紅妖奇譚12
緋色と並んで夜道を歩く。
田舎のため街灯はほとんどない。月明りを頼りに歩く。靴音だけがやけに大きく聞こえた。
「……賭けは俺の勝ちだな」
葵がぽつりと言う。
「……うん」
緋色は不満そうに返した。
「自首、しなかったね」
昨夜、二人は賭けをしていた。
田淵と大垣が自首するなら緋色の勝ち。しないなら葵の勝ち。
本当は――佳奈に直接、頭を下げてほしかった。
許されるかどうかは別だ。
謝るのが筋ってものだ。
でも現実は、そんなに綺麗じゃない。
葵は息を吐く。
(……クズは、どこまでいってもクズなんだよ)
緋色は、人間の“いい部分”を見ようとする。
そして葵は、人間の“汚い部分”を見せられすぎた。
「……田淵とは、何か話した?」
緋色が躊躇いがちに尋ねる。
「……少しだけ」
話したおかげで、田淵とは決別できた。
中学の頃――初めて話しかけられた相手だった。
心のどこかで、友達だと思いたかったのかもしれない。
でも、それはまやかしだった。
今となっては、なぜあいつに気を使っていたのか分からない。
「……気は晴れた?」
「……少しだけ」
過去を清算したつもりはない。
ただ、ほんの少し前に進める気がした。
柵は、そう簡単に越えられない。
それでも――越えようとする勇気だけは忘れたくない。
「そういえば、報酬は?」
葵が尋ねると、緋色は頬を膨らませた。
「……コンビニスイーツ」
拗ねた声。
葵は小さく笑う。
「了解」
賭けは賭けだ。報酬はきっちりもらう。
帰り道にぽつんとある、やけに駐車場が広いコンビニに寄った。
緋色の好きなチョコレートケーキを一つ。
家に帰って、二人で食べた。
今までは、何を食べても美味しく感じなかったが、昔食べた時より甘く感じた。
その日は、やけにざわついていた。
学校に着いた瞬間から、生徒たちがひそひそと固まって話している。
廊下の端では先生たちも小声で集まり、表情が硬い。
――想像はつく。
昨日、葵たちが警察と新聞社に提出したもの。
それが、もう学校に届いてしまったのだろう。
緊急の職員会議。
一限目は自習になった。
葵は教科書を開く。文字を追うもなかなか集中できない。
集中できるはずもない。
気分転換に、と窓の外へ視線を逃がした――その時だった。
何かが降ってきた。
一瞬なのに、異様に長い。
時間が引き伸ばされる。
――目が合った気がした。
その目にあったのは、憎しみと――怯え。
大垣がこちらへ手を伸ばしかけた、その腕を――背後から佳奈が抱きとめるように絡め、指をきつく握り込む。
初めて見た。
斎藤佳奈の笑顔。
「――たす、け……」
(――死ね)
無慈悲に、葵は心の中で言い放った。
次の瞬間。
大量の水を詰めた袋を高いところから落としたような、嫌な音が響いた。
悲鳴。
椅子が倒れる音。
教室が、一気にパニックになる。
葵も立ち上がり、窓の外を見た。
見間違いではない。
大垣が、地面に横たわっていた。
人の形であるはずなのに、“そう見えない”角度で。
血が広がっていく。
教室は完全に壊れた。
叫ぶ声も、泣く声も聞こえてくる。
大垣が死んだ。
心底どうでもよかった。
踵を返し、自分の席へ戻ろうとした瞬間。
背中が、ひやりとした。
肩が重くなる。
振り返らなくても分かる。
そこに――背後には佳奈の気配があった。
教室のあちこちで悲鳴やざわめきが上がる。
葵はその空気に耐えきれず、教室を出て保健室へ向かった。
扉を開けると、ベッドに緋色が腰かけていた。
竹内先生の姿はなく、保健室には緋色しかいない。
「……よ」
「よお」
短く言葉を交わす。
「学校、来てたんだな」
「まあね。昨日の今日で、何かあるとは思ってたけど……まさか大垣が飛び降りるとは思わなかった」
そう言った緋色の顔は、どこか曇っている。
怒りをぶつける相手としては当然の末路でも、こんな形を望んでいたわけではないのだろう。
「……俺は、あいつがやってきたことを思えば妥当だと思うけどな」
因果応報。
そう言ってしまえば、それまでだった。
けれど、緋色はすぐには頷かなかった。
「……あんまり気にするなよ」
葵は緋色の隣に立ったまま言う。
「斎藤先輩を見えるようにしたのは、あの場じゃあれが一番だったと思う。薬を自分に打ったのだって、結局はあいつ自身だ」
死の直接の原因が佳奈なのか、薬なのか、葵にもわからない。
それでも――自業自得だという思いは揺らがなかった。
「……うん」
緋色は小さく頷く。
「ありがとう」
そう笑ったが、その笑顔はどこか曖昧だった。
「……ところで」
ふいに緋色が、葵の背後へ視線を向けた。
振り返らなくてもわかる。
そこには、大垣が死んだあとも成仏できずにいる斎藤佳奈が立っていた。
「……“復讐したい”が願いだったわけじゃ、なかったみたいだね」
「……そうだな」
葵は重く息を吐いた。
大垣へ向けられた佳奈の怒りも、殺意も、本物だった。
けれど、それを果たしてもなお消えない未練が、佳奈の中には残っている。
その直後、校内放送が鳴り響いた。
緊急の休校を告げる無機質な声が、ざわついた校舎に広がっていく。
葵と緋色は顔を見合わせ、黙って荷物をまとめると、そのまま学校を後にした。




