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第6話 夕陽

 

 ウルシャの市街地は活気に満ちていた。石畳の道が太陽光を反射し、白い漆喰の建物が色とりどりの看板で飾られている。市場の広場では、鮮やかな果物やスパイスの香りが漂い、露店の商人たちが大声で客を呼び込んでいた。

「新鮮なリンゴだよ、安くしとくぜ!」と太った男が叫び、隣では「上質な布だ、触ってみな!」と女商人が布を広げて見せている。

 馬車が荷物を運び、蹄の音が石畳に響き合い、オークやエルフ、人間が行き交う。緑色の肌をしたオークが荷車を引いて通り過ぎ、長い耳のエルフが優雅に歩き、子供たちが笑いながら駆け回っていた。

広場の中央には噴水があり、水しぶきが陽光に虹を作り出している。


「ビシャス様、すごいです。私、こんな場所は初めてです」


 シェイルは目を輝かせて周りを見渡した。一方のビシャスは彼女のボロボロの服を見やり、鼻を鳴らした。


「お前、その服一張羅だな。新しいのを買ってやる」


 シェイルは少し驚いたように見上げ、「え…よろしいのですか? でも、私、お金がありません」と呟いた。


「マンドラゴラの金があるだろ」

「で、でも。奴隷の私なんかに……」

「いまはもう違う」


 二人は市場の服屋へと向かった。露店には色とりどりの布が並び、麻のざらついた手触りの服、綿の柔らかなチュニック、絹の滑らかなローブが木の棒に吊るされている。風に揺れる布からほのかな染料の匂いが漂い、市場の喧騒に混じって耳に届いた。


「可愛いお嬢さんにぴったりの服があるよ!」と店員が笑顔で近づいてきた。彼女の丸い顔には汗が光り、手には布の切れ端が握られている。シェイルは少し恥ずかしそうにビシャスの後ろに隠れ、「ビシャス様…私、どれがいいか分かりません。何か選んでいただけますか?」と尋ねた。彼女の尻尾が緊張で小さく縮こまり、声が控えめに響いた。


 ビシャスは適当に棚を見回し、淡い水色のワンピースを手に取った。

シンプルなデザインだが、裾には小さな花の刺繍が施され、薄い麻の生地が軽やかに揺れる。

色合いはシェイルの銀髪に映えそうで、彼女の穏やかな雰囲気に合うように思えた。

「これでいいだろ」とビシャスが言うと、シェイルは小さく頷き、試着用の幕の後ろへと入った。

幕は粗い布で作られ、風に揺れるたびに隙間から市場の光が漏れていた。


しばらくして出てきたシェイルは、新しい服に身を包んでいた。

水色のワンピースが彼女の華奢な体にぴったりと合い、銀髪と獣耳がその色に映えて美しさを引き立てている。

裾の花刺繍が彼女の動きに合わせて揺れ、尻尾がゆったりと動き出した。

暖かい日差しが彼女の白い肌を照らし、まるで市場の中に小さな光が灯ったようだった。彼女は少し照れながらビシャスを見上げ、「ビシャス様、いかがでしょうか…?」と聞いた。声には期待と恥ずかしさが混じり、獣耳が微かに震えた。ビシャスは一瞬言葉を失い、彼女の姿に目を奪われた後、気まずそうに目を逸らして呟いた。


「……悪くない。似合ってるぞ」


シェイルは顔を赤らめて小さく笑い、「ありがとうございます…ビシャス様が選んでくださいましたから、とても嬉しいです」と答えた。彼女の瞳が暖かく輝き、尻尾が嬉しそうに揺れた。それを見た店主が「ほら、見事な美人さんだ! 10銅貨でいいよ、安くしとく!」と笑顔で言うと、ビシャスは無言で銅貨を差し出し、シェイルの手を引いて店を出た。彼女の手は小さく、少し冷たかったが、彼の手の中で温かさを帯びていくようだった。


◾︎◾︎


その後、二人は鍋や皿、毛布などの日用品を買い揃え、部屋に必要なものを抱えて帰路についた。


 夕陽がウルシャの街を茜色に染め、石畳の道がオレンジに輝いていた。

空には薄い雲が帯のように流れ、遠くの丘に沈む太陽が柔らかな光を投げかけている。市場の喧騒が遠ざかり、代わりに風が草の香りを運び、街の屋根に夕陽が反射して赤く燃えるような光景を作り出していた。シェイルは立ち止まり、夕陽を眺めて目を輝かせた。彼女の銀髪が夕陽に染まり、まるで炎のように揺らめいて見えた。


「ビシャス様、とても綺麗です…こんな夕陽、私、初めて見ました」

「そうか? 別に普通だろ?」

「私、今まで奴隷でしたから…外を見るのは久しぶりなんです。こんな綺麗なものは、ずっと見られませんでした」


 彼女の声には過去の影が滲み、獣耳がわずかに下がった。ビシャスはその言葉に一瞬黙り込んだ。夕陽が彼女の顔を照らし、銀色の瞳に光が反射して儚げに揺れている。奴隷だった頃の暗い記憶が、彼女の小さな肩にまだ重くのしかかっているように見えた。ビシャスは胸が締め付けられるのを感じた。


――「かわいそうだったね」「大変だったね」と言うのは簡単だ。

しかし、同情すれば返って惨めな思いをさせるかもしれない。そう感じたビシャスは、あえてぶっきらぼうに答えた。


「もう終わったことだ。――さっさと忘れろ」


 その声には、ストロベリーに追放された自分自身に言い聞かせるような寂しさが滲んでいた。かつての仲間からの冷笑と裏切りが、彼の心にまだ棘のように刺さっている。

 シェイルはビシャスの言葉に目を細め、穏やかに笑った。彼女の心の中で、何かが静かに動き始めていた。ビシャスの声はぶっきらぼうで、言葉はそっけないけれど、その裏に隠された気遣いが彼女にははっきりと感じられた。


  奴隷だった頃、誰も彼女の気持ちを考えてくれることはなかった。冷たい石の床と暗い壁の中で、鎖の重さと命令の声だけが彼女の世界だった。そんな中で、ビシャスの「さっさと忘れろ」という言葉は、彼女を過去から解放しようとする優しさだと、シェイルは気づいた。彼が自分の傷を隠しながらも、彼女を傷つけたくないと選んだ言葉――その思いやりに、彼女の胸がじんわりと熱くなった。


 目の前の夕陽がさらに美しく見え、風に揺れる髪が彼女の頬を優しく撫でた。


「どうした? シェイル…何を笑っている?」ビシャスが荷物を少し持ち直し、不思議そうに彼女を見た。夕陽が彼の荒々しい顔に影を落とし、革の服にオレンジの光が映っている。


「ふふ…いいえ。だって、あまりにも優しいから」シェイルは小さく笑い、銀髪が夕陽に揺れて輝いた。

「誰が?」ビシャスは眉をひそめ、彼女の言葉に困惑した。

「貴方様が」シェイルの声は真摯で、瞳には夕陽の光と感謝が宿っていた。


 ビシャスは気まずそうに目を逸らし、荷物を肩に担い直した。シェイルの言葉はあまりにも純粋で、彼の心に静かに響いた。

 しかし、脳裏にはストロベリーに追放された時の冷笑が浮かび上がる。「お前みたいな奴、いらない」と笑いものにされたあの夜の記憶が、彼を縛っていた。シェイルとストロベリーは違うと分かっていても、その好意を素直に受け取るにはまだ心の傷が深すぎた。


「悪魔皇に向かって優しいなどと…お前は変わっている」


 ビシャスはあえて冷たく言い放ち、彼女から目を逸らした。夕陽が彼の背中に長い影を落とし、石畳に映る姿がどこか孤独に見えた。


「ふふ…はい。それでも構いません」シェイルは動じず、穏やかに笑った。

風が彼女のワンピースを軽く揺らし、尻尾が優しく動く。

ビシャスの冷たい言葉も、彼女には彼の優しさの裏返しにしか感じられなかった。

彼女の笑顔が夕陽の残光に照らされ、二人の影が石畳の上で交差した。

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