海底墓場にて
「警笛、警笛ー!」
「左舷に獣!
衝撃に備えよッ!!」
常夜の海の海上では、獣と軍艦が戦っていた。
海に逃れた獣もいるのである。
それらは、概して陸上の獣より大きい。
女の乳や脚が液状化し、溶け合った不気味な海の上。
クジラより大きな獣と軍艦が死闘を繰り広げていた。
「艦の傾斜が止まりません!
た、退艦命令を!!」
「甲板長!
もっと気の利いた冗談を言え!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
城ぐらいある大きな獣が海面から飛び上がった。
その巨体を90門級の戦列艦にぶつける。
5000トンを超える軍艦が激震する。
「助けてくれぇぇぇ!」
「うわああっ!!」
「母さーん!」
軍艦は、甲板も艦内も地獄だ。
衝撃で人間と積荷が攪拌される。
波しぶきの代わりにバラバラの女の身体が甲板に降り注ぐ。
それらが集まると一匹の夢魔となって水兵に襲い掛かった。
妖艶な夢魔が水兵に豊満な体を巻き付ける。
男は、精気を吸い上げられ、やがて瞳の輝きを失う。
女は、悪魔の子を孕むだろう。
「す、水銀弾を!」
艦内の弾薬庫に水兵が駆け込む。
中は、宿礼院の怪物の紋章が入った木箱が積み上げられている。
中身は、新型の水銀弾だ。
通常の水銀弾は、狩人の血と混ぜ合わせることで怪異に対抗する威力を作る。
威力は、血質に左右され、並の人間の血では、ほとんど効果がない。
しかし宿礼院は、清められた水銀に夢魔の体液を混ぜ、恒常的に威力を保った水銀弾を発明した。
こちらは、撃つ直前に血を混ぜる必要がない。
「早く開けろッ!」
水兵たちは、大急ぎで荷を解き、木箱を開ける。
そしてこの新型水銀弾を水兵たちが仲間に分配した。
「これ、効くのか!?」
「うるさい!
黙ってやれ!」
真偽も分からぬまま水兵は、構える小銃の先に夢魔を捉えた。
なかば自棄っぱちで引き金を引く。
青い火が銃口から吹き出し、放たれた銃弾は、確かに夢魔を倒したのである。
「……いけるぞ。」
艦のあちこちで夢魔と水兵の戦闘が始まった。
諦めかけていた水兵たちは、嬉々として反撃に移った。
獣たちも無数の夢魔が張り付いていた。
苦しいのか海面で沼田打ち回っている。
「■■■■■■■■■■■■■■■ァァ■■■■!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
「■■■■■■■ォ゛ォ゛■■■■■■■■■■■■■■!!」
巨大な獣たちを統率するのは、一匹の白い獣だ。
恐らく海底で戦う赤い”大鹿”とは、また別の”大鹿”だろう。
この大戦争は、黒薔薇を巡るものなのか?
ロイド少年は、耳にかけた薔薇に手を添える。
今、少年と夢魔は、海中を進んでいる。
途中まで二人を追っていた鑑定官たちは、姿が見えなくなった。
しばらくすると海底に墓石が並んでいるのが見えた。
海底墓場だ。
「本当に……お墓だ。」
そこは、巨大な夢魔の底にある以外は、普通の墓地と変わらなかった。
むしろ地上の植物が茂っていることは、異常と言えるだろう。
また魚一匹、泳いでいなかったがここには、様々な海中生物がいた。
魚やエビ、カニのようなごく当たり前の生き物だ。
「なんか変なの。」
少年は、墓石のひとつに近づいてそう呟いた。
地上の植物や虫と海中の生き物が同時に墓石の表面に着いている。
まさに奇景であった。
「ここは、悪夢の世界でもかなり歪な場所だ。
黒薔薇の守護で私たちは、ここに立っていられる。」
とオルフィスは、墓石の一つに腰かけた。
「…お祖父さんのお墓って、どれだろう。」
「ちょっと、それは…。
それは、夢の中で聞いてなかったのかい?」
オルフィスは、困ったように笑う。
とはいえ海底墓地は、何もここ一つではない。
この常夜の海の底のあちこちにある。
一つの墓を見つけるのに10年かかっても足らないだろう。
「てっきりすぐに見つかると…。」
少年は、海底に座り込んでしまった。
ここに辿り着くまでが冒険の終わりではなかった。
虚しい空気が海底墓地に流れた。
ここに来て手掛かりが尽きた。
「あっ!」
意気消沈していた少年の目の前に不気味な人影が現れた。
獣の狩人だ。
「……また出た!」
少年は、立ち上がるが今は、武器もない。
オルフィスも疲れ切っていた。
「か………アっ。」
やおら狩人の口元を覆うマスクが外れた。
そして狩人の口から一匹の悍ましい顎口虫が顔を出したのである。
「ひいっ!
いやあああッ!!」
ビックリして少年は、オルフィスに縋った。
寒気がするような光景だった。
人間の口から大きな虫が伸びている。
蠕虫は、多くの細かな足を動かしながら身を捩った。
しかもその血にあらゆる怪異を退ける狩人に寄生する虫だ。
尋常の寄生虫ではなかった。
「ひゃあああっ!!」
「驚かないで。」
虫の声だった。
「ミュアゲルの裔、ロイド・スタンリー・ジュニア。
獣になったトーマス・ウェスティングハウスの孫だろう?
ピッツフィールドのバンガー77番地の22に住んでいる?」
狩人の口から出た寄生虫に話しかけられて少年は、頷いた。
「え、ええ………はい。
僕は、トーマスお祖父さんに呼ばれて来ました。」
自分でも何やってるんだろうと少年は、思った。
相手は、得体が知れない。
狩人や血統鑑定官よりよっぽど怖い相手じゃないのか。
けれどここまで夢魔の助けで来た。
今更、悪夢に這いまわる虫に怯えてどうなるものでもない。
「私は、墓守だ。
この狩人の中で産まれ、ここで育った。
私には、親の記憶も仲間との思い出もない。
だからここで家族を弔う君たちが羨ましいよ。」
ピカピカと光る複眼を持つ巨大な蠕虫は、そう言った。
虫にもそういった感情があるのか。
それとも演じているのか。
「着いて来なさい。
墓まで案内しよう。」
寄生虫は、狩人の身体を使って歩き出した。
少年と夢魔は、彼の後ろに続く。
海上では、軍艦と獣が戦っていた。
恐らく海底に降着した狩人と獣も戦っているだろう。
時折、大砲の炸裂音が聞こえてくる。
「……獣の墓標にまで血に飢えた狩人たちがやって来るなんてな。」
寄生虫は、歩きながらそう呟いた。
「私は、このように生まれた。
神は、私をこのように作った。
私は、このように生きていくしかないんだ。」
寄生虫は、体を折り曲げて後ろの少年にそう話しかけた。
無数の足がチロチロ動いているのが気持ち悪かった。
だが彼の言う通りだ。
彼も獣も望んでこんな姿になった訳じゃない。
「さあ、あの方の立っているところだよ。」
寄生虫は、狩人の腕を伸ばした。
その先に悪夢のような景色が見えた。
海底がより深くなっているところに獣が集まっていた。
どれも普通の動物や鳥とも魚とも違う病的な姿をしている。
醜く歪み、誰とも似ていない。
それでも彼らは、生きて来た。
狩人の追跡を逃れて。
その獣たちを引き連れて美しい女が立っている。
赤髪の若い女だ。
「こっちだぴょーん!」
女は、少年を見かけると気の抜ける挨拶をした。
手を振って少年を招く。
「あ、あなたは?」
「ふにゃあ。
私がミュアゲルなのです。」
近づくとミュアゲルは、普通の人間じゃないことに気付いた。
ハッキリと何が違うとは言えないが人間じゃない。
少年は、背筋がゾクゾクと刺すように痛むのが分かった。
「ようこそ、我らが血族の末裔よ。」
ミュアゲルがそう話した時、少年は、気付いてしまった。
そうだったのだ。
自分は、ミュアゲルの裔。
ここに集まった―――オルフィスを除く全員と同じ。
「あ……。」
初めて少年は、いや、寄生虫は、自分がロイドの中に住んでいることに気付いた。
この人間の頭蓋の中に自分がいる。
「さあ、我が血族、トマスの墓に黒薔薇を。」
ミュアゲルは、そう言って自分の耳に差した薔薇を取る。
他の獣たちも一斉に黒薔薇を取り出した。
少年も自分の薔薇を手に取る。
参列者たちは、次々に墓に黒薔薇を手向けた。
墓の周りは、黒い薔薇で埋め尽くされ、黒い花弁は、星々が明滅し、旋回している。
それは、巨大な宇宙を写し取った鏡のように見えた。