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紅妖奇譚17

 浅葱と葵、緋色の三人で帰路につく。

 すっかり日が傾いていた。

 

 行きとはまるで違う。あれほど重かった空気が、今は少しだけ軽い。

 けれど、葵の体はまだまともに動かなかった。

 

 佳奈に体を明け渡したあとの反動が大きすぎる。手足に力が入らず、結局帰りも緋色におぶわれたままだ。

 

 情けない。

 情けないが、降りたところで一歩も歩ける気がしなかった。

 

「さっきの奴らって、どうなるの?」

 

 緋色が歩きながら浅葱に尋ねる。

 

「さあのう」

 

 浅葱が肩をすくめる。

 

「とりあえず、騙し取った金を返すところから始めるじゃろうな。じゃが……あれだけ業が深いと、余程のことがない限り解けんじゃろ」

 

 あの二人に巻きついていたものを、葵もはっきり見ていた。

 

 無数の怨みだ。

 

 蛇のように、黒い縄のように、全身へ何重にも絡みついていた。

 

 人を騙し、弱みにつけ込み、踏みにじってきた年月が、そのまま形になったみたいだった。

 

 もっとも――人をどれほど怨んでも、普通はそれだけで天罰なんて下らない。

 

 浅葱がやったのは、ほんの少しだけ彼らの罪悪感を抉り、今まで積もっていた被害者たちの怨念を“呪い”へ昇華させただけだ。

 

 だけ、と言うには十分すぎるが。

 

 あの呪いから本当に逃れたいのなら、これから先、よほどの善行を積み重ねるしかないだろう。

 

「……そんなことよりも」

 

 ふいに浅葱が立ち止まり、葵と緋色の頭へ同時に手を置いた。

 

 大きくて、温かい掌だった。

 

「――お前たち、本当によく頑張ったの」

 

 その言葉と一緒に、ぐしゃぐしゃと力強く頭を撫でられる。

 たったそれだけで、胸の奥が熱くなった。

 佳奈を救えた。

 ちゃんと家族に会わせることができた。

 あれほど重かった未練を、この手で終わらせることができた。

 

 ようやく実感が追いついてきて、葵の胸は達成感でいっぱいになる。

 

「えへへへ……」

 

 緋色が撫でられながら、気持ちよさそうに目を細めた。

 

「褒美に、飯でも食いに行くかの」

 

 浅葱が言う。

 

「何か食いたいものはあるか?」

 

「――ハンバーグ!」

 

 葵はほとんど反射で答えていた。


 自分でも驚く。


 浅葱が驚いたようにこちらを見る。

 

 言ってから、葵は少しだけ目を伏せた。

 

 佳奈が、大好きだった食べ物だ。

 

 母親の作るハンバーグが一番好きだと、あの別れの中で確かに言っていた。

 

 今、胸の奥に浮かんだのは、悪霊の佳奈じゃない。

 

 泣きながら家族へ笑いかけていた、あの最後の佳奈だった。

 

「……いいね、それ」

 

 緋色が小さく笑う。

 

「今日はハンバーグにしよっか」

 

 その声がやけに優しくて、葵は黙ったまま頷いた。

 

 夕暮れの道を、三人で歩いていく。

 

 体は重かったが、不思議と心は少し軽かった。

 

 もう佳奈はいない。

 

 けれど、消えてしまったわけじゃない。

 

 佳奈が居たという事実は葵たちの心の中に残っている。



 


 葵たちは、地元でハンバーグが有名な店――牛三角へ立ち寄った。

 

 浅葱は家を空けることが多い。

 

 そのくせ生活費と小遣いだけはきっちり決めて渡すため、葵と緋色は普段ほとんど外食をしない。

 

 だからこそ、久しぶりの“ちゃんとした店”での夕食に、二人とも露骨に浮かれていた。

 

 しかも今日は浅葱の奢りである。

 遠慮などする理由がない。

 

 葵はステーキとハンバーグのセットを、緋色はツインハンバーグの一番高いセットメニューを迷いなく選んだ。

 

 浅葱はそんな二人を見て、呆れたように笑っていたが、止めはしなかった。

 

 やがて店員が料理を運んでくる。

 

 分厚い鉄板の上で、ステーキとハンバーグがじゅうじゅうと音を立てていた。

 

 湯気と一緒に肉の香りが立ちのぼり、空腹をこれでもかと刺激してくる。

 

「……誤算だ」

 

 ご馳走を前にして、葵は呟いた。

 

 目の前には夢のような肉料理。

 

 だというのに、葵は未だまともに動けないままだった。

 

 店に入る時も、結局緋色におんぶされて運ばれてきた。

 

 席に座るところまではどうにかなったものの、いざ食べようとすると、腕が思うように上がらない。

 

 まさか、ここまで降霊術が尾を引くとは思わなかった。

 

「はい、あーん」

 

 緋色が当然のように言う。

 

 その声に逆らう気力もなく、葵は口を開けた。

 

 切り分けられたハンバーグが口に入る。

 

 噛んだ瞬間、肉汁があふれて舌の上いっぱいに広がった。

 

 美味い。

 

 ……美味いのだが。

 

「いやだあああ……」

 

 葵は項垂れた。

 

「せめてじいちゃんが食べさせて……」

 

 高校生にもなって、妹から「あーん」されるとは何事か。

 

 もし知り合いに見られたら、その場で死ねる。

 

 葵は恨めしそうに目だけ動かして浅葱を見る。

 

 浅葱は喉の奥で笑いながら、その提案をあっさり却下した。

 

「ジジイからのあーんも嫌じゃろ」

 

 もっともなことを言う。

 

「お前の未熟さのツケじゃ。甘んじて受け入れろ」

 

 口では厳しいことを言っているが、明らかに面白がっていた。

 

 目元が完全に笑っている。

 

「――ほら、あーん」

 

 緋色がもう一度言う。

 

 悔しいが、葵は素直に口を開けた。

 

 今度はステーキだった。柔らかい。うまい。悔しいが、めちゃくちゃうまい。

 

 ちらりと緋色を見る。

 

 緋色の方も、自分で食べる合間に葵へ食べさせることを、まんざらでもなさそうに楽しんでいた。

 

 口元が少し緩んでいる。

 

 たぶん、こうして兄の世話を焼くのが嬉しいのだろう。

 

 情けない。

 情けないが――悪くない。

 

 肉の匂いと鉄板の音に包まれながら、葵はふとそんなことを思った。

 

 あれだけ濃い一日だったのに。

 

 佳奈との別れ、泣いて、怒って、疲れ果てたはずなのに。

 

 今こうして、浅葱がいて、緋色がいて、目の前には温かいご飯がある。

 

 それだけで、生きててよかったと思えた。


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