記憶は、嘘と想い出でできている
「久しぶり」
それは、初めて見る男性だった。
銀髪に青い瞳。
一度見たら忘れられないような、美しい色彩なのに。
その彼に、幼馴染として挨拶をされた。
――誰?
記憶にない。
そして。
確かに笑顔なのに……どうして。
彼のその瞳が、ガラス玉のように見えるのだろうか。
◇◇◇
「リオネル!いつ帰ってきてたんだよ」
兄が玄関先で、その人の肩を叩く。親しげな様子だった。
彼は苦笑いでそれを受け止めていた。
「つい先日。やっぱり生まれた国が一番だよ。文化が違って大変だった」
「あらあら、寒いでしょう?早く中に入って」
母が、二人を促して招き入れる。
今日は特に風が冷たかった。しかし、それ以上に私を凍えさせる彼の青い瞳。
幼馴染を名乗る、「リオネル」。
「久しぶりだね、エミリア。昔はよく一緒に遊んだじゃないか。懐かしいね?」
私が?やっぱり記憶にない。
「あ、あの……。お久しぶりです」
「どうしたの。僕に敬語なんて使わなかったのに」
家に入ると、愛犬がリオネルに尻尾を振って纏わりついていた。
知らない人には懐かない、気難しい性格なのに。
突然現れた人物は「幼馴染」を名乗っている。
家族の誰もがそれを疑わず、受け入れている。
私にだけ、その記憶がないの?
――何が正しいのか。
「なんだ、ご両親はまだ向こうにいるのか」
「はい。身軽な僕だけ先に帰ってきました。しばらくの間、こちらにご厄介になりますが、よろしくお願いします」
晩餐時に家族が揃った。
父が、ワインを飲みながら笑顔でリオネルに話しかける。
母が彼にどんどんと料理を勧める。
兄とは軽口を叩きあっている。
この場で、私一人が浮いていた。
◇◇◇
食後に、兄とリオネルと三人でカードゲームをする事になった。
彼から、時折視線を感じるが、私はずっとカードだけを凝視した。
「あの日から、お前――。いや、元気だったか?」
兄も何かしらに気づいたのだろうか。
リオネルは答える変わりに、綺麗な笑顔を作った。
「荷物から懐かしいものを発見してね。久々に会うから持ってきたんだよね」
彼は、胸元からロケットを取り出した。
中には――。
幼い子供が並んで描かれていた。
私だった。
ごくりと喉が鳴った。
ちゃんと、幼い頃に二人並んで描かれている絵もある。
何故記憶がないのか。
おかしい。
「リオネル……。昔の私はどんな子だった?」
一拍置いて。
彼は静かに答えた。
「……今と変わらないよ」
「そうだったかしら。昔の私はもっと――」
そこで、ふと疑問に思った。
もっと?私は今、何を言いかけたのだろうか。
「……いや、ほら。昔の話だしな。リオネル、向こうではどんな生活してたんだ?」
私が無言になってしまったからか。
兄が露骨に話を逸らした。
リオネルはしばらくの間、兄と世間話を続けていた。
「エミリア。そういえば、もう日記はつけてないの?」
「……ええ。いいえ、まだ付けてる」
しかし、不意にこちらに話を振る。
穏やかな声の中に、歪なものが混じっている気がした。
思わず、声が上擦った。
彼の質問の意図が分からず、顔色を窺いながら答える。
何故、本当のことが言えず、嘘が口をついて出たのか。
私にもわからなかった。
「……そう。昔から続けてるんだ?凄いね」
彼に言われて胸の奥がざらついた。
「今、ちょっと困ってる?……髪、触ってるよ」
そう指摘されて、はっとする。
今、私は無意識に髪を耳にかけていた。
――昔からの癖だった。
呼吸が浅くなる。
日記。
いつから書かなくなったんだろう。
昔は毎日書いていた。
たまに、遊んだ――あれは……。
記憶のどこかに引っかかるが、思い出せなかった。
日記がここにあれば、リオネルの事を思い出せたのだろうか。
だが、どこにやったのか。
その記憶すらなかった。
◇◇◇
「もうこんな時間だ。エミリア、そろそろ部屋に帰れ」
「おやすみなさい」
結構な時間が経っていたのだろう。
暖炉の薪が崩れていく音がした。
兄が声をかけてくれたので、私は立ち上がって退室の挨拶が出来た。
――ようやく息がつける。
ほっとしたのもつかの間で、再び彼が口を開いた。
「じゃあ、僕も部屋に案内してもらおうかな。いいよね、エミリア?」
「……リオネル。それは俺が――」
「久しぶりに二人で話したいんだ」
兄が渋って断ろうとするが、彼はきっぱりと断ってしまう。
「ね?いいよね、エミリア」
「……。」
嫌とも言えず、押し切られる形で部屋を後にした。
助けを求めて振り返ったが、兄はリオネルが危害を加えるとは思っていない様子だった。
笑顔で手を振られる。
……なぜ。
「ずいぶんと信頼されてるのね」
「まぁね。幼い頃から家族ぐるみの付き合いだったから」
「……そう、なのね」
「やっぱり。覚えてないんだね。君は――」
リオネルの言葉に、自然と足が半歩後ろに下がった。
何かを暴かれそうで、指が強張る。
そこで彼は口を閉ざし、窓のほうを見て呟いた。
「僕から、色々なものを奪っていくんだね……」
「……え」
いつの間にか、客間の前に立っていた。
彼はその扉を開き。
「おやすみ。寒いから、ちゃんと暖かくしてね」
――そのまま、私の前で、パタリと扉がしまった。
◇◇◇
「雪が振ってきたわ」
「エミリア。風邪を引くから」
母は、天候が悪い日はいつも私を心配する。
――もう、子供ではないのに。
今まで気にもしなかったことが、どんどんと違和感として溜まっていく。
夜のうちに振った雪は思った以上に積もっていた。
ここ数年以来の大雪らしい。
何かが引っかかる。
理由が分からないまま、じっとしていられなかった。
暖かい部屋でじっと窓の外を見る。
庭中が白く染まっている。
そんな時、部屋にノックの音が響いた。
――リオネルだった。
「少し歩きに行かない?……滅多にないでしょう。こんなに雪を見るのは」
ここで、彼にすべての疑問をぶつけてもいいかもしれない。
彼は怪しすぎる。
何故、私の事をよく知っているかのように話すのか。
何故、幼馴染を名乗るのに私の記憶がないのか。
きちんと確かめるチャンスかもしれない。
彼が何者なのかわからない。
――けれど、私の記憶の方がもっと疑わしい。
何かを、忘れている……そんな予感が胸を騒がせた。
「いいわ。私も……あなたに話がある」
「じゃあ、行こうか」
雪を踏みしめながら、ゆっくりと歩く。いつもの散歩道が、まるで別物のようだ。
愛犬だけが、軽やかに進んでいく。
どうやって話を切り出せばいいか分からない。
重い沈黙が落ちる中、私の足が滑った。
「……あ!」
「危ない……!気をつけて」
腕を掴み、支えてくれる。
その顔には、心配の色しか浮かんでいなかった。
いつもは、感情の読めない瞳で私を見るのに――。
「……昨日言っていた、私が、あなたから奪ったものって何?」
「……あの時は、感情的になっていたんだ」
「お願い、答えて!」
彼は溜め息をついて首を振った。
「正直、ずっと……君を恨んでると思ってた。でも……」
彼は一度言葉を切った。
「もういいかな。このままでも、うん……いいよ」
雪が降り積もった裏の林まで来た。
いつもと違う、真っ白に染められた世界。
犬が雪に飛び込んで、走っていく。
リードが強く引っ張られ、手放してしまった。
「ベル!」
雪景色の中を犬の背中を見送る。
追いかけなくては――。
その瞬間、記憶が重なった。
「行かないで!」
あの子は止まらなかった。
これは――。
その時、脳裏に映し出された何か。
自然と前屈みに足が崩れる。
「私、この景色……見覚えがあるわ。あの日、誰かと……」
頭痛がする。
痛む頭を押さえて。
勝手に頭の中に流れてくる映像に耐えた。
「雪が振ってた」
そう。
あの日も、こんな風に。
「あの子を……見失って……」
大切な友だち。
幼い頃、よく遊んでいた男の子。
「……なんでこんな重大なことを忘れていたのかしら……」
雪の中に消えてしまった子。
ベルを追いかけて、戻ってこなかった。
「僕もいたよ。君と一緒に探し回った。……見つかったのは翌日だった」
彼は、一度息をついた。
「僕もそこにいた。なのに君は一人で背負った」
ドサリ。
どこかで雪が崩れた音がする。
「だから……心底憎んだよ」
「……そうだったの」
昨夜振った雪は、陽光に照らされて既に溶けかけていた。
地面からは草が覗いている。
「……あの子の名前、それから思い出を教えてくれる?」
「ああ。僕も君に話したかったんだ」
彼は切なげな声で。
ただ、その表情は、雪に光が反射してよく見えなかった。
散歩を終えて、家の中に戻ると、彼は一冊のノートを取り出した。
見覚えがある。
私の日記だった。日付けを見ると、七年前で止まっていた。
「君があの日、外に放り投げたものだよ。……僕が拾って、ずっと持っていた」
二人で読み返してみた。拙い、幼い文字で色々な事が書いてあった。
たまに笑い、涙が浮いた。
そして、今日の日付を、新しいページに書き加えた。




