Level.26:傲慢な御嬢様
「で……? これは一体何なんだ……?」
目の前の器には、形容することすら憚られる、凄まじい臭気を放つ、何とも言えない色合いの、闇鍋すらを超越したスープ的な何かがなみなみと注がれていた。
「何って……ボク達3人のお手製シチューだよ?」
「私達の……自信作」
「べ、別にアンタのために作ったわけじゃ無いんだからねっ!」
俺はそう……侮っていた。
レイネがかき氷しか作れないことは知っていた。エレナは料理に自信が無いとは言っていたし、神楽も自分で作るのはインスタント食品だけとは言っていた。個々の料理スキルは確かに低いが、それ単体では辛うじて許容出来るレベルだったかも知れない。
……が、しかし。その3人が一緒に1つの料理を作り上げたとしたら―。
……その結果は、余りにも悲惨なものであった。
「ティカにも……見せてあげたい」
「ボク達って、やれば出来るんだね!」
「ふん……。私の腕にかかれば当然だわ」
彼女達は、あくまでも満足気な表情で自分達の料理(?)を誇っているようだ。
……ティカにも、見せてあげたい。……と言うより、ティカに見せて、ティカに作り直して貰って、ティカの料理を食べさせて貰いたい。
こんなにもティカを必要としたことがあっただろうか?
こんなにもティカのことを大切に思ったことがあっただろうか?
ああ……ティカ……ティカよ……ティカ様よ……。
ティカの頭を撫でてやりたい。ティカのサラサラの髪を触りたい。柔らかい手を握りたい。華奢な身体を抱き締めたい。ティカと―。
……おっと、これ以上は自重しよう。余りにもティカを求めすぎて危うい性癖に目覚めるところだった。昔、妹を甘やかし過ぎて弌彌にぃにロリコン&シスコン疑惑を掛けられた教訓からもこれ以上は危ういと分かる。
……ともかく、だ。今俺は、ティカの存在を必要以上に欲していた。でなければ、明らかに食すことの出来ないこのシチュー(?)を食べなければならない。それだけは……それだけは何としても避けなくてはならない。俺の……命にかかわる問題なのだ。
「……どうしたの和也? ボーっとして」
「早く食べないと冷めちゃうよ~?」
「……! ま、まさかアンタ……。あ、あーんして食べさせろって言うんじゃ無いでしょうね!?」
……ずっとボーっとしていたい寧ろ冷めてもいいかき氷で良いから別なのを食べさせてくれ。
そもそも何故このような状況になっているのか? それは2時間程前に遡る……。
「カズヤさん、今日の夕飯は何が食べたいですか?」
俺達のパーティーのシェフは、毎食ティカで固定されている。理由は……今更言うまででも無いだろう。
「お。俺が決めていいのか? そうだな~……最近肌寒くなってきたし……シチューとかどうだ?」
「あ、いいですね! ではシチューを作らせてもらいます」
《魔法化収納空間》から調理器具と食材を取り出したティカは、慣れた手付きで手際よく調理の準備を始める。
今日も美味しいご飯が食べられる。俺は当たり前のようにそう確信していた。……そう、この時までは―。
準備を終え、いざ調理に入ろうとしたところで、ティカの動きが止まった。
「ん……? ティカ、どうかしたか?」
俺の問いかけに振り向いたティカは、どこか神妙な面持ちをしていた。またその表情からは、微かな焦りも感じられた。
「守衛兵団本部から……全団員へ向けてのメッセージが入りました」
「……! 守衛兵団から……。……それで、何て?」
「それなんですが……、守衛兵団では、メッセージを開くと自動的に本部への念話接続がされるようになっているんです。しかもその際、その団員がどこにいるかを感知して本部のモニターに表示するようになっているんです。……私がカズヤさん達と行動しているのは、多分もうバレていると思うので……」
「俺達の居場所が判明しちまう……ってわけか……」
俺とレイネは守衛兵団から一方的に罪を背負わせられ、指名手配の身となっている。それに付いてきている形のエレナと神楽、そして守衛兵団の衛生少尉でもあるティカも同じく手配犯となっていることだろう。
今まで出来るだけ守衛兵団を避けてきた俺達だが、今居場所を知られるというのは非常にマズイ。何故なら今から向かう《竜の街》近隣の街には守衛兵団の支部があり、そのことを上手いこと利用して守衛兵団の現状を知ろうというのが、俺達が《竜の街》に向かっている目的だからだ。そこで俺達が《竜の街》にいるということがバレれば、支部から多くの団員が《竜の街》のやってきてしまうハメになる。それだけは何としても避けなければならなかった。
「無視することは出来ないの?」
焦りを露にするティカに向けて、レイネが言う。
「無視……自体は出来るんですが、その場合も、団員の消息を確認するために、自動的に感知がかけられてしまうんです。かといってここでメッセージを開くわけにも……」
選択肢の無いこの状況に、頭を抱える俺達。そんな中、神楽がティカの肩にポンと手をやった。
「だったら……場所を誤魔化せばいい」
「場所を……誤魔化す……?」
神楽の言葉に首を傾げるティカ。神楽は5km程戻ったところにある廃墟を指差すと、言った。
「ここから《竜の街》までは約5km。あそこの廃墟で念話をすれば、結果的に10kmの距離を誤魔化せることになる。この辺りには廃墟や洞窟が多いから、守衛兵団が捜索にきたとしても隠れやすいその辺りから探すはず」
「ボクにはそんなこと思い付きもしなかったや……」
「でもよ……5kmも戻ってる間にその感知だかが始まったらどうすんだ?」
俺がそう問いかけると、神楽は首を横に振り、懐から眼帯を取り出すとそれを右目に当てた。
「アナタ……一体何を……?」
「……私の左目の視力は8.0。5km先程度の建物ならば……その影も捉えられる。―《影間転移》」
神楽が魔法を唱えると、ティカの足下に出来ていた影がぐにゃりと歪んだ。
「私の《影間転移》の能力は、視認出来る範囲で任意の影から任意の影へと移動する……正確には、移動するための道を造り出すというもの。1人しか移動出来ないのが欠点だけど、これなら一瞬であそこまで移動することが可能」
「へぇ~……便利な魔法があるものね」
「ありがとうございます、カグラさん。それでは皆さん……行ってきます」
ティカはそう言うと、影の中に身体を落とした。
と、俺はここであることに気が付いた。が、それを口にしたことが今思えば失敗だったのかも知れない。
「あ、飯……遅くなるのか……。う~ん……腹減ったけど仕方無いから待ってようぜ……。……って、皆さん……?」
俺が大きく伸びをして前に向き直った時にはもう遅かった。レイネ達は我先にと調理器具を手に取ると、何故か互いに火花を散らし合いながら、調理をスタート……してしまったのである。
その結果出来上がったシチューという料理名の付いた何かを前に、俺はダラダラと冷や汗を垂らしていた。
味はもう想像が付いている。ティカに《治癒の光》を……ついでに《記憶忘却》もかけて貰わなくてはならないことになるということは想像に難くない。
……もう仕方が無い。そんなことになるぐらいならば、ありのままの事実を伝えるしか無い。
「……お前達、シチューって何か知ってるか?」
3人はさも当然の如く答える。
「は? そんなのスープのことに決まってるじゃない」
「えっと~……野菜や肉を煮込む料理だよね!」
「温かくて……美味しい」
……ある意味ではあっていやがるから困る。……だが。
「断じて言おう……。これは決してシチューなどでは無いっ!」
「「「……っ!?」」」
「いやいやいやいや! なに鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんの!? 分かるでしょ? 分かるよね? ってか分かれよ? これのどこがシチューだって言うんだよ!?」
この料理名はシチューでは無い。闇鍋……いや闇鍋に失礼だから名前すら付けられない。
「まずこれ! 誰だよ人参丸ごと入れたの!?」
俺の器に盛られたシチュー(?)には、人参が丸ごと1本突き刺っていた。
「……私」
「神楽、お前か……。よし、理由を聞こうか」
「土鍋で蒸らせば……美味しい」
「蒸らしてねぇよ煮込んでるよ!? つーか大きさ考えろよ!?」
「……和也の、わがまま……」
「これを食えっていう方がわがままだよ……。……まあいいさ次だ……。誰だよこんなよく分からん昔の画家の絵みたいな色にしたの!?」
この色の絵の具で絵画を描けば、世間は天才画家の再来と大騒ぎになるかも知れない。だがこれは断じて絵ではない。料理である。
「はーい、ボクだよ!」
「自信満々に手を挙げるとこじゃねぇよ……。……一応聞いとこう、何をした?」
「んーとね、置いてあった食材使って作ったら、白いドロドロとした液体が出来て……」
「合ってるけど変な意味に聞こえるのは何でかな!? で、それがどうしてこうなった!」
「なんか地味だったからそこら辺の草花潰して突っ込んじゃった☆」
「余計なことすんなよ!? 異臭の原因もそれかおい!?」
「……カズヤ君の、わがまま……」
「だからどっちが!? ……はぁ、もうそれはいいや……。……さて、これをやるのは1人しかいないわけだが……」
「な、何よ……?」
黒い青緑色の、人参が突き刺さったドロォ……っとした液体の中には……あろうことか―氷が浮かんでいた。
「入れるならせめてかき氷にしろよ……。どうせ魔法で生成した氷だから溶けそうも無いし、どうやって食えって言うんだよ……」
「だって……やっぱり綺麗な盛り付けにしたかったから……」
「これのどこが綺麗なんだよ……」
「……か、和也の……」
「いいよもう何でも……。ツッコむのも疲れてきたよ……。……とにかく、だ。これは断じてシチューじゃ無い。ティカが戻ってきたら何て言うか……」
言いかけて、俺は言葉を止めた。3人も同じようにハッとした表情になる。
「ティカちゃん……戻って来てない……よね?」
「あれからもう2時間よ……?」
ティカと分かれてから2時間経つが、ティカはまだ戻ってくる様子が無い。
流石に心配になった俺が様子を見に行こうとした―その時だった。
「キャアアアアアッ!!」
近くの森の方で、大きな悲鳴が上がった。
「「「「……!!」」」」
俺達は顔を見合わせると、声のした方へと駆け出した。
俺達が駆け付けた先では、金髪の少女が巨大なゴーレムに襲われていた。膝を突いた少女に対して、ゴーレムは両手を振り上げ無慈悲な一撃を繰り出さんとしている。
「《風を裂く矢弾の一撃》!」
「《フリージング・アロー》!」
エレナとレイネが放った魔法の矢が、ゴーレムの動きを止める。巨大なゴーレム……[ジャイアント・ゴーレム:レベル25]が、大きな目でこちらを向いた。
「《影兵増員》」
神楽の影分身達が、ゴーレムに向けて突進していく。
ゴーレムは大きな声で唸ると、分身達を一撃で薙ぎ払った。
「本命は……こっちだけどな!」
巨体の後ろに回り込んでいた俺は、跳躍し、オーバーヘッドキックの要領でゴーレムを頭から地面に向けて蹴り付けた。
ゴーレムの身体はあっけなく崩壊すると、光の粒子となりて霧散して消えていった。
「ふう……楽勝だったな。君……怪我は無いか?」
俺は膝を突いていた少女に近寄り、手を差し伸べた。
「あ……」
「……?」
「貴方達、余計なことしないで下さる!? あれぐらいのモンスター、私1人で倒せましたわ!」
俺はその場で固まった。レイネ達も同様に、どうしたらいいのか分からないといった様子である。
「倒せた……って……悲鳴上げてたじゃねぇかよ」
「あ、あれはいきなり現れたから驚いただけですわ! 全く……余計な手出しをされると本当に迷惑ですわ!」
……随分と勝手な言い分である。すると、それが頭に来たのか、レイネが杖を持ったままその少女の前へとやってきた。
「そこまで言うなら……これを……防いでみなさいよ! 《アイシクル・レイン》!」
制止しようと思った時にはもう遅く、レイネは魔法を発動させた。
無数の氷の雨が、少女の頭上から降り注ぐ。少女は座り込んだまま、右手を頭上へと掲げた。
「《真紅の緋傘》」
真紅に染まった炎の傘が開き、氷の雨を蒸発させた。少女はゆっくりと立ち上がると、レイネの方を向くと……言った。
「腕を上げたようですわね……《氷の魔女》」
「ふん……そっちこそね……《紅の戦乙女》」
「へ……お前ら……知り合いなのか……?」
何たる偶然だろうか。レイネとこの少女はどうやら知り合いのようである。
「……まあ、ちょっとした腐れ縁よ。それよりアンタ……なんでこんなところウロウロしてたのよ?」
「あら? 言ってませんでしたかしら? この先にある《竜の街》……そこが私の故郷ですのよ。散歩していたらモンスターがいきなり出てきて、続けて貴女方が突然現れたのですわ。それより……貴女こそ、何故こんなところにいるんですの? それに貴女が、他人と一緒にいるなんて……何があったのです?」
「……そうね。少し長くなるけど……説明するわ」
そうしてレイネは、ここに来るまでの大まかな経緯を語りだした。
「―それで、守衛兵団に追われてる……と。はあ……何というか……難儀ですわね」
「ああ……全くだぜ。それでリッカ、俺達《竜の街》に行きたいんだけど……」
「ちょっと……貴方……何故私の名前を知っているんですの!?」
また悪いクセが出てしまった。俺の視界浮かぶカーソルからは、目の前の少女―リッカの情報が確認出来るが、それは《看破》のスキルがあるからだ。そしてそれは超高レベルで無ければ持っていないスキルであり―。
「えっと……。……そう! レイネに聞いたんだよ! お前の話をさ。……な? レイネ」
「……そうね」
レイネは呆れ顔でだったが首を縦に振ってくれた。
「そう……ですの? ……まあ、いいですわ。せっかくですから自己紹介をしておきます。私の名はリッカ。リッカ=ベルフレイル=スカーレットと申しますわ。レベルは23で戦乙女としてやらせて頂いていますわ」
金髪の少女―リッカは、そう言うと気品漂うお辞儀を見せた。それは先ほどまでの傲慢な御嬢様のものとは打って変わって見事な仕草だった。
「まあ私は知ってるわよね。レベルは41になったわ」
「俺は折原和也。レベルは……い……コホン、よ……44だ」
「……暁神楽。レベルは……20」
リッカは神楽のレベルに一瞬驚きを見せたが、それに対して何か言うことは無かった。
「ボクはエレナ・ジオルーン。……よろしくね、リッカちゃん!」
エレナが持ち前の明るさで、リッカに握手を求める。だがリッカはそれを―降り払った。
「止めて下さるかしら? 私は貴女達と馴れ合うつもりは無いんですのよ? それに貴女……女性でありながら『ボク』と言ったり……ハッキリ言って私の嫌いなタイプですわね」
……リッカはハッキリと、そう告げた。
エレナは暫く固まっていたが、やがて……声を荒げて、言った。
「ボ……ボクだって君みたいな人は嫌いだもんね! 助けてあげたのにお礼も言わないし……。だいたい何さその金髪!? 『お父さんとお母さんに悪い』と思わないの!?」
エレナがそう言った―直後だった。
パァン!
乾いた音が森に響いた。リッカが……エレナの頬を叩いたのである。
「痛っ……! 何するのさ!?」
「貴女には……分からないのですね。……両親を失った者の―辛さが」
エレナは叩かれた頬を押さえながらリッカを鋭い目で見ている。―どうやらこの2人は根本的にタイプが合わないらしい。
「……両親を? なあリッカ……何があったか……教えてくれるか?」
「……良いですわ、教えて差し上げます。私の両親は殺されました―守衛兵団の怠慢によって!」
リッカが声を荒げる。
守衛兵団への……恨み。やはり守衛兵団には何か裏があるのだ。
と、リッカが語りだそうとしたその時、1人の少女の声がした。
「皆さん、お待たせしました」
ティカが……帰って来たのだ。―最悪の、タイミングで。
「……! その帽子の紋章……貴女……守衛兵団……ですわね? ……どういうことですの? ……氷の魔女」
視線と思いが、複雑に絡み合う。
……だから俺は、気付けなかった。空を、《竜の街》に向けて―黒龍が飛んでいるということに。




