで、簡単に人を殺そうとしていた。……だから俺が死んだのは、その報いなんだと、今では、そう思ってる」
「弌彌兄ぃ……」
俺も父さんも弌彌兄ぃも、行動を一歩間違えたがために物部大河の手によって人生を狂わされた。だが裏を返せば、その一歩を間違えなければ、手を取り合って笑顔で食卓を囲む……そんな日常を過ごせていたのかも知れない。
「……なあ和也、最後に、いいか?」
「……最後? 何言って……。……! アンタ……その身体……」
弌彌兄ぃの身体が、薄っすらと透け、徐々に粒子となって空気に溶けていく。それは、モンスターを倒した時の様子とよく似ていた。
「……別に驚くことじゃ無いだろ? 俺はお前に負けたんだ。もう……文字通り体力も残っちゃいないさ。……なあ和也、俺が言えたことじゃ無いかも知れないが……どうか母さんを幸せにしてやってくれ。そして出来ることならば……俺達家族の仇を討ってくれ。……お前の話を聞いたら『殺せ』とは言えないが、せめて然るべき罰を受けさせてやってくれ。それが俺の……兄としてのただ一つの願いだ」
「……ああ、分かった」
俺が頷くと、弌彌兄ぃは初めて優しい笑顔を見せてくれた。それは本当の、兄としての笑顔のようだった。
「……そうだ和也、お前が本当に、レイネシア……いや、レイネをこの世界から連れ出そうとしているなら、《最果ての洞窟》を目指せ。そこに……この世界の創造主がいるはずだ。そしてその後はこの世界から抜け出すために――。……いや、それは創造主から聞くべきだな」
「……分かった。ありがとう――兄さん」
「……兄さん、か。一度でいいから、幸せな食卓を……囲んで……見たかったな……。……じゃあな和也。またどこかで……会えたらいいな」
「……ああ、必ず」
弌彌兄ぃの……物部弌彌の命の光が、完全に消え去った。俺は不器用だけど本当は優しい兄のことを、絶対に、忘れない。
「……さて、と。皆のところに戻る……その前に、だ。……レイネ。俺はお前に伝えたいことが……ってお前、なんて顔してんだよ」
レイネの顔は蒼白そのものだった。不安感というよりは、後悔や自責といった色が強いように感じられる。
「だって……私……何も……知らなくて……。カズヤの大切なお兄さんを……私のせいで……」
「……弌彌兄ぃは元々死人としてこの世界にやってきたんだ。それを俺は元あるべき場所へと還した、それだけだ」
「でも……でもだったら私は……! 私だってもしかしたら死人なのかも知れない! そんな私をカズヤはなん……」
『何で助けた』そう聞かれる前に、俺はレイネの唇を自らの唇で塞いだ。同時に、傷だらけの華奢な身体を、キツく……離れないようにキツく、抱き締める。
十秒以上の時間をかけてから、ゆっくりと唇を離す。蒼白だったレイネの顔は、驚きと羞恥で朱に染まっていた。
「カズ……ヤ……何……して……今……キ、キス……され……私……」
「……何って、これが俺の想いだ。……レイネ。お前がどこの世界のどんな存在であろうと関係無い。俺はお前という人間が、レイネ・フローリアのことが好きなんだ!」
驚き、照れ、そして涙。レイネの瞳からは、次々と涙が溢れ出てくる。
「カズ……ヤ……私……私は……! 私だって……! カズヤのことが大好き! もう一生離れたくない! ずっとずっと、一緒にいたいっ!」
感情が、爆発する。胸の奥に押し留めていたであろう想いが、次々と溢れてくる。
レイネは俺の胸に顔を埋めて、まるで子供のように、ずっとずっと、泣き続けた。
「……どうだ? 落ち着いたか?」
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか? 空はすっかり夕焼けに染まっていた。
「……うん。大丈夫……落ち着いた。それとゴメン……服……汚した……」
俺のコートは、血と汗と涙と鼻水でグチャグチャになってしまっていた。でも、今は別にどうだっていい。こうして、大好きな人と想いを確かめ合うことが出来たのだから。
「……ははっ。なんか……いいな、こういうの。俺達……恋人同士になれたんだもんな」
「……恋……人。……うん、そうだね。しかも、生涯ずっと一緒にいるっていう約束までしちゃったものね。ふふっ……確かに……幸せ」
自然と、互いに見つめ合う。
同じタイミングで、目を閉じる。
温もりを求めあい、手と手を重ねる。
ゆっくりと、顔を近付ける。
二人の唇が、重なる。
甘い吐息が、零れる。
舌と唾液が、絡み合う。
幸せな気持ちが、口付けの中に溶けていく。
濃い糸を引きながら、名残惜しむかのように唇を離す。
微笑み合い、また想いを重ね合わせる。
(俺はこの愛しい人を、命をかけてでも生涯守り抜く。ずっとずっと、大切にする。……そのためにもまずは、最果ての洞窟とやらを目指さないとな。そうだ、皆と合流して話をしなきゃ。皆と……みん……な……?)
ふと、我に帰る。レイネの艶かしい表情に誘惑されつつも、アイコンタクトで思いを伝え、部屋の入口の方を振り返る。
「あ、二人ともボク達にようやく気付いたみたいだよ」
「……せっかく人が心配して差し上げていたのにこれですものね」
「見ているこちらが恥ずかしくなるようでしたよ」
「……抜け駆けは、許さない……」
「……まあまあ、無事で、何よりじゃないですか」
エレナが、リッカが、彩月が、神楽が、ティカが、その場所に立っていた。それぞれが深い傷を負い満身創痍といった様子であったが、誰一人欠けること無く再開出来たということに安堵する。……と同時に、皆が放った言葉の意味を理解し、レイネと二人で顔を赤くする。
「えっと……その……あの……」
しどろもどろになっているレイネ。俺は大きくため息を吐いてから、その肩に優しく手を置いた。
「皆……ごめんなさい。私……たくさん迷惑かけて……心配させて…………」
「ホントそうだよ? ボク達がどれだけ大変な思いをしたと思っているのさ!」
「貴女の迷惑は今に始まったことではないですが、今回は度が強すぎましたわね」
「私も皆さんがどれだけレイネさんのことを大事に思っているのか感じましたから、少し怒っています」
「……ちゃっかりしてるし」
「あはは……皆さん手厳しいですが、皆レイネさんのことを思って言ってるんですよ? ……そしてレイネさん、これだけは私達全員に言わせて下さいね?」
ティカ達五人が、レイネを取り囲む。たじろぐレイネを尻目に、五人でタイミングを合わせて息を吸い、口を揃えて、告げる。
「「「「「おかえりなさい」」」」」
レイネは、とびきりの笑顔で微笑むと、涙で掠れた声で、しかしハッキリと声高らかに、答えた。
「ただいま!」




