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海底墓場  作者: 志摩鯵
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夢魔との邂逅




「アルスが戦い、ヴァルバラが悪魔サ・タと同衾する頃、誰が郷紳ジェントリであったのか?」




”獣”。

毛の生えた動物の俗称であり、鳥類魚類以外の動物を指す。

あるいは、人間性の欠如した相手に対する蔑称として使われる。


その比喩表現ではなく人が異形の怪物となる怪異。

これを人々は、獣化と呼んだ。


獣には、個人差がある。

特に著しいのは、姿だ。

犬や羊のような既知の動物に似ていることが多いが他に例え難い類のない姿に変貌することもある。


だが問題は、内面である。

多くが正気を失うが、もとの人格を留めることもあった。

すべての獣が凶暴になる訳ではない。


しかし獣が大人しく対話可能であっても見逃されることはない。

獣は、もとの人間に戻ることはない―――少なくともそう信じられている

故に獣は、例外なく殺害されてきた。


人々から忌まれる獣が葬られるところは、日の当たる場所にない。

それは、時に深い森の奥であったり洞窟であったりした。




「ロイド。

 こっちだ、ロイド。」


少年は、夢の中でくぐもった声を聞いて目覚めた。

夢の中で目が覚めるというのは、不思議な話である。


声のする方を見ると彼も寝物語に聞かされた獣が立っていた。


ゴワゴワと縮れた不潔な毛。

ランランと輝く血走った目。

そして全体的に犬とも猪とも分からない不気味な姿をしていた。


「……あなたは、だれ?」


少年は、落ち着いた様子で獣に訊ねた。

どことなくそれが害意のある存在には、思えなかったからだ。


彼の直感は、間違っていなかった。

恐ろしい怪物は、しかし優しく話しかけて来たからだ。


わしは、お前の祖父だ。」


「……トーマスおじいさん。」


少年は、この老人について聞いたことがあった。


もう50年ほど昔のことだ。

父方の祖父にあたるトーマスは、獣になってしまった。

そして獣狩りの狩人に狩られた。


珍しい話ではない。

どの家も家系図を遡れば一人か二人、獣化した祖先がいる。


「この黒い薔薇を儂の墓に手向けておくれ。」


獣トーマスは、そういって()()を伸ばした。

その手には、黒い薔薇が握り締められている。


その薔薇の真っ黒な花弁は、夜空のように煌めく点が明滅している。

まるで天の川銀河のように光たちが渦巻いていた。


少年は、祖父の手から薔薇を受け取ると大事そうに両手で受け取った。

それを確かめると獣トーマスは、安心したように闇の中に消えていった。




少年が目を覚ますと黒い薔薇は、ベッドの傍の収納棚チェストの上にあった。


「……夢に出てきた薔薇だ。」


少年は、不思議な体験に目をしばたかせた。


さっと薔薇を手に取って確かめる。

それは、現実にあって確かに存在していた。

だが彼が就寝する前には、絶対になかったはずだ。


「キレイな花……。」


夜空を切り取ったように黒薔薇の花弁に星々がまたたいている。

この世のものではないような。


(でもおじいさんのお墓にどうやって持って行けばいいんだろう?)


その日から少年は、日々考えた。

学校で勉強する間も、食事の時も、寝る前も。

不思議な黒薔薇を花瓶に生けたまま。


どれだけ考えても分かるはずがなかった。


獣になった人間は、他の人間と別の墓地に葬られる。

そのことは、10歳の少年でも知っていた。


しかし獣の墓場は、誰も知らない。

それは、獣狩りを専門とする猟師たち、血狂ちたぶれた”狩人の騎士団(サシャール・オーダー)”も知らない。


獣の死体は、人知れず葬られる。

その行方は、誰も知らない。

手掛かりもない。




幾日か無為に過ぎた。

無力な子供には、仕方のないことだ()()()


「う。」


眠っていた少年は、胸の苦しさに目を覚ました。


病気で胸が苦しい、あの感覚とは違う。

文字通り何かが胸を圧迫する苦しさだった。


()()が少年の上に乗っている。


「……え?」


少年の胸の上に、そいつはいた。


「私は、黄金の王女(オルフィス)

 夢魔ナイトメア

 始祖たる双頭の蛇サタ・ハッスールと神妃ルルアの子なり。」


Nightmare(ナイトメア)Mare(メアー)は、現代英語で雌馬を意味する。

例えばヨハン・ハインリヒ・フュースリーの絵画で夢魔は、馬の姿で描かれた。

しかしこのMare(メアー)、実は、雌馬のことではない。


語源は、ドイツ語のNachtmahr(ナハトメア)

し掛かる」、「押さえる」に当たるドイツ古語のMara、Mahrから派生した中世英語のMaere(乗る)だ。

後にMaereからMearh()が派生し、現代英語のMare(雌馬)になるが夢魔は、もとの語源に由来する。


より古い語源を辿るとゲルマン祖語の悪魔を意味するMara(マーラ)

これは、インドの性愛の神、男根を指す仏教用語として知られる。


ラテン語族の「海」を意味するMare(マーレ)

ギリシア語の「破滅」を意味するMoros(モロス)

あるいは、「死ぬ」に当たるMor(モル)Mer(モーエ)


いずれかの同音異語から派生したと考えられている。

概して死、圧迫、悪魔を意味する言葉と夜を関連付け、人々は、そこに秘め事を連想した。


男を滅ぼすなにか。

輝く海や草原を駆ける馬のような神秘的で美しい、男たちが()()()()()()()()

しかし危険な存在を、だ。


夢魔という言葉には、そんなイメージが込められている。


「ふわあッ!」


驚いた少年は、たまらず体をよじった。

力づくで夢魔を降り落とす。


「あははっ。」


夢魔は、馬鹿にしたように笑って少年から離れた。

一度、背中にある翼で宙に飛び上がると床に着地する。


少年は、その翼を認めて彼女が正真の悪魔だと分かった。


「……あ、悪魔っ。」


少年は、掛け布団を引っ掴んだ。

ズボンが奪い取られていることに気付いたからだ。


それが意味することは、ひとつ。

眠っている間に夢魔と結ばれた証だ。


少年は、恥じ入って顔を赤らめる。

だが惨めにも凌辱された男は、まだ女を欲しがっていた。


「自慰ばかりしているからこうなるのだよ。」


そう言って夢魔は、少年を嘲笑した。

反論できない残酷なまでに正確な指摘に少年は、ぎくりとする。


「汝の堕落が私をここに招き寄せたのだ。」


少年は、月明かりが差し込む部屋に立つ夢魔を睨んだ。


奇異なのは、夢魔の声だ。

姿は、若い娘なのに声は、しわがれている。


夢魔は、相手を誘惑するため魅力的な姿を取るという。

確かに年端もいかない少年でも胸を掻き乱す美貌を備えている。

だが正体は、悍ましい怪物だ。


そのことを思い起こして少年は、相手に警戒した。


「で、だが汝、面白きものを持っているな?」


夢魔は、そう言って腕を組んだ。

顎を()()()()()前を指す。

少年は、その方向にある黒薔薇を見た。


「この薔薇が何?」


「それは、部屋に飾るような代物ではない。

 私が汝なら手許に置くような大胆なふるまいはしない。」


「これを知ってるの?」


少年は、夢魔に訊ねた。

夢魔のニタニタした笑いが消える。


「知らないことが幸せになることもある。

 汝の場合は、人の忠告を素直に聞かぬしょうようだからな。」


「あ、危ないの?」


「それ自体が汝に噛みついてくることはない。

 しかし良からぬ虫を呼び寄せることになろう。」


「……おまえもその口だろ?」


少年は、恨めしそうに夢魔を睨んだ。

だが夢魔は、ケラケラ笑うだけだった。


「はははははっ。

 黒い薔薇(ヴルトゥーム)は、関係ない。

 汝が私を呼び寄せたのだ。」


夢魔は、ゆっくりとベッドに足をかける。

警戒して少年は、身構えた。

だが夢魔は、あっさりと少年の両手首を掴むとそのまま静かに押し倒した。


「そう構えるな。

 私と汝は、すでに結ばれたのだ。

 いわば()()ではないか?」


そう覆い被さる夢魔は、いった。


「い、いやだ!」


少年は、夢魔を追い払おうとする。

だが意思に関係なく体は、抵抗しない。


しかし夢魔は、急に何かに気付いたように顔をあげた。

闇を見渡した後、じっと部屋の隅を睨んでいる。


これ幸いと少年は、夢魔の下から這い出した。

しかしあまりに夢魔が真剣に闇を睨んでいるので不思議そうに少年が訊ねる。


「…何かあったの?」


夢魔は、その質問に答えることはなかった。

ふっと闇に消えてしまったのだ。


しばらく少年は、闇の中で待った。

すると悲鳴やけたたましい物音がしてビックリする。


「な、なに………!?

 ………えっ。」


家の外だろうか。

かなり近い。

人が言い争う声がした。


少年は、怖くなってベッドの中で布団を被って丸くなった。


しばらく外の騒ぎは続いていた。

だが、やがて争う音が止まって静かになる。


「………。」


そのまま息を殺して少年は、布団の中に隠れていた。


「ロイド。」


しばらくしてベッドの傍でさっきの夢魔の声がした。

少年は、布団をかぶったまま黙っていた。

まるで布団が自分を絶対に守ってくれるというように。


夢魔は、再び口を開いた。


「薔薇を持ち主に返そうぞ。

 それは、誰から受け取ったのか?」


「……お、お祖父さん。」


恐る恐る少年は、布団の中で答えた。


「その者は、いずこにおるのか?」


「………分からない。」


少年は、意を決して布団から顔を出した。

そしてゆっくりと夢魔の顔を見た。


「トーマスお祖父さんは、獣になって狩られたんだって…。

 その薔薇を自分の墓に手向けて欲しいって。」


少年がそう話すと夢魔は、翼を広げたり畳んだりしながら少し考えていた。

ややあって夢魔は、次の質問をした。


「それは、()()だな?」


「う、うん。」


また夢魔は、考えてから口を開く。


「薔薇に惹かれて獣と狩人どもが集まって来た。

 巻き込まれない内にここを抜け出すぞ。」


「え?

 どういうこと?」


「人間に秘密を明かすことはできぬ。」


とまず一言目に夢魔は、もったいぶった。


「仔細の説明を省くが黒薔薇を獣たちが求める。

 故に獣狩りの狩人たちも集まってくるのだ。」


夢魔は、少年の答えを待たず行動を起こした。

指で宙に字を書き、まじないの準備を始める。


「な、何するの?」


驚いた少年が訊ねると夢魔は、不思議そうに答える。


「薔薇を汝の祖父に届けるのであろう?

 私が手を貸そう。」


「どうして?」


少年が夢魔に訊ねる。

すると夢魔は、猥らな仕種で答えたので少年は、赤面した。


「私たちは、繋がっただろう?」


「……ひゃっ!?」


突然、少年の部屋だけが家から分離した。

メキメキっとパンでもちぎるように無造作にだ。


「な、なんだ!?」


家から別れた少年の部屋は、夜の空に浮かび上がった。

風を切って上昇し、少年の住む町が眼下に見渡せる高さまで到達する。

どうやら夢魔の使った魔法の力らしい。


「う、浮いてる!」


少年は、部屋から壁のなくなった方向を見て言った。

濃紺の星空と流れる街が見える。


「とにかくこの街を離れようぞ。

 狩人は、鼻が利く。

 隠れて逃げ回れるような手合いにあらぬ故な。」




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