幻闘士の弟子入り、七日間の地獄〜四日目〜
夜明け前。まだ街は静かで、遠くで鶏が鳴く。
俺は昨夜と同じ寝台から起き上がり、身体を軽く伸ばす。
昨日までの“逃げる修行”で、筋肉は鉛のように重く、だが頭は冴えていた。
昨日までの反射と判断の感覚が、少しずつ身体に沁み込んでいる。
「……おはよう、ショウタ」
アヤの声で現実に戻る。
彼女は短剣を腰に帯び、既に戦闘態勢だ。
「今日は“幻を見て動く”」
「……幻?」
昨日までの訓練は、すべて“現実の攻撃”を避けるためのものだった。
だが今日は、実体のない攻撃を避ける――幻に触れるという。
*****訓練場跡*****
朝露で濡れた地面に立つと、アヤが俺の周囲をぐるりと一周する。
「目を閉じなさい」
「……え?」
半信半疑で目を閉じる。すると――
風の気配、地面の小石の感触、遠くの木の葉の揺れ。
昨日までは視覚と聴覚で回避していたものが、今は意識の中心になった。
「ここからは、目じゃなく“感覚”で判断する」
その瞬間、空気が変わる。
地面の振動。
視界に映らない何かの気配。
俺の身体が、一瞬にして反応する。
*****午前*****
短剣が、視界に現れないまま飛んできた。
俺は直感で踏み込み、躱す。
次は右側。
地面を踏む圧の違いで、距離を測り、転がる。
目を閉じたまま、何度も攻撃を受ける。
手応えは、ない。痛みもない。だが――
生死の緊張は、昨日以上だ。
「感覚を、信じなさい」
アヤの声が、周囲の風と重なって響く。
午前の終わり、俺はまだ倒れない。
だが、幻の攻撃は、一瞬たりとも油断を許さない。
*****昼*****
昼食は昨日同様、干し肉とパン、水。
ただ、今日は口に入れる前に、一呼吸置く。
午後の訓練は、“攻撃が視覚化される”段階に入る。
短剣の軌道は、かすかに光の揺れとして目の端に映る。
目で捉えた瞬間、反応が遅くなるため、感覚で予測することが重要だ。
最初は失敗ばかりだった。
幻の短剣にかすめられ、地面に倒れる。
だが、昨日までの経験が身体に染み込み、少しずつ回避率が上がる。
*****午後後半*****
アヤは突然、足元の板を叩いた。
それが小さな衝撃波となり、幻の攻撃がさらに複雑に絡み合う。
視覚だけに頼れない状況。
身体と意識を、攻撃の“気配”に集中させる。
何度目かの挑戦で、短剣が頭上をかすめる。
直感と反応が噛み合い、初めて――完全に躱す。
「やっと、見えたわね」
アヤの声に、胸が熱くなる。
目を閉じたままでも、攻撃を感知し、避けられる――
それが今日の成果だ。
*****夕方*****
地面に座り込み、呼吸を整える。
心地よい疲労感とともに、頭が冴え渡る感覚。
昨日までとは違う、“戦う身体”がここにある。
「今日の進歩は大きい。あなたの感覚は、目よりも先に動いているわ」
アヤが短剣を鞘に戻し、俺の肩に軽く手を置く。
その瞬間、達成感が静かに込み上げてきた。
*****夜・アヤの家*****
布団に横たわると、身体の重みが床に沈む。
だが、頭の中は今日の動きの再生でいっぱいだ。
幻を避け、空間を読む。
直感と反応――
それらを信じることが、幻闘士としての第一歩。
「……明日も、さらに……」
小さく呟く。
アヤの声が、壁越しに聞こえる。
「明日は、“幻を斬る”よ」
「……斬る……?」
「ええ。見えなくても、感じるものを切り刻む。幻の攻撃に反撃するのよ」
その言葉に、眠気は一瞬で吹き飛んだ。
こうして――
幻闘士修行、四日目が終わった。




