Level.30:紅の戦乙女
目映い輝きを放ち現れたのは、大昔に魂だけとなったはずの剡龍だった。
流石の黒龍も驚いたらしく、剡龍の姿をじっと睨み付けている。
「ティカ、お前……剡龍を呼び起こしたって、どういうことだ……?」
先程ティカは、自分が剡龍を呼び起こしたと言っていた。この場の誰もがその答えを知りたがっているようで、皆の視線がティカへと集中する。
「……私の治癒魔法《天羅伝令》は、対象との、思考での意思疏通を自由にする……そう言いましたよね……?」
ティカの問いかけに対し、リッカが答える。
「……ええ、言いましたわ。……思考による会話。それは『声』を持たざるものとの会話さえ可能に―」
突然、リッカが言葉を切りその場で目を見開いて硬直した。その様子を見て、俺もティカが起こした事象に気付く。
「まさか……剡龍の魂に語りかけたっていうのか!?」
「……はい、その通りです。《天羅伝令》の対象範囲は何も人間だけに限りません。有機物・無機物・魂や霊といった概念問わず、相手が応じてくれさえすれば、どんなものとも意思疏通を図ることが出来ます。私は魔力を集中させ、極限まで薄れていた剡龍の魂へと呼び掛け、助けを請いました。何度も呼び掛け、最終的にリッカさんの名前を出すと、剡龍はそれに答えてくれました。……ですが私には半霊体の剡龍の力を引き出すことは出来ません。だからそれはリッカさん……貴女の役目なんです」
「私が……剡龍の力を……」
リッカはすぐには動こうとしなかった。……否。すぐに動けなかったのだろう。いきなり自分が剡龍と対話出来る力を持っていると知っても困惑するのは当然だ。
俺達が動けずにいる中、剡龍が完全な実体では無いことに気付いたのか、黒龍が片腕を大きく振りかぶった。
「ふん……脅かしおって……。要はその娘を殺せばいいだけなのであろう……!」
黒龍が凶爪を振るう。その斬撃波は、俯いたままのリッカを狙っていた。
「……! リッカ……!」
(クソ……間に合わねぇ……!)
鋭い一撃は正確にリッカを捉えており、俺の脚力を持ってしても間に合わない程の速さだった。
だがその時、俺の横を凄まじい冷気が通り抜ける。
黒龍の爪撃が一瞬で凍り付いた。……間違い無い。レイネの《ニヴルヘイム》である。
「……リッカ。アンタ……いい加減にしなさいよ……!」
乾いた音が響いた。レイネがリッカの頬を叩いたのだ。
リッカは赤くなった頬を押さえ、一瞬何が起こったか分からないといった顔になり、やがて怒りの表情を浮かべるとレイネの顔を見た。
「なにを……」
「それはこっちのセリフよ! アンタ……なにをしてるのよ!」
「なにを……って……。私は街を護ろうと……!」
「してないじゃない! ……いえ、確かにアンタは衛兵とはちゃんと戦ってたわ。……でも黒龍との戦いになってからはどうなのよ? アンタ、本来の半分程度の力しか出せて無いじゃない! 今さら怖じ気ついたっていうの!?」
「そんなこと……! 私は……!」
「だったら覚悟を決めなさいよ……! あの黒龍を倒すには剡龍の力が必要なんでしょ!? 剡龍の力を引き出せるのはアンタしかいない……。だったらリッカ……アンタがやるしか無いのよ!」
「私……が……」
「アンタはこの街を……竜の街イグニストを護りたいんじゃなかったの!?」
「……!!」
リッカはハッとすると、イグニストの街を見回した。街は半壊しており、これ以上黒龍の攻撃を受けたら復興が難しくなる程の状態だった。
リッカは目を閉じると、数秒して、勢いよく立ち上がり、大きく目を見開いた。
「礼を言います……レイネ。私はもう―迷わない。私は……、紅の戦乙女、リッカ・ベルフレイル・スカーレットは……剡龍様のお力をお貸し頂きたいと思っております!」
リッカは剡龍の幻影の方を向き、キッパリとそう言った。その目には、確かな覚悟の色が浮かんでいるように見えた。
すると、黒龍のもののように重く低く、なおかつ威厳を含んだ声が、俺達の脳裏に響いてきた。
『汝……紅の戦乙女よ。汝はなぜ……力を願う……?』
「私は……この街を、イグニストの街を護りたい! ……でもそれは、私だけでは到底不可能な願いです。和也さんやレイネ達の力を借りて、不届き者達を撃退することには成功しました。……ですがまだ、黒龍が残っています。このままではイグニストの街だけではなく、私の……大切な仲間達も傷付けてしまいます! だから……だから私は……! ―紅の戦乙女の名にかけて、皆を護る!」
リッカの決意が、響き渡った。
永遠にも思える静寂の後に、剡龍がその口を開いた。
『……いいだろう。ならばその覚悟……示すがいい!!』
剡龍が叫ぶとほぼ同時に、痺れを切らした黒龍がリッカの方を向き、咆哮のモーションをとる。
さっきは剡龍の咆哮がそれを防いだが、姿を薄れさせた剡龍は動こうとしない。俺はリッカを庇うべく駆け出そうとして―その足を止めた。
リッカは真っ直ぐに黒龍の方を向いていた。盾と槍を地面へと突き立てたリッカは、手を胸の前で組み、魔力を集中させ始めた。
「『精霊の王よ。怒りを持ちて万物を焼き尽くす気高き炎の精霊よ―』」
リッカの身体を焔が渦巻く。こちら側にまで凄まじい熱気が伝わってくる。
「『―汝、我との盟約に従いて、その力を解放せん」』
最大まで力を溜めた黒龍が、咆哮を放った。それは先程のものよりも遥かに強力なものだということが見ただけでも分かった。
刹那―リッカは凛とした声を響かせた。
「『世界を……焦がせ』―《灼熱世界》!!」
空間が―歪んだ。
正確には超高温の炎が空気に揺らぎを生じさせ、それが大規模な陽炎となって空間が歪んでいるかのような錯覚を見せている。正に灼熱地獄の世界―ムスペルヘイムを象徴しているかのような炎だった。
リッカの《灼熱世界》は黒龍の咆哮を容易く焼失させると、そのまま黒龍の身体を飲み込んだ。
「ぐぅ……っ!? こんな……もので……!」
流石は黒龍と言ったところか。《灼熱世界》に飲み込まれてもなお、その身を保っている。だが黒龍は渦巻く炎から抜け出そうとするのに精一杯な状態だ。この機を逃す訳にはいかない。
「皆さん……!」
リッカが槍を拾い上げ、黒龍に向けて走り出しながら叫ぶ。その姿を目にした俺達は、皆例外無く驚愕した。
なぜならリッカの衣装が紅蓮の焔を纏い、その髪までもが真紅の色に染まっていたからだ。
(これが……剡龍の加護なのか……!?)
俺達が黒龍に向けて走り出すと、脳裏に姿を消した剡龍の声が響いてきた。
『我が力はあの娘に託した。その力は強力だが、使い方を誤ると災厄をも呼びかねん。お主らの―協力を頼む』
剡龍はそう言い残すと、それっきり話そうとはしなかった。ティカの方を向くと、ティカは少し悲しそうな顔で首を横に振った。
今度こそ、剡龍という存在は魂もろともこの世から消え去ったのだ。
「言われなくても……そのつもりだぜ……!」
剡龍に……そして自らの心に改めてリッカを護るという誓いを立て、俺は走るスピードを上げながら叫んだ。
「エレナ!」
そう叫んだだけで、エレナは首を縦に振った。黒龍の真下まで来て立ち止まったエレナが叫ぶ。
「吹き荒れろ……《暴虐の嵐》!!」
嵐はそのまま真上と昇っていくと、炎の渦にぶつかった。風と炎が一つとなり、より一層激しい炎が嵐の如く黒龍に襲いかかる。
「くっ……!」
それでもなお抵抗する黒龍。そんな黒龍の顔を捉えていたのは……神楽だった。
眼帯をし、左目の8.0の視力で狙いを付けた神楽が、黒龍に向けクナイを放った。
「《全ての存在を絶つ一矢》」
黒影を纏ったクナイは、真っ直ぐに黒龍に向かっていくと―その右目を貫いた。
「グガァァァァ!!」
黒龍は絶叫し、暴れだした。
それを見たリッカが、レイネに向けて叫んだ。
「レイネ! 力を……貴女の力を貸して! 私の炎と貴女の氷なら……出来る!」
「……貸し、だから。……上等よ! 一撃で……決めるわよ!」
リッカが黒龍の右正面、レイネが左正面に立ち、互いに鏡写しで片腕を引き絞る構えを取った。
「へへ……アイツら何だかんだで息ぴったりじゃねーか。少しは俺も……良いとこ見せねーとな!」
黒龍の真下まで来た俺は、真上へ向け思いきり跳躍する。普通ならそのまま落下するところだが、俺はエレナの《暴虐の嵐》による上昇気流を掴むと、もがき苦しむ黒龍の頭を踏み台にして、さらに空高く跳躍した。
「ティカ……今だ!!」
待ってましたと言わんばかりに、すかさずティカが杖を構え、叫ぶ。
「《魔法暴発》!!」
《魔法暴発》は、《灼熱世界》と《暴虐の嵐》によって作り出された焔の嵐を暴発・拡散させた。
俺は地上にいるレイネとリッカに目で合図を送ると、全神経を右足に集中させた。
「これで……沈めぇ!!」
黒龍の頭部に、踵落としが炸裂する。黒龍の身体は、頭を下にして地面へ向け急降下していく。
「決めろぉ! レイネ! リッカ!」
俺は2人に向けて思い切り叫んだ。
「「貫け―」」
レイネとリッカが、コンマ数秒差を付けて技を放った。
「《闇を穿つ氷鎗》!!」
「《暁を拓く剡鎗》!!」
氷の槍が黒龍の身体を凍らせながら貫き、剡龍の尖角の如き炎の槍がそれに交差して黒龍の身体を貫く。
「おのれ……この……この私がぁぁぁぁぁ!!」
黒龍は絶叫だけを残し、燃え砕け散りながら消滅していった。
「……な? 言った通りだろ? 俺達なら……出来るって」
リッカに向けそう言うと、髪色とオーラが元に戻った彼女は、とびっきりの笑顔で答えた。
「はい……!!」
戦いから数分後。リッカ達は瓦礫等に埋もれた人々の救出作業に勤しんでいた。疲労はあったが、街を本当の意味で救うためには一刻も早く人々を救出しなくてはいけなかった。
レイネ達の協力のおかげか、1時間で救出活動は終了した。怪我人は多かったものの、不幸中の幸いで死者は1人も出なかった。
(誰もいなくならなくて本当によかった……!! これも……和也さん達のお陰……なんですわよね……。和也さん……彼は不思議な方です。あのレイネがこうして私に力を貸してくれたのも、恐らく和也さんの影響なのでしょう……。本当に……感謝しなくては……)
そんなことを考えていると、その和也から声をかけられた。
「……リッカ。俺達はこれから王都に向かう。お前は……どうする?」
瓦礫の山の頂上で振り返った和也と目があった。彼の横にはレイネ達―彼の仲間が並び、さらにその背後には、今まで見たことがないくらい綺麗な夕日が浮かんでいた。
(皆……和也さんに救われてここにいるんですよね。……和也さん、か……。……私、もしかたら和也さんに―)
「おーい! リッカ~?」
……その問いに対する私の答えは、もちろん―
「私も……ご一緒しますわ!!」
和也達に向けて駆け出したリッカ。その頭の中に、剡龍の雄叫びが響いた気がした。
(剡龍様……あなたの力を私は―護りたいものを護るために使います!!)
紅い……紅い空の下、リッカはそう―誓いを立てた。
王都直属守衛兵団本部。最上階には、2つの人影があった。
「例の黒龍による作戦ですが……申し訳ございません、失敗いたしました」
「フ……やはりな。氷の魔女と蒼天の治癒士、それにアイツもいれば無理も無い……か」
「情報提供者の話によると、彼らは恐らく地下道に向かうとのことですが……。如何致しましょうか……?」
「地下道には誰が向かっている?」
「守衛兵団七星騎士……その第二席が向かっております」
「ほう……。第二席となるとアイツか……。それなりの時間を稼げそうだな……いいだろう」
「……? 如何なさるのですか?」
「『あの女』にも声をかけろ。直接―俺が向かう」
「……!? 団長が自ら……ですか!?」
「計画のためにそろそろ彼女を手中に納めておきたいんでな。それに『アイツ』もそろそろ目障りだからな……この手で葬りさってやる」
稲光が、黒コートの男の姿を映し出す。
「今迎えに行くからな……。待ってろよ、『レイネシア』―」




