Level.10:虹
ザー………………
雨の音だけが更地に響き渡っている。
俺はそんな空を眺めながら、濡れた地面に腰を降ろして座り込んでいた。
「ん…………」
俺の横で倒れていたティカの身体がピクリと動いた。他の衛兵達は戻ったところの広場の柱にまとめて縛り付けておいたので、ここには俺とティカの2人しかいない。
「よ。目、覚めたか?」
「カズヤ……さん……。……そっか、私……負けちゃったんですね……」
ティカはそう言って上半身を起こすと、こちらに向き直った。
「……カズヤさん、教えて下さい。貴方は衛兵達の魔法を生身で直に受けたのに傷1つ無かった……。レベル、51ってのは嘘ですよね? ……本当のレベル、教えて下さい」
「……ま、そりゃそう思うよな。……いいぜ、教えてやる。俺の本当のレベルは……1だ」
「レベル……1……」
ティカは目を見開き、驚きの表情を見せた。俺はそれに構わずに言葉を続ける。
「つっても、俺自身なんでレベル1なのかは分からねーんだよな……。……目が覚めたらこの世界にいたもんだからよ」
ティカはしばらくの間驚きの表情を見せていたが、やがてどこか納得した表情になって言った。
「そうだったんですか……。別の世界の事は分かりませんけど……でもカズヤさんが、この世界で最強のレベル1だって言うのならこの強さも……納得……できます。……私には結局、強さが……力が足りなかったんですね……」
「……それは違うぜ、ティカ」
「え……?」
ティカがとまどいの色を見せた。
「……ティカ、お前の正義は何だ?」
「私の……正義……。……私の正義は、人々や動物……皆を、悪の手や病気から助けること……です。でも……やっぱりダメだった。私が弱いから……! 仮にカズヤさんが本当は悪人じゃ無かったとしても、守衛兵団として、私は……!」
自分自身を責めるようにして言うティカ。俺はそんなティカの目を真っ直ぐと見つめ、聞いた。
「……ティカ、お前が言うその正義は、お前自身の正義なのか? それとも……守衛兵団としての正義なのか?」
「……っ! それは……」
「……なあ、ティカ。お前は、なんで守衛兵団に入ろうと思ったんだ?」
「私は……あまり覚えて無いけど、小さい頃私の怪我を治してくれた人に憧れて……。私も誰かを助けたいって……私がそうだったから、今度は誰かを助けることで笑顔にしたいって……!あ……」
ティカが口に手を当てて、自らが発した言葉に戸惑いを見せた。
「ほら……な? 俺もさっきの戦いの時、言っただろ? 俺の正義は『誰かを笑顔にすること』って。……お前も本当は俺と一緒なんだよ」
「誰かを……笑顔に……。でも……でも、私にはカズヤさんみたいな力は……強さは……!」
「……さっきも言ったろ? それは違うんだ、ティカ。……俺は確かにレベル1っていう力……強さを持っている。理由は分からないけどそれは事実だ。……けどそれは、事実に過ぎない。……俺は、例え自分のレベルが1じゃ無かったとしても、今と同じことをして、自分の正義を貫いてるつもりだぜ?」
「でも……力が……強さが無きゃ……!」
「……知ってるか? ティカ。強さってのはな、単に力があるだけじゃ得られないんだぜ?」
「え……それじゃあ……どうすれば……!」
力を得る方法を求め、必死の表情になっているティカ。俺はそんなティカに、10年前の自分の姿を重ね、あの人から貰った言葉を伝えた。
「……いいかティカ。強さってのはな、力があるだけじゃ手に入らないんだ。本当の強さってのはな、『腕』じゃねえ……『心』にあるんだ」
「心……に……?」
「ああ。ティカ、お前は……優しい。それは、お前が心の中で、誰かを助けたい、誰かの役に立ちたいって思ってるからだ。……守衛兵団は、確かに正義の組織なのかもしれない。……今世間から見たら間違ってるのは俺の方なんだろうな。……けど、俺は大人しく捕まるつもりは無い。俺は、自分の正義を……『誰かを笑顔にしたいっていう想い』を大切にしているからだ。組織としての正義じゃ無い……『自分の正義』を大切にしているからだ」
「自分の……正義……」
「お前の何気無い優しさは、お前自身の内なる正義の……『誰かを笑顔にしたいという想い』の表れのはずなんだ。俺は自分の正義を大切にしているから、こうしてお前達を倒すことができた。……だからティカ。強くなりたいなら、組織としての正義じゃねえ……『自分の正義』を、大切にするべきだ。……それは必ず、本当の強さに繋がるから」
「私は……私の正義は……。……そっか。結局私は、誰も笑顔にすることが出来なかったんだ……」
「……そうでも無いぜ?」
「え……?」
俺は立ち上がると、物陰に隠れていた少女に手招きで合図を送った。
「気付いてたんだ……? ……全く、この娘をここまで連れてきたこっちの身にもなりなさいよね」
そこから出てきたのは、俺の旅の連れ……レイネ・フローリアと、俺が家まで送り届けた少女……アズサだった。
レイネはあの場にいた衛兵達を倒した後、身を潜めながら街中を駆けていた。
(アイツ結局どこに行くとも言ってないじゃない! 全く、どこに行ったってのよ! 合流が面倒……ん?)
レイネは、角を曲がった先に、見覚えのある少女が立っているのを見て足を止めた。
(この子は……さっきの……。アイツが家に送り届けるはずじゃ……)
「……ねえ君、どうしたの?」
レイネが声をかけると、それに気付いた少女が駆け寄ってきた。
「……あ、さっきのお姉ちゃんだ! あのね、アズサね、黒い服のお兄ちゃんがすぐ戻ってくるって言ってたからね、それを待ってるの!」
「戻ってくる……? ……そのお兄ちゃん、どこに行ったか分かる?」
「分からない……。……でも、この先って言ったら、あそこかな……?」
「あそこ……?」
「うん! この先にね、なーんにも無い広場があるの! さら……ち? って言うんだよ! アズサもよく、かけっことかする場所なんだよ!」
(アイツは衛兵達から追われてる……。人目に着かない更地があるなら……多分そこ!)
「ねえ、そこにはどうやって行けばいいか分かる?」
「うん、分かるよ!」
「それじゃあ……! って、そっか……。私……衛兵達に追われて……」
アズサに道案内をして貰うのは簡単だが、追われている立場の自分に付いてくれば何かしらの疑いを掛けられるのではないかと思ったレイネは、どうするべきか躊躇していた。やっぱり案内を頼むのは止めようと思ったその時、近くの家のドアが開いた。
「アズサ、どう? お兄ちゃん帰って来た? ……って、貴女は……」
家から出てきたのはアズサの母親だろう。その女性は、レイネの顔を見るなり怪訝そうな表情を見せた。……それもそのはず、手配犯が目の前にいるとなれば当たり前の反応だろう。
「……っ。スミマセン……私はこれで……」
「待って……!」
その場をすぐにでも離れようとしたレイネ。しかしレイネは、その女性によって呼び止められてしまった。
「えっと……なん……ですか……?」
「貴女……さっきの子と行動を共にしてるんでしょ……?」
「そう……ですけど……」
「……さっきの子に伝えて欲しいの。『ありがとう』って。私、貴女達が本当に悪いことをしたのかは分からない。でも……貴女達はこの子を……アズサを助けてくれた。だから……『ありがとう』って……」
「それ……は……」
「……貴女も、ありがとね? アズサを助けてくれたのは、貴女もなんでしょ?」
「あ、そうだ! ……お姉ちゃん、ありがとう」
アズサとアズサの母親からその言葉を聞いて、レイネは動揺した。人から感謝されることなどほとんど無いからである。
「私は……アイツと一緒にいただけで……。それに、その子の怪我を治したのは、別の子ですから……」
「あ、お兄ちゃんも言ってた! アズサ、その人にも『ありがとう』って言いたい!」
「そうね……でもどこにいるのか……」
「えっと……多分、アイツと一緒にいるとは思いますけど……」
自分が交戦した衛兵の中にティカの姿は無かった。だから和也のことを追っているのだろうとレイネは思った。
「お兄ちゃんと!? アズサ、ありがとう言いに行く!」
レイネの言葉を聞いて、アズサがぴょんぴょんと跳び跳ねる。
「こらアズサ、迷惑になるでしょ? それに1人じゃ危ないわよ?」
「ぶー……」
母親にたしなめられて唇を尖らすアズサ。それを見たレイネは、決心して口を開いた。
「あの…………」
そうしてレイネは、アズサに案内される代わりにアズサを護るという約束の下、アズサと一緒に更地までやってきた。そこに着いたレイネが目にしたのは、倒れているティカと、その横に腰掛ける和也の姿だったのだ。
「この子に会わなかったら、アンタを見つけられなかったかもしれないんだから! ……この子と私に感謝しなさいよね!?」
レイネが腰に手を当てて偉そうに言ってくる。
「お前は関係無いだろ……って言いたいとこだけど、実際感謝してる。アズサを連れて来てくれてありがとな? ……レイネ」
「~っ! べ、別にアンタのために連れて来たわけじゃ無いんだからねっ!」
何故か顔を赤くするレイネ。それを不思議に思いながらも、俺は2人のことをこちらに呼び寄せた。
「ほらアズサ、この人がお前の怪我を治してくれたお姉ちゃんだ」
ティカを差し、アズサにそう言うと、アズサはティカの前までやってきた。
「……お姉ちゃんが、アズサのケガを治してくれたの?」
「うん……そうだけど……」
「お姉ちゃん……ごめんなさい。アズサ……お姉ちゃんのこと、怖い人だと思ってた……。周りのおじさん達は怖かったけど、お姉ちゃんはアズサに何もしてないのに……」
「そんな……! あの衛兵達は何もしてないって……カズヤさん達があなたを傷付けたと思ったから私、何もして上げられなくて……!」
「……ううん、お姉ちゃんは、アズサに優しくしてくれたよ?」
「え……?」
「だって、お姉ちゃんはアズサのケガを治してくれたじゃん!」
「……! でも……それは……」
「アズサ、気を失ってたからちゃんとは覚えて無いんだけどね、でも、なんかあったかいものに包まれて、それで痛く無くなったのは覚えてるんだ!」
アズサの言葉に狼狽するティカ。アズサはそんなティカの手を小さな手で握ると、満開の笑顔で言った。
「……だからお姉ちゃん、ありがとう!」
「……っ!」
ティカの瞳から、一筋の涙が溢れ落ち、アズサの手に落ちた。
「……? お姉ちゃん、泣いてるの……?」
アズサに言われ、ティカは慌てて目元を擦った。しかし涙は止まることなく溢れ出てくる。
「あれ……私……どうして……」
自分でも何故泣いているのか分からないのだろう。俺は茫然として涙を流し続けるティカの背中に軽く手を置きながら、声をかけた。
「……笑顔、見れただろ? さっきのアズサの笑顔は、お前がもたらした笑顔だぜ?」
「私……が……?」
「ああ。お前の想いが……『お前自身の正義』がもたらしたな」
「私…………」
ティカは呟くと、アズサの頭へと手を伸ばした。アズサは最初、ビクッと驚いたが、ティカに、顔にかけて撫でられ、くすぐったそうに笑みを溢した。
「私が……笑顔を……」
「ん、お姉ちゃん、私の笑顔見たいの? エヘヘ……なんか恥ずかしいけどいいよ! ニッコ~」
アズサがまたも満面の笑みを作った。ティカはそれを見ると、堪えきられなくなったかのように両手で顔を覆い、声を上げて泣き始めた。
「私……私……! うぅ……うわぁぁぁん!!」
彼女もまた、1人の小さな少女なのだ。それなのに自分の正義を押し殺しながら、1人で組織の正義を果たそうと戦ってきたのだ。でも今、彼女自身の正義は間違っていなかったことは証明された。彼女よりも小さな、1人の少女の笑顔によって。だから……
「だから今は……泣いていいんだぜ? ……ティカ。お前の涙もこの雨も、いつかは必ず……『虹』になるんだから」
この日ソリュータルの街には、1人の少女の泣き声が響き渡っていた。降り続いていた雨はいつしか止み、空には大きな虹が架かっていた……。
翌朝。空は昨日とはうって変わっての晴天だった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、また来てくれる……?」
アズサが泣き顔になりながら俺達にしがみついている。
あの戦いの後、ティカは事後報告があると言って守衛兵団支部に戻って行ってしまった。だが別れ際ティカは、
「きっと……また会いましょう」
と笑顔で言ったので、今度は良き友人として会えるはずだ。
俺達の処遇についてだが、ティカがなんとか掛け合ってはくれるそうだが、余り期待しない方がいいだろう。ティカの話によると、詳細は不明だが、バンケットの街へ事後視察に行った衛兵の報告により、俺達が犯人として扱われることになったのだと言う。その報告者と報告を受け取った人物が誰かは、少尉のティカでは分からないらしい。
ティカと別れた後行き先に困っていた俺達を泊めてくれたのは、アズサの母親……カスミ・ルーファニアさんだ。どうやらカスミさんは冒険者がらみで夫を亡くしているらしく、冒険者のことをあまり良く思っていなかったらしい。ましてや、罪を犯したかもしれない冒険者なら当然であろう。しかしアズサのこともあってか、アズサが家に連れて来た俺達のことを快く受け入れ、泊めてくれた。その上美味しい食事まで与えてくれたので、感謝してもしきれない思いでいっぱいだ。
そんなこんなで今に来る。今俺は暑いのでコートを腰に巻いているのだが、アズサがそれを掴んで離さない状況だ。俺の隣では、密かにレイネが目元を拭っていた。可愛い妹分と別れるのが辛いのだろう。実際昨日もレイネはアズサと一緒に寝ていたのだ。
「さあアズサ、もう離しなさい。2人とも行きにくいでしょ?」
「う……だってぇ……」
カスミさんに嗜められてもなおグズるアズサ。俺はそんなアズサに向き直ると、しゃがみこんで目線を合わせ、頭にぽんっと手を置いた。
「また来るから、な? 今度来たときはお土産持ってきてやるから。アズサの好きなマシュマロたっくさん!」
「……本当?」
「ああ、本当だ。……アズサがいい子にしてたら、お土産持って遊びに来てやる!」
するとアズサは暫く押し黙り、やがて笑顔を浮かべ、言った。
「うん……分かった! アズサ、いい子にしてる! だから……また来てね?」
「おう! ……それじゃあカスミさん、そろそろ行きます。本当にありがとうございました。……レイネ、なにか言うことは?」
俺がレイネの背を押すと、レイネは躊躇いがちに微笑みながら、アズサに手を振った。
「……バイバイ、アズサ。また一緒に、いろんなお話ししようね……?」
「うん!」
アズサは照り付ける太陽のような明るい笑みを見せた。
たった2人の……でもかけがえのない存在となった2人に見送られながら、俺達はソリュータルの街を後にするのだった……。
「それにしても……結局手配犯になっちまったな……」
ソリュータルの街を出て数分。俺達は当てもなく、来た道を引き返していた。
「……そうね。守衛兵団……許せない……!」
確かにこれは守衛兵団の誰かの思惑によるものと見て間違いないだろう。俺達を陥れるために、誰かが……。
俺達2人が暗い空気になりかけたその時、来た方向……ソリュータルの街の方から、誰かの声が聞こえてきた。
「カズヤさーん! レイネさーん!」
「この声……ティカ!?」
声は、間違い無くティカ・アスレインのものだった。昨日ティカとはまた会おうと話していたが、いくらなんでも再会が早すぎはしないだろうか?
そう訝しげに思う俺の下に、ティカは息を切らしながら走ってやってきた。
「ハァ……ハァ……追い付いた……」
「おいおい大丈夫か……? ってか……なんでここに……?」
ティカはゆっくりと息を落ち着かせてから、はっきりとこう言った。
「あの……私を……お二人の旅に連れて行って下さい!」
暫しの沈黙。そして俺とレイネは……
「「えぇぇぇ!?」」
同時に声を上げて驚いた。一応手配犯扱いされている俺達に、守衛兵団少尉の立場でありながら付いてくるとは正気なのだろうか?
「えっと……どうして……だ……?」
俺は戸惑いながらもティカに問いかけた。
ティカはそれに答える。
「私……カズヤさんに言われて、気付いたんです。守衛兵団にいたら、"私の正義"を大切にしていくことは出来ないって……」
「……それで?」
「私……長期休暇を取ることにしました。その間は、守衛兵団としての使命は無くなります。……私、見つけたいんです。私が本当にしたいことは、何なのかを。だから、お二人に付いていけば何かを見付けられると思って……ダメでしょうか?」
そう言われ、俺はチラッとレイネの方を見た。レイネの目は、俺に決めろと語っている。……だとすれば、俺の答えは決まっている。
「ティカがそんなハッキリとした意思を持ったんなら、俺としても喜ばしいな」
「それじゃあ……!」
「……ああ、いいぜ。一緒に来いよ、ティカ!」
「……はい!」
元気に返事をしたティカの顔に、もう曇りは無かった。代わりにその笑顔は、雨上がりの虹のように綺麗だった。
王都の中心に位置する、とある建物の最上階にて。男はデッキテーブルに座り空を眺めていた。
「ケッ……あの小娘は不良品だったか。まあ……いいさ。最後に笑うのは俺なんだからよ」
薄暗い月明かりの空の下。男は、ワイングラスを片手に不敵な笑みを浮かべた。
「お前が俺のものになる日は近い……。待ってろよ……『レイネシア』」