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2)

 休日はすぐに終わる。


 学生時代にはとっくに気付いていたことだが、社会人になってその意味が身に沁みるようになった。帰省した翌日の月曜日は尚更である。県庁の建物を見ると私は一つ溜息を吐いた。今日からまた一週間が始まる。決して仕事が嫌いなわけではないが、やはり休日の方を求めてしまうのは人間の性なのだろう。

 そんなことを考えながら階段を上っているうちに、4階の環境局のフロアに着いた。階段前の部屋には“水城浩太主任”の札がかけられており、私はいつも通りその横にまだ出勤の磁石が貼り付けられていないことを確認して小さく頷いた。今日も水城さんより早く出勤することができた。水城さんに教育係を務めてもらっていたときから、私は彼より早く県庁に来ることを自分の中で決めているのだ。

 そして、その隣の部屋前にある“川内沙英”の札を確認して出勤の磁石を貼り付ける。この水質管理対策室には係長を始め、私も含めて七人の職員が所属している。この部屋と隣の新浄水対策室、そして水城さんの属する水循環対策室を合わせた3つの対策室が環境局の水部門を構成しており、水城さんは水循環対策室の係長と水部門の主任を兼任しておられるのだ。

 

 水質管理対策室の仕事は一言で表すと調整役である。民間団体との交渉や他部門との情報交換だけでなく、水循環室と新浄水室の間を取り持つこともある。若手の多い水循環室と、“新”が付きながらも保守的な新浄水室は折り合いが悪いため、位置的にも両者にはさまれている水質管理室は水部門内の調整に励み、部門内の平穏を維持することを期待されている節があるのだ。係長曰く「面倒ごとは水質管理対策室まで」という看板をいつのまにか背負うようになっていたらしい。

 そんな水質管理対策室のボードにこの時間には考えられない方の出勤が認められ、何やら嫌な予感がした。週初めからやっかいごとかもしれない。


 「おはようございます。片岡さん、早いですね。」

 「おはよう、川内さん。…暗に俺、生活態度を責められているような気がするんだけど。」

 「気のせいですよ。」


 片岡さんは一つ上の先輩で、去年私が水質管理対策室に配属されて以来、もっともお世話になっている方である。「やるときはやる」をモットーにされており、その仕事ぶりは部門内でも評価が高い。私は仕事面だけでなく、気さくな片岡さんのお人柄も尊敬している。

 しかし片岡さんには朝に滅法弱いという弱点がある。遅刻はしないが始業一分前に出勤することもざらであり、隣の席の私はよく冷や冷やさせられているのだ。そんな片岡さんが始業45分近くも前に出社しているのである。これは何かあったとしか考えられない。


 「なんか今日から管区の水質管理センターから職員が出向してくるみたいで。土曜の夜に係長から電話がかかってきて、諸々の調整を頼まれたんだよね。」

 「土曜の夜ですか…それは急ですね。」

 「急すぎだよな。おかげで今日は徹夜だよ。まあ、今日の0時から作業始めた俺が悪いのかもしれないけど。」

 「…お疲れ様です。それに管区ってことは国家公務員が出向してくるってことですよね?」

 「ああ、そうだよ。国家公務員って何かプライド高イメージがあってなんか苦手なんだよね。」

 「そうなんですか?」

 「俺が一年目のときに出向して来てた人がすごい感じ悪かったんだよ。全員が全員そんなんじゃないとは思うけど、今回は良い人だといいな。」

 「そうですね。」

 「そういえば川内さんと同い年だったよ。仲良くなれるといいね!」


 そう言うと片岡さんはにやりと笑った。私はその言葉で、出向してくる人物が男性であることを悟った。

 私と水城さんの関係は職場内には隠してある。仕事をする上で周りに気を遣わせたり、他にも何かと支障が出ることが考えられたので、付き合いを始めるにあたって二人で話し合ってそう決めたのだ。そのため世話好きの上司にお見合いを勧められたり、片岡さんを始めとする優しい先輩方にこうして要らぬ心配をかけたりすることもある。


 「良し、終わり!」

 「お疲れ様です。」

 「おう、ありがとう。」


 片岡さんは作成した資料の最終確認を終え、大きく伸びをしながら立ち上がった。


 「提出してくる。」

 「係長、まだ来られてないですけど…?」

 「いや、これは水城主任に渡すことになってるんだよ。出向先は水質管理室ではなくて、あくまで水部門ってことになってるからな。」

 「そうなんですか。」

 「水城さんはもう来られてるだろう。」


 確かにこの時間なら、水城さんはすでに出社されているはずだ。片岡さんは一仕事を終え、足取り軽く隣の部屋に向かって行った。




 片岡さんが書類を提出して戻ってくる頃になると、水質管理室のメンバーが続々と出社してきた。そして始業5分前には皆が着席し、各々の作業を始めていた。

 そんな中部屋の扉が突然開き、自然と七人全員の視線がそちらに向かった。


 「失礼します。」


 そう言って入ってきたのは水城さんだった。そして水城さんの後ろに一人の男性が控えていた。おそらく彼が出向してきた国家公務員なのだろう。


 「突然ですが、水質管理センターから職員が出向してこられたので紹介を。藤川君。」


 水城さんに促されて一歩前に出たその姿に私は釘付けになった。

 頭の中が真っ白になり、自分がどこにいるのかわからない。そんな感覚に陥った。



 「水質管理センターの藤川良太郎と申します。期間は未定ですが、少なくとも今年中はこちらでお世話になると思います。至らないところも多々あると存じますが、何卒よろしくお願い致します。」

 「藤川君…」


 下げられた頭に向かって思わず呟いた私の声は、室内に思いのほか響いてしまった。しかし、片岡さんの「どうした?」という問いにも、水城さんの視線にも私は気が付かなかった。ただ、頭を上げてこちらを見た藤川君と目が合い、彼の「沙英ちゃん」という言葉が静まり返った室内に響いているのを感じた。

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