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紅妖奇譚18

 葵は、夢の中にいた。

 

 けれど、それはもう今までのような夢ではなかった。

 

 泥のような暗闇も、足にまとわりつく不快な重さもない。

 

 そこに広がっていたのは、見覚えのある景色だった。

 

 鬼火の滝。

 

 滝の水とともに、色とりどりの炎が幾筋も流れ落ちている。

 

 青、緑、紫、金。

 

 水に溶けるように揺らめきながら、静かに滝壺へ注いでいた。

 

 その光景は、夢だというのに不思議なくらい澄んで見えた。

 

 滝のほとりに、ひとり誰かが立っている。

 

 その後ろ姿には見覚えがあった。


 肩までの髪。

 

 細い肩。

 

 けれど、以前見たような黒い靄はもうまとわりついていない。

 

 まるで最初からそこに怨みなどなかったみたいに、静かで、穏やかな立ち姿だった。

 

 斎藤佳奈だ。

 

 佳奈はゆっくりと振り返る。

 

 その顔に、もう苦しみや憎しみはなかった。

 

 ただ、少しだけ寂しそうに。

 

 それでも確かに、晴れやかに笑っていた。

 

 そして、たった一言だけ言葉を紡ぐ。

 

『――ありがとう』

 

 その声は、風に溶けるようにやさしかった。

 

 次の瞬間、佳奈の姿は鬼火の光に溶けるように薄れていき、やがて見えなくなった。

 

 あとには、滝の音と、色とりどりの火だけが残る。


 

 葵は飛び起きるでもなく、静かに目を覚ました。

 

 薄く開いた窓から、朝の光が差し込んでいる。

 

 妙に頭がすっきりしていた。

 

 胸の奥をずっと塞いでいた重さが、少しだけなくなっている気がする。

 

「……律儀だな」

 

 葵は小さく呟く。

 

 今回の件で救われたのは、きっと佳奈だけじゃない。

 

 葵もまた、自分の傷と向き合うきっかけをもらったのだと思う。

 

 だから、感謝しているのはこちらの方だった。

 

 葵は天井を見上げたまま、静かに呟く。

 

「――こちらこそ」

 

 その夜、昔の夢は見なかった。

 

 熱いアスファルトも、押しつけられる痛みも、耳の奥にこびりついて離れなかったあの言葉も――もう出てこなかった。

 

 今までずっと、葵は過去に囚われていた。

 

 あの日から止まったままだった時間が、ようやく少しだけ動き出した気がする。

 

 佳奈のおかげで。

 

 緋色のおかげで。

 

 浅葱のおかげで。

 

 そして、自分自身が逃げずに向き合えたから。

 

 まだ全部が終わったわけじゃない。

 

 傷が消えたわけでもない。

 

 それでも――

 

 ほんの一歩だけ、前に進めたような気がした。





「――行ってきます」

 

 玄関で、葵は声を出した。


 立て続けの飛び降り自殺があり、5日間の臨時休校が昨日で終わった。

 

 いつもなら学校へ行くことを思うだけで気が重くなる。

 

 足を前に出すたび、見えない何かに引き戻されるような感覚があった。

 

 けれど今日は、不思議なくらい足取りが軽かった。

 

「気をつけて行くんじゃぞ」

 

 見送りに出てきた浅葱が、小さく手を振る。

 

 葵も頷き、学校へ向かって歩き出そうとした、その時だった。

 

「――待って、待って! 私も行く!」

 

 廊下の奥から、ばたばたと軽い足音が響いてくる。

 

 振り向くと、緋色が走ってきた。

 

 この時間にはまず着ることのない学生服姿で、急いで靴を履いている。

 

「……どういう心境の変化?」

 

 葵が急な出来事に驚きながら尋ねると、緋色は顔を上げて笑った。

 

「――前に進もうとしてるのは、葵だけじゃないってこと」

 

 その言葉に、葵は少しだけ目を見開く。

 

 けれど、すぐに小さく笑った。

 

「おじいちゃん、行ってきます!」

 

「おお、おお。二人とも頑張ってこいよ」

 

 浅葱はそう言って、葵と緋色の頭をくしゃくしゃに撫でた。

 

 いつもは重いだけだった学校への道。

 

 今日は少し違って見える。

 

 隣には、心強い妹がいる。

 

 一度死んだ葵の人生は――

 

 きっと今日から、もう一度始まる。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

第一章はこれにて終了です。


緋色の日常が気になる方は、外伝『がんばれクレナイ〜紅一家と妖珍道中〜』もぜひ読んでいただけると嬉しいです。


第二章も頑張って書いていきますので、よろしければブックマークや応援をよろしくお願いいたします。

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