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短編(異世界など)

十年間「結婚してくれ」と言い続けた幼馴染に、結婚式三日前になって「やっぱり無理だ」と婚約破棄されました

作者: みき
掲載日:2026/08/31

「リディア。やっぱり無理だ」


 結婚式まで、あと三日。


 婚約者のカイルは、私の家の応接室でそう言った。


 私は机の上に広げていた紙から顔を上げた。結婚式で使う席順を、最後に二人で確認していたところだった。


「何がですの?」


「結婚だ」


「……誰の?」


「俺たちの」


 思わず、カイルの顔をじっと見た。


 冗談を言っているようには見えない。


「三日後の?」


「ああ」


「わたくしとカイルの?」


「そうだ」


「やっぱり無理?」


「……うん」


 私は手元の紙を閉じた。


「少し待ってくださいませ」


「ああ」


「理解が追いつきません」


「そうだよな」


 当然でしょう。


 カイル・レイフォードは、十年間、私に「結婚してくれ」と言い続けた男なのだから。


 最初に言われたのは、私たちが十歳のころだった。


 庭で転んだカイルのひざに薬を塗ってあげたら、


「リディア、俺と結婚してくれ」


 と言われた。


 私は、


「嫌です」


 と答えた。


 十二歳のころ、花祭りで私が焼いた菓子を食べたカイルは、


「やっぱりリディアと結婚する」


 と言った。


「嫌です」


 と答えた。


 十五歳になると、さすがに少し真面目になった。


「俺は本気だからな。十八歳になったら、ちゃんと申し込む」


「そのとき考えますわ」


「今考えてくれよ」


「まだ三年ありますもの」


 十八歳になると、本当に両親を連れて我が家へやってきた。


 侯爵家の長男と伯爵家の長女。


 家同士としても問題はなく、私もそのころにはカイルが嫌いではなくなっていた。


 むしろ、好きだった。


 だから正式な婚約の話を受けた。


 あのときのカイルは、私よりも喜んでいたと思う。


「やった!」


「カイル。まだご両親の前ですわよ」


「だって十年近く待ったんだぞ!」


「八年です」


「似たようなもんだ!」


 そんな男だった。


 婚約してからも変わらなかった。


 新居をどうする。


 庭には何を植える。


 子どもができたらどんな名前にする。


 食卓は丸い方がいいか、長い方がいいか。


 結婚式は春がいいか秋がいいか。


 私よりも楽しそうに準備をしていた。


 その男が、結婚式三日前になって、


「やっぱり無理だ」


 と言っている。


「確認します」


「うん」


「好きな女性ができました?」


「違う」


「わたくしを嫌いになった?」


「違う」


「借金?」


「ない」


「病気?」


「健康だ」


「実はものすごく遠い国へ行くことになったとか」


「ならない」


「では、何ですの?」


 カイルは黙った。


 私は待った。


 昔からカイルは、言いたいことがあるのに言葉にできなくなると、右手の親指を握るくせがある。


 今もそうしていた。


「カイル」


「……怖いんだ」


「何が?」


「君の夫になるのが」


 予想していなかった答えだった。


「わたくしの夫に?」


「ああ」


「十年間、なりたいとおっしゃっていたのに?」


「分かってる」


「三日前になって?」


「分かってる!」


 カイルが大きな声を出した。


 すぐに顔を伏せる。


「……ごめん」


「何が怖いのです?」


「それは」


 また黙る。


 私はもう一度待った。


 けれど、今度はカイルが首を振った。


「うまく説明できない」


「では、結婚を少し延ばします?」


「いや」


「一週間?」


「違う」


「一か月?」


「そうじゃないんだ。俺は……結婚しない方がいいと思う」


「誰と?」


「君と」


「どうして?」


「君を不幸にしたくない」


 今度は、私が黙った。


「わたくしは不幸になると言いました?」


「言ってない」


「では、なぜ不幸になると?」


「俺がそうするかもしれないからだ」


「だから、わたくしとは結婚しない?」


「ああ」


 意味が分からなかった。


 けれど、一つだけ分かったことがある。


 カイルは迷っているのではない。


 もう決めてきたのだ。


「承知しました」


 私は左手から婚約指輪を外した。


 机の上に置く。


 カイルが目を見開いた。


「……え?」


「婚約を解消しましょう」


「リディア」


「カイルが結婚したくないのでしょう?」


「いや、結婚したくないというか」


「ですが、結婚しない方がいいとおっしゃいました」


「そうだけど」


「では、そうしましょう」


 私は立ち上がった。


「結婚式については、わたくしの家から中止の連絡をいたします。費用については両家で話し合いましょう。招待した方々にも謝罪が必要ですね」


「待ってくれ」


「何でしょう」


「……それだけ?」


「それだけ、とは?」


 カイルは困った顔をした。


「止めないのか?」


「誰を?」


「俺を」


「なぜ?」


「いや……」


「カイル」


 私は彼を見た。


「十年間、あなたはわたくしと結婚したいと言い続けました」


「ああ」


「そして今日、結婚したくないと言いました」


「だから、そういう意味じゃ」


「どんな意味であっても、結婚しないと決めたのでしょう?」


「……ああ」


「なら、わたくしにできることはありません」


 カイルは何も言わなかった。


「三日前で良かったですわ」


「良くないだろ」


「結婚した翌日に言われるよりは、ずっと」


 それには返す言葉がなかったらしい。


「十年間、ありがとうございました」


「そんな言い方するなよ」


「では、何と?」


「……分からない」


「わたくしも分かりません」


 本当に分からなかった。


 十年間、結婚したいと言い続けた男との最後の会話として、何が正解なのか。


 だから私は、それ以上何も言わなかった。


     


 結婚式は中止になった。


 当然、大騒ぎだった。


 招待客は百人を超えていたし、料理も花も衣装も準備が終わっている。


 幸い、カイルは自分の都合で婚約を解消したと正式に発表した。


 私に悪いところはないとも言った。


 おかげで変なうわさは広がらなかった。


 ただし、


「十年も追いかけておいて三日前に逃げた男」


 という別のうわさは広がった。


 それについては、私にはどうしようもなかった。


「本当に、理由を聞いていないの?」


 妹のミアに何度目か分からない質問をされ、私は薬草を細かく切りながら頷いた。


「夫になるのが怖くなった、とだけ」


「意味が分からない」


「わたくしもです」


「姉様は怒ってないの?」


「怒っていますわ」


「見えないけど」


「薬草に八つ当たりするわけにもいきませんもの」


 私は子どものころから薬草が好きだった。


 病気を治すような大げさなことはできないけれど、眠りやすくなるお茶や、手荒れをおさえる薬を作ることはできる。


 結婚後も続けるつもりだった。


 カイルもそれを知っていて、新居には小さな温室まで作ってくれていた。


「ここなら結婚しても好きなだけ研究できるだろ」


 そう言っていた。


 あのときの笑顔は嘘ではなかったと思う。


 だから余計に分からない。


 三日前に、何があったのか。


「姉様」


「はい」


「まだ好き?」


 手が止まった。


「誰を?」


「カイル様」


「……質問が意地悪ですわ」


「ごめんなさい」


 私は小さく息を吐いた。


「好きです」


 嫌いになれたら楽だった。


 十年間一緒にいた。


 私が泣いたときも、笑ったときも、腹を立てたときも知っている。


 好物も嫌いな食べ物も知っている。


 カイルが雷を怖がることも、馬に乗る前は必ず左のくつからはくことも知っている。


「でも、好きだから結婚できるとは限りません」


 私はそう言って、また薬草を切った。


     


 婚約解消から一か月が過ぎたころ。


 カイルは、母であるレイフォード侯爵夫人の部屋にいた。


「あなた、本当に馬鹿ね」


 母親に言われ、カイルはうなずいた。


「知ってる」


「いいえ。たぶん、まだ分かっていないわ」


 母は昔使っていた絵の道具を机の上に並べていた。


 古い筆。


 固くなった絵の具。


 小さな木の箱。


 カイルが子どものころ、一度だけ見たことがある。


「母上は、絵が好きだったんですね」


「ええ」


「どうしてやめたんです?」


「あなたのお父様に言われたからよ」


「父上に?」


「侯爵夫人になったのだから、絵なんて描いている時間はないだろう、と」


 悪意のある言い方ではなかったという。


 父は母を大切にしている。


 服も宝石も買う。


 体調が悪ければ医者を呼ぶ。


 寒い日は外へ出なくていいと言う。


 危ないから一人で街へ行くなと言う。


 友人と旅行したいと言えば、侯爵夫人が長く家を空けるのは良くないと言う。


 絵を描きたいと言えば、そんなことをしなくても暮らしていけると言う。


「お父様は、私を不幸にしようとしたわけではないわ」


 母は古い筆を手に取った。


「むしろ、幸せにしようとしていたのでしょうね」


「……でも、母上は幸せじゃなかった?」


「幸せなこともたくさんあったわ。あなたが生まれたときなんて、本当に嬉しかった」


「なら」


「でも、それとこれは別よ」


 母は笑った。


「私が絵を描くかどうかは、私が決めたかった」


 それが、カイルが結婚を怖くなった始まりだった。


 結婚式の五日前。


 父が新居を見に来た。


 リディアのために作った温室を見て、


「これは何だ?」


 と聞いた。


「リディアの温室です。結婚したあとも薬草を育てたいそうなので」


「結婚したあとも?」


 父が笑った。


「必要ないだろう」


 その一言が、カイルの胸に残った。


「侯爵夫人には他にすることがある。妻が遊びに夢中になっていては家の者に示しがつかん。結婚したらやめさせなさい」


「でも、リディアは好きで」


「だからこそだ。妻が間違ったことをしそうなら、夫が止める。それも夫の役目だ」


 父は当たり前のことのように言った。


 その夜、カイルは眠れなかった。


 父と母のことを考えた。


 そして自分とリディアのことを考えた。


 新居を決めたのは誰だった?


 自分だった。


 結婚式の日を決めたのは?


 自分が春がいいと言った。


 庭に植える木は?


 自分が選んだ。


 リディアはいつも笑って、


「カイルの好きな方で」


 と言っていた。


 もしかしたら。


 自分も父と同じなのではないか。


 今は温室を作ってやりたいと思っている。


 でも結婚して十年、二十年と過ぎたら?


 薬草をやめろと言うかもしれない。


 友人に会うなと言うかもしれない。


 危ないから外へ出るなと言うかもしれない。


 自分が守ってやる。


 自分が幸せにしてやる。


 そう言いながら、いつかリディアから大切なものを奪うかもしれない。


 考えれば考えるほど怖くなった。


 そしてカイルは、一人で答えを出した。


 自分が夫にならなければいい。


 リディアを自由にしてやればいい。


 だから婚約を解消した。


 母はそこまで聞いたあと、深くため息を吐いた。


「それであなたは、お父様と同じことをしたのね」


 カイルは顔を上げた。


「俺が?」


「ええ」


「違います。俺はリディアの自由を」


「誰が自由にしてほしいと頼んだの?」


 言葉が止まった。


「リディアさんは、あなたと結婚したくないと言った?」


「……言ってません」


「薬草をやめさせられるのが怖いと言った?」


「言ってません」


「あなたがお父様のようになると思っていた?」


「それも……」


「では、全部あなたが決めたのね」


 カイルは何も言えなくなった。


「お父様は『妻のため』と言って、私が何をするか自分で決めた。あなたは『リディアさんのため』と言って、結婚しないことを自分で決めた」


「……」


「反対を選んだだけで、やっていることは同じでしょう?」


 頭を殴られたような気がした。


「俺は……」


「怖くなったことを責めているのではないわ」


 母は言った。


「結婚なんて、怖くなって当然よ。ずっと一人だった二人が、これから何十年も一緒に暮らすのだから」


「なら、どうすればよかったんです」


「聞けばよかったでしょう」


「誰に?」


 母が呆れた顔をした。


「リディアさんに決まっているでしょう」


     


 婚約解消から五週間後。


 カイルが我が家へやってきた。


 父が追い返そうとしたけれど、私は会うことにした。


 応接室へ入ってきたカイルは、少しやせていた。


「久しぶりですわね」


「うん」


「今日は何のご用です?」


「謝りに来た」


「婚約を戻したいと?」


「……それは言わない」


「そうですか」


「まず謝らせてくれ」


 私は椅子へ座った。


「どうぞ」


 カイルは向かいには座らなかった。


 立ったまま頭を下げた。


「ごめん」


「何についてでしょう」


「結婚式を三日前に中止したこと」


「はい」


「ちゃんと理由を話さなかったこと」


「はい」


「君がどうしたいか、一度も聞かなかったこと」


 そこで私はカイルを見た。


「最後のものが、一番腹が立っています」


「……うん」


 カイルは、母親から聞いた話を全部教えてくれた。


 自分の父親と母親のこと。


 温室を見た父親から言われたこと。


 自分もいつか同じようになるのではないかと怖くなったこと。


 だから私を自由にした方がいいと思ったこと。


 最後まで聞いた私は、しばらく黙っていた。


「なるほど」


「それだけ?」


「では怒りましょうか?」


「いや」


「カイル」


「うん」


「あなたは馬鹿です」


「母上にも言われた」


「そうでしょうね」


「本当にごめん」


「わたくしは、あなたのお父様と結婚する予定だったのではありません」


「分かってる」


「分かっていませんでしたでしょう?」


「……うん」


「それに、もしあなたが結婚後に薬草をやめろと言ったら、わたくしが素直にやめると思います?」


 カイルが顔を上げた。


「思わない」


「でしょう?」


「たぶん怒る」


「怒ります」


「三日は口をきいてもらえない」


「一週間です」


「そんなに?」


「内容によります」


 カイルが少しだけ笑った。


 私も笑いそうになったけれど、まだ笑わなかった。


「でも」


 私は続けた。


「本当に怖かったのでしょうね」


「ああ」


「なら、怖くなったことは怒りません」


 カイルの顔が少し明るくなる。


「ですが」


「はい」


「どうしてわたくしに言わなかったのです?」


 また顔が曇った。


「格好悪いと思った」


「何が?」


「十年間も結婚してくれと言っておいて、三日前に怖いなんて」


「格好悪いですわね」


「そこは否定してくれよ」


「事実ですもの」


「うん……」


「でも」


 私は手を組んだ。


「三日前に怖いと言われるのと、三日前に捨てられるのでは、まったく違います」


 カイルは何も言わなかった。


「あなたが『怖い』と言ってくれたなら、わたくしは一緒に考えました」


「うん」


「結婚式を延ばしてもよかった」


「うん」


「あなたのお母様とも話したでしょう」


「うん」


「結婚後のことを、もっと細かく決めてもよかった」


「うん」


「でも、あなたは全部一人で決めました」


「……ごめん」


「十年間、あなたはわたくしに結婚してほしいと言いました」


「うん」


「ようやくわたくしも同じ気持ちになったのに、最後の最後で、わたくしには何も決めさせてくれなかった」


 言っているうちに、少しだけ声が震えた。


 カイルが一歩近づいた。


 けれど、途中で止まった。


「触ってもいい?」


 思わず顔を上げた。


 いつものカイルなら、きっとすぐに手を握っていた。


「……今日は駄目です」


「分かった」


 本当に、それ以上近づかなかった。


「リディア」


「はい」


「婚約を戻してほしいとは言わない」


「そうしてください」


「でも、もし許してくれるなら」


 カイルは少し迷った。


「また、君と話してもいい?」


「それは、わたくしが決めていいのですか?」


「ああ」


「でしたら」


 少し考えた。


「たまになら」


「ありがとう」


「まだ許していませんからね」


「知ってる」


「結婚するとも言っていません」


「それも知ってる」


「では、今日はお帰りください」


「分かった」


 カイルは素直に帰った。


 昔の彼なら、


「もう少しだけ」


 と言っていたと思う。


 少しだけ、変わったらしい。


     


 それから、カイルはときどき我が家へ来るようになった。


 最初は十日に一度。


 次は一週間に一度。


 会いたいと言われた日に私の予定があれば、


「では、また今度」


 と帰った。


 以前なら、


「少しくらいいいだろう」


 と言っていた。


「ずいぶん聞き分けが良くなりましたわね」


 ある日そう言うと、カイルは苦い顔をした。


「自分でも気持ち悪い」


「前より良いです」


「褒められてる気がしない」


「褒めております」


 半年ほどたった。


 私は王都の薬草研究所で働くことになった。


 結婚する予定だったころは、家で研究を続けるつもりだった。


 けれど婚約がなくなったことで、せっかくだから外へ出てみようと思ったのだ。


 父も賛成してくれた。


 その話をカイルにすると、


「遠いな」


 と言った。


「馬車で一時間ほどです」


「毎日?」


「はい」


「危なくないか?」


「護衛もおります」


「でも」


 そこでカイルは口を閉じた。


「何です?」


「……いや」


「言ってください」


「心配だ」


「そうですか」


「でも、やめろとは言わない」


「はい」


「君が行きたいんだろ?」


「行きたいです」


「じゃあ、応援する」


 私は思わず笑った。


「何?」


「いいえ」


「何か変だった?」


「少し前なら『危ないからやめろ』と言っていたかもしれませんね」


「……言ってたな」


「ええ」


「直します」


「全部直さなくてもいいですわ」


「え?」


「心配することまでやめられたら、それはそれで寂しいです」


 カイルは困った顔をした。


「難しいな」


「人と一緒に生きるのですもの。簡単ではありませんわ」


 その言葉を言ってから、私は少しだけ驚いた。


 カイルも気づいたらしい。


 でも何も言わなかった。


 ただ、嬉しそうに笑った。


     


 婚約を解消してから、ちょうど一年がたった。


 春だった。


 私はカイルに呼ばれて、昔よく遊んだ丘へ来ていた。


 十歳のころ。


 最初に「結婚してくれ」と言われた場所でもある。


「懐かしいですわね」


「覚えてる?」


「あなたが転んで泣いていた場所でしょう」


「泣いてない」


「泣いていました」


「泣いてない」


「では、そういうことにしておきます」


 カイルは笑った。


 それから急に、真面目な顔になった。


「リディア」


「はい」


「聞きたいことがある」


「どうぞ」


 カイルは息を吸った。


 私は、たぶん何を言われるのか分かっていた。


「俺は今でも、君と結婚したい」


「はい」


「でも、今度はそれだけじゃなくて」


 カイルは私を見た。


「リディアは、どうしたい?」


 十年間。


 この人は何度も言った。


 俺と結婚してくれ。


 俺と結婚しよう。


 大人になったら結婚するからな。


 私がどうしたいかを聞かれたのは、もしかすると初めてだった。


「少し考えても?」


「もちろん」


「一年ほど」


「長い!」


「冗談ですわ」


「やめてくれよ……」


 カイルが胸を押さえた。


 私は笑った。


「わたくしも、カイルと結婚したいです」


 今度は彼が固まった。


「……本当に?」


「はい」


「もう一回言って」


「嫌です」


「そこをなんとか」


「十年間、あなたから聞かされましたので、一回で十分でしょう」


「俺は何回でも聞きたい」


「欲張りですわね」


「駄目?」


「駄目です」


 そう言いながら、私は手を差し出した。


 カイルはすぐには握らなかった。


「触ってもいい?」


「はい」


 ようやく手が重なった。


 その日のうちに婚約を戻したわけではない。


 両親にも話した。


 結婚後も私は仕事を続けること。


 大きなことは二人で決めること。


 どちらかが嫌だと言ったときは、理由を聞くこと。


 そして、分からないときには勝手に答えを出さないこと。


 二人でいくつもの約束をした。


 結婚式の日も、今度は二人で決めた。


 前よりずっと小さな式だった。


 それでもカイルは、三日前からそわそわしていた。


「カイル」


「何?」


「まさか、また怖くなったのでは?」


「怖い」


 今度はすぐに答えた。


 私は少し驚いた。


「怖いのですか?」


「結婚したあと、失敗するかもしれない。君を怒らせるかもしれない。父上みたいになることもあるかもしれない」


「はい」


「でも、そのときは言ってくれ」


「何を?」


「嫌だって」


「言われなくても言います」


「知ってる」


「それでも結婚します?」


「したい」


「わたくしもです」


 カイルが笑った。


 私も笑った。


 十年間「結婚してくれ」と言い続けた幼馴染は、最初の結婚式の三日前になって逃げた。


 その一年後。


 彼はもう一度、私と結婚した。


 今度の結婚式は、三日前になっても中止にはならなかった。


 何しろ今度は、二人で決めた結婚だったのだから。

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