序章 終わりの物語 一人の少女の始まり
それはいつの光景か。
これは誰の記憶か。
見つめる自分は何者か。
わからない、だが、音もないままにいつのものか誰のものかわからない光景は紡がれていた。
遠く、四方に天を貫く光の柱が見える。
四つ柱の光のその中心に彼の人はいた。
荒れ狂う風に黒い髪が巻き上げられ満身創痍で膝をついた彼の人の表情を隠す。服は破れ、血と泥に染まりきり、半分ほど折れた剣を支えに彼の人は吹き付けてくる強風に抗いつつどうにか立ち上がった。
傷つき疲弊しきって上手く動かない体を無理やり動かしながら彼の人は必死に手を伸ばしていた。
焦燥と絶望に染まった漆黒の瞳の先には新たに生まれようとする光とそしてそれに飲み込まれていく黒い何か。
同時に感じたのは底の知れぬ恐怖。そして絶望。
彼の人が叫んだ。爆発的に輝きを増していく光にがむしゃらに手を伸ばした。
その手が何かをつかむこともなく。その手を何かが掴むこともなく。ただ彼の人の瞳に確かな絶望だけが刻まれた。
五つ目の光の柱が天をついた。
それに呼応するように他の柱も輝きを増していく。
世界中を照らさんばかりに輝いた柱は強い力の残骸を残し一気に集約すると伸ばされた手を拒絶するように闇を飲み込み、そして消えた。
跡形もなく気配すら飲み込みそこには初めから何もなかったかのような静寂が訪れる。
力を失ったように座り込んだ彼の人は先程まで光の中心だった大地に手を触れる。
乾いた砂の感触が伝わり、指の間をすり抜け風に吹き飛ばされていった。
「 」
何か呟くように彼の人の唇が動く。傷だらけの手が強く、砂を握り締めた。
次の瞬間。
音のない世界で声なき慟哭が響いた。
光景が変わる。塗り替えるようにすり替えるように違和感なく当たり前のように違う光景、違う記憶を映し出していく。
揺らめく明かりに照らされるのは二つの影。月を紡いだような銀の髪を共にもつ男達の一人は王座に一人は血を纏いそれぞれの想いを抱きながらその時を迎えていた。
驚くほどよく似た面差しの二人。だが、王座にある男の顔には狂気が浮かび、もう一人の男には確かな覚悟とそして悲しみがあった。
幻覚だろうか?王座に座る男には薄っすらと黒い影のようなものが纏わりついているように思えた。
血を纏う男がそれに気づいた様子はない。王座に座る男もまた、その影に気づいてはいない。
深い深い闇をうちに秘めし影はまるで王座に座る男の一部のようになじんでいた。
何事が二人が会話を交わす。
音はない。声は聞こえない。
ただ、言葉を重ねるほどに王座に纏う影の動きが大きくなる。蠢き、そして血を纏う男を誘うように影を伸ばしてくる。
語ることが尽きたのか血を纏う男が剣を抜く。その剣が反射させた光に影が怯む。
王座に座る男は咎めることもなくただ、薄笑いを浮かべたままそれを見守る。
「 」
王座に座る男が何事か呟く。だが、それは音のない世界では響くことはない。
静寂の中、血を纏う男が振るった剣が王座に座る男の首を迷いなく跳ね飛ばした。飛ばされた首は驚くほど軽く床を転がっていった。
それと同時に王座に座る男に纏わり付いていた影が血を纏う男に飛び掛ろうとし、何事かに気づいたように動きを止め、そして静かに霧散した。
どうっと音を立てて身体が王座から転げ落ちていくのを男はただ、見ていた。
唇を噛み、血を滴らせる剣を握る手から力が抜け、床に落ちていく。
剣が床に落ちる寸前。
くにゃりと三度、光景が変わる。
構成されたのは薄暗い部屋の一室。
そこにいるのは二人の子供とやせ細り、命の灯が尽きようとしている一人の女。
美しかったであろう髪は艶をなくし白髪まじり、肌は張りをなくし女を老人のように見せていた。
何かを探すように伸ばされた女のやせ細った手を灰色の髪を持つ子供が掴む。
「 ?」
光を失った瞳が微かに動き、かさかさにひび割れた唇が何事か呟く。
その言葉に側に控えていた少し年長の子供が痛ましげに顔を歪め、心配げに灰色の髪の子供を伺い、そして何も言わず見守った。
「 」
心の痛みを隠し、灰色の髪の子供はただ笑う。そして………女の望む言葉を紡いだ。
女の顔が安堵と喜びに染まる。それはまるで愛おしい男に出会った初心な少女のように初々しい顔。
最期の鼓動が女から失われていく。
灰色の髪の子供はそっと掴んでいた手を放し、女の胸の前で組ませた。
静寂のなか子供達はただ、哀れな女のために祈った。
静かな終焉が消えていく。
歪む視界。現れるのは打って変わって華やかな会場。
立派な大聖堂を沢山の人々が埋め尽くしていた。人々の視線は赤く引かれた絨毯の上を歩く純白のドレスの少女に注がれていた。
夜に行われているのか蝋燭の光があちらこちらで揺らめいており、窓の外には月が見えた。
豪奢な花嫁衣裳を着た花嫁はだが、そのドレスを身に纏っているのは驚くほど平凡な顔立ちの少女だった。
結婚式であるはずが祝福される空気ではなく。祝福されるべき花嫁に向けられるのは敵意や蔑みがほとんどであった。それらを浴びながらも花嫁は顔をあげ、堂々とした態度で絨毯の上を歩く。
一歩一歩進む足取り優雅で熟練された動作であったがそれに感嘆するものは誰もいない。
祭壇の前に立つ花婿が花嫁に手を伸ばす。花嫁の手が花婿に委ねられる。
蝋燭が揺らめき、敵意と蔑みの中、厳かに婚姻の儀は始められた。
ぐにゃりぐにゃり歪む景色。
次に映し出されるのはいつの光景か。
次に映し出されるのは誰の記憶か。
そしてそれを見ているのは誰、なのか。
歪みそして描き出されたものは………。