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あまりに残酷で幻想な大地で、僕たちは優しさの使い方をまだ知らない  作者: 抄録 家逗


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9/25

夜、それぞれの時間と幻闘の技

 夕方、街の灯りが一つ、また一つと灯り始める頃、俺たちは宿の前で一度別れた。

 今日はそれぞれ、英気を養うために別行動することに決めたからだ。


「……少し、酒を飲んでくる」

 クロは短くそう言って、肩を押さえながら酒場の方へ向かっていく。

 レオンもそれに続いた。

「情報も集めてくる。無駄にはしない」


 ミナは少し迷いながらも、小さく頷いた。

「……私、街で知り合った人と、食事に行ってくるね……」


 それぞれの背中が、街の灯りの中に溶けていく。

 俺は一人、自分の腰に下げた最初から使い続けている剣を確かめながら、武器屋が並ぶ通りへと歩き出した。


*****武器屋通り*****


 昼間に比べて、夜の武器屋通りは静かだった。

 鉄の匂い、油の匂い、鈍く光る刃物の反射。どの店にも、強そうな武器が並んでいる。


 俺は自分の剣を腰から抜き、ショーケース越しに並ぶ剣と見比べた。


「……やっぱり、全然違うな……」


 値札を見るたび、現実を突きつけられる。


 銀貨三十枚。

 銀貨五十枚。

 安いものでも銀貨十五枚以上。


 今、俺たちのPTにある資金は、貯金の銀貨一枚だけ。

 個人の銀貨一枚ずつを合わせても、まるで足りない。


 俺は店の前で立ち尽くし、乾いた笑いを漏らした。

「……結局、今の剣で戦うしかない、か……」


 剣を買い替えるどころか、修理すら簡単ではない。

 それでも戦わなければならない。銀貨十五枚を稼ぐという現実も突きつけられている。


 どうすればいいのか分からず、通りの端に腰を下ろしたとき――


「……そんな顔で、自分の剣を見ていたら、刃も悲しむわよ」


 聞き覚えのある声が、夜気の中で響いた。


 顔を上げると、そこにいたのは昼に会ったあの幻闘士の女性だった。

 革鎧に薄紫のマント、鋭い目。背中に背負った奇妙な武器も変わらない。


「……アヤ、だったよな」

「ふふ、ちゃんと覚えていたのね、ショウタ」


 名前を呼ぶと、彼女――アヤ・ミストラルは小さく笑った。


「武器を探してたんです。でも……」

「値段を見て、絶望した。でしょ?」


 図星だった。俺は苦笑する。

「……正直、何も買えませんでした」


 アヤはショーケースの剣と、俺の腰の剣を交互に見て、静かに言った。

「今のあなたに必要なのは、新しい武器じゃないわ」

「……え?」


「“生き残るための技”よ。どんな剣でも、死ねば意味がない」


 そう言って、アヤは俺の前に立った。

「約束は保留にしたけど……今夜だけ、特別にひとつ教えてあげる」


「……ひとつだけ?」


「十分すぎるくらいよ。使えるようになればね」


*****広場*****


「ここなら、誰もいないわね」


 夜の広場は不気味なほどに静かで、月に照らされた彼女は妖しい雰囲気と、魅惑的な雰囲気が織り混ざったような、なんとも言えない空気感を出していた。


 次の瞬間――

 アヤの姿が、まるで幻のように掻き消える。

 そして、アヤは俺の背後に立ち、低い声で言った。

「これは“幻歩(げんぽ)”。幻闘士の基礎技よ」


「幻……歩……」

「一瞬だけ、敵の意識から自分の位置を“ずらす”技。速さじゃない。錯覚を起こさせるの」

 

 振り向いた俺に、アヤは微笑む。


 そしてまた――

 アヤの姿が、視界から消えた。


 いや、消えた“ように見えただけ”だ。


 気配は、すぐ背後。


「……っ」


 振り向いた瞬間、アヤはそこにいた。

「今のが幻歩。分かった?」


 俺は息を呑んだ。

「……目で追えなかった……」


「だから生き残れる。正面から打ち合うより、ずらして、外して、殺されない」


 アヤは俺の胸に、指で軽く触れる。

「あなたは“前に出る剣士”じゃない。“消える剣士”よ」


 アヤはゆっくりと足を運び、動きを分解して見せる。

 重心の移動、視線の切り方、踏み込みの角度。


 俺は何度も失敗しながら、必死に真似をした。


 成功とは言えない。

 だが一度だけ――確かに、世界が“ずれた”感覚があった。


「……今の……」

「ええ、今のよ、ショウタ」


 アヤは満足そうに微笑んだ。

「今日はここまで。続きは……本当に弟子になる覚悟が決まった時ね」


「銀貨は……?」

「だから言ったでしょ。あなたには、いらないのよ」


 意味深な言葉だけを残し、アヤは夜の通りへと溶けるように消えていった。


*****レオンとクロ*****


 ――その頃、酒場。


 薄暗い灯りの中、クロとレオンは向かい合って酒を飲んでいた。


「……肩は大丈夫か」

 レオンが静かに聞く。

「……痛むが、鈍れば動けなくなる」


 クロは酒を煽り、低く息を吐いた。

「……銀貨十五枚、簡単じゃない」

「……だからこそ、情報が要るな」


 二人は多くを語らず、ただ酒を飲みながら、街の噂と高額報酬の依頼を静かに拾っていた。


*****ミナ*****


 ――一方、ミナ。


 小さな食堂で、ミナは同年代の少女と向かい合っていた。

 その少女も、剣と短剣を腰に下げた別PTの冒険者だった。


「……私、まだ新人で……」

「私もよ。昨日、やっと初討伐だったんだ」


 互いにぎこちなく笑う。


「……私、怖くて、何度も逃げそうになる……」

「分かる。私も、足が震える」


 温かいスープを口に運びながら、ミナは小さく呟いた。

「……でも、守りたい人がいるから……」


 少女は少し驚いてから、優しく笑った。

「いい仲間がいるんだね」


 ミナの胸の奥に、確かな温もりが灯った。


*****宿*****


 夜が深まり、俺たちは再び宿に集まった。


 クロは肩を押さえつつも、酒の影響か少しだけ表情が緩んでいる。

 レオンは街で聞いた依頼の噂を簡単に共有した。

 ミナは照れながら、別PTの少女の話をしてくれた。


 そして俺は――アヤのことと、教わった技のことを話した。


「幻闘士……アヤ、か」

「……そんな職業があるとはな」

「……すごい……消えたみたいだったんでしょ……」


 皆が驚く中、俺は自分の足を見つめる。

「……生きるための技を、もらった」


 沈黙の後、クロが短く言った。

「……それでいい」


 レオンも頷く。

「生きていなければ、銀貨も師匠も意味がない」


 ミナは小さく微笑んだ。

「……ショウタが生きていれば……それだけで……」


 少し胸の奥が、熱くなった。 


 それぞれが、違う夜を過ごし、違うものを得た。


 酒と情報。

 友情と温もり。

 そして――生きるための技。


 だが目的は一つ。


 銀貨十五枚を稼ぎ、皆が正式に師匠に弟子入りすること。


 鈍色の夜空の下、俺たちはそれぞれの布団に入り、次の戦いに備えて目を閉じた。


 アヤに教わった“幻歩”の感覚を、何度も反芻しながら――。


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