剣舞
”ランクサストル公の大鹿”。
それは、狩人たちの間で使われる一種の隠語である。
ランクサストル公は、王の狩りを取り仕切る大狩猟官を世襲していた。
つまり宮廷行事を任されていた貴族である。
この表向きの行事とは別に大狩猟官は、ある獣の探索を任されていた。
それが”大鹿”だ。
「××××××××…ッ!」
人が人を失った姿である獣の鳴き声は、特有のものだ。
動物とも人とも鳥とも違う。
だから自然の動物と見間違えることはない。
”大鹿”は、その名の通り頭に角があった。
―――どう見ても鹿には見えないが
全身が真っ白で一種の神々しさ、威厳を感じる。
だが他の獣と同じくどんな動物にも似ていない。
強いて言えばこの姿は、長い毛のあるゾウといえた。
”欲望”。
この得体の知れない魔剣は、夢魔の楽園に忘れられていた。
今、それは、ロイド少年の手にある。
一見、ただの鉄剣だが持ち主と絆を結ぶ。
そして刃が赤く輝く時、魔力を送り込んで狂戦士に変えるのだ。
高々と飛び上がり、旋回し、宙返りする。
それは、剣の舞踏のようでもあった。
真っ白な獣と赤く輝く少年は、夜の砂漠で激突した。
どちらも一陣の突風を起こし、衝突が大地と星々を揺らした。
「うわああっ!」
「す、すごい音だ!」
蒼天院の狩人たちは、目を塞ぎ、顔を背けた。
「何やってる!
獣を前に逃げ出すつもりか!?」
一人の狩人が言った。
だが別の狩人は、顔を歪ませた。
「聞いたことねえか?
”ランクサストル公の鹿”は、普通の獣と違うって。」
「はあ?」
「王族や英雄が獣になったんだって噂だぜ。
俺は、王族殺しにはなりたくねえ!」
「な、なにを根拠のない噂話をしてるんだ!」
蒼天院の狩人に動揺が広がり始めた。
もちろん彼らは、”大鹿”の情報を正確に知らない。
今、ここに現れた獣が件の”大鹿”なのか確証もない。
だが圧倒的な姿、その強さに惧れを感じるのも仕方なかった。
「何をやっているでありますかッッ!
ただちに攻撃を始めるでありますッッ!!」
軍曹ベッチー・バッチの檄が飛ぶ。
壊走寸前の蒼天院の狩人たちは、逃げ足を止めた。
「我々は、黒薔薇を確保し、獣撃滅の手段とするために来たッ!
それがこの場に及んで獣に臆するとは、何事でありますかッッ!!」
「し、しかし軍曹…。
お、王族の獣なんて畏れ多い……。」
そうジョバンニ大尉が青い顔でいった。
彼が名目上、この場の指揮官である。
軍曹は、大尉を睨んだ。
「何を言っているでありますかッ!
大尉、お前が兵たちの先頭に立つでありますッッッ!!!」
私と獣、どっちが怖い。
軍曹は、そう言いたげな目で大尉を睨んだ。
大尉の取るべき選択肢はひとつしかない。
「お前ら、俺に続けー!」
大尉は、他の狩人たちと共に突撃した。
颯爽と軍曹も大尉に続く。
「何やってんだ。
これじゃ滅茶苦茶だよ。」
様子を見ていた夢魔オルフィスは、唖然とした。
経験が乏しい新人の教練のはずだったろうに。
”大鹿”と”欲望”の戦いに巻き込まれ、狩人たちが引き千切られていく。
だが助かった。
狩人が”大鹿”に狙いを変えてくれたおかげで身動きが取れる。
「ロイド!
戻って来い!!」
夢魔は、少年を呼んだ。
一瞬、魔剣に支配されていた少年の腕が止まる。
「ふうっ!」
少年は、再び魔剣の力を抑え込んだ。
正確には、力だけを引き出し、暴走を止めたのだ。
「来て、オルフィス!」
少年は、”大鹿”から距離を取ると手をあげる。
それをすかさず夢魔が拾い上げ、空に舞い上がった。
二人は、血みどろの戦いから離脱したのだ。
「×××××××××××が×××××ッッ!」
”大鹿”が吠えた。
突如、目に見えない何かで夢魔と少年は、獣に引き寄せられる。
「う、なあっ!?
あの獣、魔法みたいなモノも使えるのか!?」
夢魔オルフィスは、懸命に翼を動かすが逃げ切れない。
信じられない力で引き寄せられる。
「待って!
うう……うわああッ!!」
少年は、”欲望”の魔力を解き放った。
止め処ない毒々しい力の流れが放出される。
それは、”大鹿”の力場と拮抗し、二人を空中に留めた。
空中に静止した少年は、魔剣を手に獣を見下ろす。
”大鹿”も少年を見上げていた。
そのまま暫く”大鹿”は、その場に悔しそうに立っていた。
蒼天院の狩人たちは、その間も銃撃を繰り返していた。
だが獣は、全く動じない。
「ううっ……!
大尉、我々の攻撃は、効いていません!!」
狩人が泣き言を訴える。
だが大尉は、金切り声で同じ命令を繰り返した。
「撃てーッ!」
しかし”大鹿”は、諦めたらしい。
腹癒せとばかりに首を大きく振り回して狩人たちを小石のように弾き飛ばした。
「ぎゃああ!」
「う、うわああ!」
「死にたかあーッ!?」
暫く流血を楽しむと”大鹿”は、砂漠の地平線に駆けて行った。
同時に蒼天院の狩人たちも黒薔薇を諦め、撤退する。
「撤退!」
灰青色の狩人たちは、一斉に駆けて行く。
背中越しに軍曹だけが悔しそうに少年と夢魔を睨んでいた。
「口を惜しいでありますな。
ここまでの距離で黒薔薇を逃すとは。」
敵は、いなくなった。
だが少年と夢魔にとって何も解決していない。
疲れ切った状態で砂漠の真ん中に放り出されている。
しかも移動手段として連れて来たゾウも奪われた。
おまけに獣も狩人も新手は、幾らでもやってくるのだ。
「けほ、けほっ。
はあ、はあ、はあ、はあ……。」
少年は、”欲望”を砂の上に手放した。
恐らく魔剣に頼れば体力も回復するだろう。
だがそれは、魔剣の精神支配を強めることになる。
力に簡単に依存することになるのだ。
信じられないことに”欲望”は、無制限に使える。
それによって起こる殺戮と破壊が目的なのだ。
(どうする?)
少年は、魔剣を見つめて考えた。
黒薔薇を渡された時、こんな冒険になるとは、思っていなかった。
だが今も獣として葬られた祖父の願いを叶えたい気持ちはある。
家族や友人も訪れない海底墓場で祖父は、待っているのだ。
血統鑑定局の血液検査を受けた時の恐怖を少年も覚えている。
血質の数値で人間の価値を測る大人たちや友達。
例え鑑定を通っても低い数値は、人でなしの烙印だ。
あの粘りつく嫌な空気を思い出すと頭がおかしくなる。
なら実際に獣として死んでいった祖父は、どんな気持ちだったのだろう。
誰も訪れることのない秘密の墓に自分を呼んだ。
そこに行ってあげたい。
少年は、魔剣を握り締める。
「お、おい!
そんな得体の知れないものの力を引き出すなッ!」
夢魔が止めさせようとした。
だが少年の身体を通して”欲望”の魔力は、夢魔にも流れ込んでくる。
「ふっ、うわああ……あああ……っ!」
この力は、普通じゃない。
オルフィスもそう確信した。
魔に少年が取り込まれる。
その刹那、黒い闇が魔剣の赤い光を退けた。
今度は、少年が耳に差していた黒薔薇が”欲望”を抑え込む。
黒い闇と赤い閃光が鬩ぎ合う。
―――見える。
海を優雅に泳ぐ巨大な獣。
真っ白な雪を被った高い山脈の上空を飛ぶ獣たち。
彼らは、かつて星と星の間にある暗黒から地球に降り立った。
獣は、原始の人間の信仰の対象となった。
獣の前に並ぶ美しく選ばれた人間たち。
ああ、そして―――獣と人の間に子供が生まれた。
「―――うあッ!!」
少年が目を覚ますと砂漠の夜が明けていた。
隣では、夢魔オルフィスが美しい姿で倒れている。
どれぐらいの時間が経ったのか。
さっきまで見ていた映像は何だったのか。
夢?
それとも―――
だが魔剣”欲望”は、なくなっていた。
「あれ……剣がない。」
いや、ある。
感じる。
少年の内で”欲望”は、確かに息づいていた。