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あまりに残酷で幻想な大地で、僕たちは優しさの使い方をまだ知らない  作者: 抄録 家逗


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3/25

恐怖の森と、名前のない獣

 鈍色の空が、頭上で重く垂れ下がっている。昨日見た死体の光景が、頭の奥で何度も繰り返され、まるで現実ではなかったかのように錯覚させる。俺――ショウタ――は、剣を握る手の震えを押さえながら、仲間たちの足音を追った。


 小柄な黒髪の少女、ミナは、まだ体を小刻みに震わせ、歩くたびに靴底がぬかるみに沈む音が響く。俺はその背中を何度も振り返りながら、無事を確認せずにはいられなかった。


 目つきの鋭い少年、クロは、枝や倒木を避けながら前を歩く。鋭い目は、昨日の戦いで見た光景を焼き付けたまま離れず、彼自身の心の重さを示していた。


 レオンは、棒を握ったまま、時折後ろを振り返りながら慎重に歩く。誰もが緊張に包まれ、森の静けさすら恐怖に変わっていた。


 俺たちは今、廃墟の街を抜け、目的地も分からぬまま、未知の森へと踏み込んでいた。木々は鈍色の影を落とし、風が揺らすたびに葉が擦れる音が骨の奥まで冷たく響く。森全体が、何かを隠すかのように沈黙していた。


「……ここ、安全なのか……」

 俺の声は震え、空気に溶けるように消えた。


「安心できる場所なんて、ここにはないさ……」

 レオンが低く呟く。昨日の戦闘で削られた心の痛みが、声に滲んでいた。


 森の奥へ進むにつれ、地面はさらにぬかるみ、倒木や枝が足元を邪魔した。雨で濡れた落ち葉が滑りやすく、足を取られるたびに体勢を崩しそうになる。


 突然、何かが茂みを揺らした。

 俺たちは全員、武器を構えた。心臓が喉元まで跳ね上がる。


 影が現れる――だが、姿ははっきりしない。背の低い影、四つん這いで動くもの、光を反射する目。


 ――名前は、まだ分からない。


 クロが短剣を握りしめて前に出る。「気を抜くな……奴らは待っている」

 俺も剣を前に突き出す。手のひらが汗で滑る。


 森の奥から、不意に低い呻き声が響いた。濁った声が、体の奥まで震わせる。


 影がこちらに向かって飛び出してきた。体は黒ずみ、異様に長い手足が曲がり、不自然に伸びる。目は濁った黄色で、鋭い牙が口元に泡を浮かべている。


 俺は反射的に剣を振る。刃はかろうじて肩に浅く当たった。痛みが指先に伝わる。生きている感触。


 クロが短剣を投げる。刃が影の胸に突き刺さる。影は呻きながら体を反転させ、爪でクロの肩に深く食い込む。クロの叫び声が森に響く。


「クロッ……!!」

 俺の声が震える。レオンもミナも絶句したまま立ち尽くす。


 影は隙を見て再び襲いかかる。名前も正体も分からない存在に、仲間を奪われる光景を、もう二度と見たくない。


 俺は剣を握り、力の限り振るう。刃が影の肩を斬り裂く。影は呻き、地面に崩れ落ちる。


 クロに駆け寄る。肩の傷は深く、血が止まらない。意識はあるが、痛みで唸る。

「……まだ……生きてるか……?」

 クロはわずかに頷く。


 森は静寂に包まれる。しかし、奥からは依然として不穏な気配が漂う。小枝が折れる音、落ち葉がこすれる音、それらが全て敵の足音に聞こえた。


 俺たちは少し進み、倒木の陰で休むことにした。息を整えながら、仲間の顔を確認する。


 「……私たち、本当にここで生き延びられるのかな……」

 ミナが震える声で呟く。


 レオンは黙ったまま、ただ黙々と棒を握り、周囲を見回している。目に恐怖があるが、それ以上に、戦う覚悟が滲んでいた。


 俺も自分を奮い立たせる。恐怖に押し潰されるわけにはいかない。

 この世界では、名前も過去も知らぬ者が、今日も誰かを奪い、また別の誰かが生き延びる――それが現実なのだ。


 休息を取った後、森の奥を慎重に進む。枝をかき分け、ぬかるみを避け、地面の異変を警戒する。足元に潜む罠も、敵も、全てが見えない。視界の隅で動く影に、心臓が跳ね上がる。


 森の深部で、小川を見つけた。水は濁り、少し腐った匂いがする。

 ミナが手ですくって口に運ぶ。レオンも、クロも、俺も、順番に水を飲む。冷たさと泥の味が、体に現実感を与えた。


 その間、俺たちは互いに言葉を交わした。

「……俺たち、どうやって生き延びればいいんだ?」

「まずは、死なないことだろうな……」

「……でも、いつ死ぬか分からない……」


 沈黙の中、俺たちは生きることの重さを改めて感じた。

 敵の名前も、正体も分からない。

 それでも、戦い続け、仲間を守らなければならない。


 鈍色の空の下、森の奥で息を潜めながら、俺は思った。

 ――まだ、優しさの使い方を知らないまま、この世界で生き延びることを覚えなければならない。


 そして、今日も誰かが死に、誰かが生き延びる。

 それが、この残酷な幻想の大地のルールなのだと。

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