夜、それぞれの時間と幻闘の技
夕方、街の灯りが一つ、また一つと灯り始める頃、俺たちは宿の前で一度別れた。
今日はそれぞれ、英気を養うために別行動することに決めたからだ。
「……少し、酒を飲んでくる」
クロは短くそう言って、肩を押さえながら酒場の方へ向かっていく。
レオンもそれに続いた。
「情報も集めてくる。無駄にはしない」
ミナは少し迷いながらも、小さく頷いた。
「……私、街で知り合った人と、食事に行ってくるね……」
それぞれの背中が、街の灯りの中に溶けていく。
俺は一人、自分の腰に下げた最初から使い続けている剣を確かめながら、武器屋が並ぶ通りへと歩き出した。
*****武器屋通り*****
昼間に比べて、夜の武器屋通りは静かだった。
鉄の匂い、油の匂い、鈍く光る刃物の反射。どの店にも、強そうな武器が並んでいる。
俺は自分の剣を腰から抜き、ショーケース越しに並ぶ剣と見比べた。
「……やっぱり、全然違うな……」
値札を見るたび、現実を突きつけられる。
銀貨三十枚。
銀貨五十枚。
安いものでも銀貨十五枚以上。
今、俺たちのPTにある資金は、貯金の銀貨一枚だけ。
個人の銀貨一枚ずつを合わせても、まるで足りない。
俺は店の前で立ち尽くし、乾いた笑いを漏らした。
「……結局、今の剣で戦うしかない、か……」
剣を買い替えるどころか、修理すら簡単ではない。
それでも戦わなければならない。銀貨十五枚を稼ぐという現実も突きつけられている。
どうすればいいのか分からず、通りの端に腰を下ろしたとき――
「……そんな顔で、自分の剣を見ていたら、刃も悲しむわよ」
聞き覚えのある声が、夜気の中で響いた。
顔を上げると、そこにいたのは昼に会ったあの幻闘士の女性だった。
革鎧に薄紫のマント、鋭い目。背中に背負った奇妙な武器も変わらない。
「……アヤ、だったよな」
「ふふ、ちゃんと覚えていたのね、ショウタ」
名前を呼ぶと、彼女――アヤ・ミストラルは小さく笑った。
「武器を探してたんです。でも……」
「値段を見て、絶望した。でしょ?」
図星だった。俺は苦笑する。
「……正直、何も買えませんでした」
アヤはショーケースの剣と、俺の腰の剣を交互に見て、静かに言った。
「今のあなたに必要なのは、新しい武器じゃないわ」
「……え?」
「“生き残るための技”よ。どんな剣でも、死ねば意味がない」
そう言って、アヤは俺の前に立った。
「約束は保留にしたけど……今夜だけ、特別にひとつ教えてあげる」
「……ひとつだけ?」
「十分すぎるくらいよ。使えるようになればね」
*****広場*****
「ここなら、誰もいないわね」
夜の広場は不気味なほどに静かで、月に照らされた彼女は妖しい雰囲気と、魅惑的な雰囲気が織り混ざったような、なんとも言えない空気感を出していた。
次の瞬間――
アヤの姿が、まるで幻のように掻き消える。
そして、アヤは俺の背後に立ち、低い声で言った。
「これは“幻歩”。幻闘士の基礎技よ」
「幻……歩……」
「一瞬だけ、敵の意識から自分の位置を“ずらす”技。速さじゃない。錯覚を起こさせるの」
振り向いた俺に、アヤは微笑む。
そしてまた――
アヤの姿が、視界から消えた。
いや、消えた“ように見えただけ”だ。
気配は、すぐ背後。
「……っ」
振り向いた瞬間、アヤはそこにいた。
「今のが幻歩。分かった?」
俺は息を呑んだ。
「……目で追えなかった……」
「だから生き残れる。正面から打ち合うより、ずらして、外して、殺されない」
アヤは俺の胸に、指で軽く触れる。
「あなたは“前に出る剣士”じゃない。“消える剣士”よ」
アヤはゆっくりと足を運び、動きを分解して見せる。
重心の移動、視線の切り方、踏み込みの角度。
俺は何度も失敗しながら、必死に真似をした。
成功とは言えない。
だが一度だけ――確かに、世界が“ずれた”感覚があった。
「……今の……」
「ええ、今のよ、ショウタ」
アヤは満足そうに微笑んだ。
「今日はここまで。続きは……本当に弟子になる覚悟が決まった時ね」
「銀貨は……?」
「だから言ったでしょ。あなたには、いらないのよ」
意味深な言葉だけを残し、アヤは夜の通りへと溶けるように消えていった。
*****レオンとクロ*****
――その頃、酒場。
薄暗い灯りの中、クロとレオンは向かい合って酒を飲んでいた。
「……肩は大丈夫か」
レオンが静かに聞く。
「……痛むが、鈍れば動けなくなる」
クロは酒を煽り、低く息を吐いた。
「……銀貨十五枚、簡単じゃない」
「……だからこそ、情報が要るな」
二人は多くを語らず、ただ酒を飲みながら、街の噂と高額報酬の依頼を静かに拾っていた。
*****ミナ*****
――一方、ミナ。
小さな食堂で、ミナは同年代の少女と向かい合っていた。
その少女も、剣と短剣を腰に下げた別PTの冒険者だった。
「……私、まだ新人で……」
「私もよ。昨日、やっと初討伐だったんだ」
互いにぎこちなく笑う。
「……私、怖くて、何度も逃げそうになる……」
「分かる。私も、足が震える」
温かいスープを口に運びながら、ミナは小さく呟いた。
「……でも、守りたい人がいるから……」
少女は少し驚いてから、優しく笑った。
「いい仲間がいるんだね」
ミナの胸の奥に、確かな温もりが灯った。
*****宿*****
夜が深まり、俺たちは再び宿に集まった。
クロは肩を押さえつつも、酒の影響か少しだけ表情が緩んでいる。
レオンは街で聞いた依頼の噂を簡単に共有した。
ミナは照れながら、別PTの少女の話をしてくれた。
そして俺は――アヤのことと、教わった技のことを話した。
「幻闘士……アヤ、か」
「……そんな職業があるとはな」
「……すごい……消えたみたいだったんでしょ……」
皆が驚く中、俺は自分の足を見つめる。
「……生きるための技を、もらった」
沈黙の後、クロが短く言った。
「……それでいい」
レオンも頷く。
「生きていなければ、銀貨も師匠も意味がない」
ミナは小さく微笑んだ。
「……ショウタが生きていれば……それだけで……」
少し胸の奥が、熱くなった。
それぞれが、違う夜を過ごし、違うものを得た。
酒と情報。
友情と温もり。
そして――生きるための技。
だが目的は一つ。
銀貨十五枚を稼ぎ、皆が正式に師匠に弟子入りすること。
鈍色の夜空の下、俺たちはそれぞれの布団に入り、次の戦いに備えて目を閉じた。
アヤに教わった“幻歩”の感覚を、何度も反芻しながら――。




