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第5話 雑草と銅貨

 朝食を終えたビシャスとシェイルは、ギルドの食堂から出た。

 これからの生活費を稼がなくてはいけない。掲示板へと向かった二人。ウルシャのギルドホールは朝の活気に満ち、冒険者たちが依頼の紙を手に笑い合ったり、武器の手入れをしたりしている。

 掲示板は木製で、壁に打ち付けられた無数の紙が風に揺れていた。ビシャスは掲示板の前に立ち、シェイルはその横で少し背伸びするように紙を見上げた。


「ビシャス様、私が読むので一緒に選びましょうね」


シェイルの声は明るく、獣耳が期待にぴょこんと跳ねる。

「ああ、頼む」と答えるとシェイルは羊皮紙を一枚ずつ指でなぞりながら、丁寧に読み上げ始めた。だが、Fランク向けの依頼はどれも見当たらず、ようやく見つけた一枚に彼女の目が止まった。


「えっと『近くの村の畑の雑草抜き。報酬は銅貨5枚』…これだけみたいです」


 彼女が少し申し訳なさそうにビシャスを見上げると、彼は眉をひそめて呟いた。


「雑草抜き? それだけか?」


 その言葉を聞きつけた瞬間、掲示板の近くにたむろしていた冒険者たちの間で笑い声が弾けた。

 特に目立つのは、三角帽子をかぶった魔法使いの女性だ。彼女は背が高く、深緑色のローブに身を包み、尖った帽子の下から覗く赤みがかった髪が肩まで流れている。腰には小さなポーチがぶら下がり、手には細身の杖を軽く握っている。彼女の隣には、革鎧を着た筋骨隆々の戦士と、弓を背負った瘦せ型のハンターが立っており、三人ともニヤニヤとこちらを見ていた。


「雑草抜きだって? ぷっ、笑える!」


 三角帽子の女性が甲高い声で笑い、杖の先で軽く地面を叩いた。彼女の目は細く吊り上がり、口元には嘲るような笑みが浮かんでいる。戦士が肘で彼女を突きながら、太い声で付け加えた。


「おい、リナ、見てみろよ。あの冴えないおっさんと獣娘、Fランクらしいぜ。雑草抜きがお似合いだろ」

「だろな!」


ハンターが肩を揺らして笑い、リナと呼ばれた魔法使いがさらに言葉を続けた。


「ねえ、あんたたち、それで冒険者気取り? Fランクで畑仕事なんて、子供でもできるわよ。」


 彼女は三角帽子を軽く傾け、杖をくるりと回して見せびらかすようにした。自信満々な態度と、鋭い口調が彼女の性格を物語っている。シェイルは耳をピクッと動かし、唇を軽く噛んでムッとした表情を見せたが、ビシャスは無視を決め込むように肩をすくめた。


「ビシャス様、気にしないでください。私、ちゃんとやりますから…」


シェイルが小声で囁くと、リナがその声を聞きつけてさらに煽った。


「あら、可愛い獣娘ちゃんが必死ね。でもさ、おじさん連れじゃ何やっても無駄じゃない? あんたたち、ゴブリン一匹倒せないでしょ」


 戦士が胸を叩いて豪語すると、リナはニヤリと笑った。

ハンターが弓を軽く叩きながら加わり、三人揃って高笑いした。ギルド内の他の冒険者たちもクスクス笑い、嘲笑の輪が広がっていく。ビシャスは眉を軽く動かしたが、表情を変えずに呟いた。


「気にするな。金は金だ。行くぞ、シェイル」

「はい、ビシャス様!」


◾︎◾︎


 二人はギルド内の嘲笑を背に、重い空気を振り払うように建物を出た。

 ギルドの扉が軋みながら閉まり、冒険者たちの笑い声が遠ざかる。

 依頼の村へと向かう道は、ギルドから歩いて15分ほどの距離にあり、朝の陽光が石畳の道を暖かく照らしていた。


 村はウルシャの街の外れに位置し、周囲には穀物の畑が広がっている。

 朝の風が穀物の葉を優しく揺らし、緑と黄金が混じった波のようにうねっていた。

 土の香りが鼻をくすぐり、湿った大地と新鮮な草の匂いが混じり合って漂ってくる。遠くでは北の川のせせらぎが微かに聞こえ、鳥のさえずりが風に運ばれて響き合っていた。畑の一角には確かに雑草がぼうぼうと生え、緑の海のように密集して地面を覆っている。


 ーーその中には、普通の草とは異なる不自然な太さの茎が混じり、土に深く根を張っていた。


 シェイルは意気揚々と畑に踏み入り、ワンピースの裾を軽くたくし上げて作業を始めた。彼女の銀髪が朝日に照らされて輝き、獣耳が風に反応してピクピクと動く。尻尾が楽しそうに揺れ、土の上に小さな影を落としていた。彼女は裸足で畑の土を踏み、冷たく湿った感触に小さく笑みを浮かべる。


「ビシャス様、私、頑張りますね! すぐ終わらせますから!」


 シェイルがそう言って雑草に手を伸ばすと、土の中から妙に太くごつごつした根が現れた。

 その表面はひび割れ、まるで古木の皮のようにざらついている。彼女は両手でそれを掴み、細い腕に力を込めて引っ張った。土が小さく崩れ、根が地面から引き抜かれる瞬間、「ブチッ」と鋭い音が響いた。同時に、耳をつんざくような甲高い叫び声が畑に響き渡った。


「ギャアアアアアアア!」

「うわっ!?」


 シェイルが驚いて後ずさりすると、彼女の手から抜かれた「雑草」が地面に落ち、じたばたと動き出した。

 

 ーーそれはマンドラゴラだった。


 人型をした根は土にまみれ、太い腕のような突起が地面を叩き、口のような穴から発せられた叫び声が空気を震わせる。

 顔に見える部分には目も鼻もないが、黒い穴が不気味に開き、叫び声が畑全体に反響した。風が一瞬止まり、穀物の葉が静まり返る中、シェイルの体が急速に灰色に染まり始めた。足元から硬直が広がり、彼女の細い足が石のように固まる。


 ワンピースの裾が風に揺れるのを止め、銀髪が灰色の光沢を帯びた。彼女は恐怖に目を丸くしたまま動かなくなった――石化してしまったのだ。朝日が彼女の石像を照らし、冷たく硬い表面に光が反射している。


「マ、マンドラゴラだ! 雑草じゃねえ、気をつけろ! 石化するぞ!」


 農夫は藁帽子を被った年老いた男で、手に持った鍬を地面に突き立てたまま、驚いた。ビシャスはシェイルに駆け寄り、彼女の石化した姿を見下ろした。彼女の瞳は恐怖のまま凍りつき、尻尾が中途半端に固まって宙に浮いている。


「石化か。どうすりゃいい……」


 彼は腰に下げていた古びた魔導書を取り出し、革の表紙をそっと開いた。表紙は擦り切れ、角が丸くなり、インクの滲んだページが黄ばんでいる。その手が一瞬止まる。ストロベリーたちと旅していた時、文字が読めないことを笑われた記憶が蘇った。


ーーいい加減にして!コウスケ……あなた魔導書持ってるくせに何もできないじゃない


 嘲笑され、仲間たちのクスクス笑う声が焚き火の音に混じったあの夜が、彼の心に暗い影を落としていた。ビシャスは唇を噛み、シェイルの石化した姿を見下ろした。彼女の小さな体が朝日に照らされ、石像の表面に微かなひびが見える。彼の胸に焦りと悔しさが混じる。


 その時、シェイルが教えてくれた「スープ」の文字が脳裏をよぎった。

 先ほどこの世界の読み書きの簡単な基礎を教わったばかりだ。彼女の細い指が紙に書いた丸っこい文字と、穏やかな声が記憶に残っている。


 ビシャスは目を閉じ、深呼吸して魔導書に目を落とした。朝の光がページを照らし、インクの滲んだ文字が浮かび上がる。彼はシェイルに教わった基礎を頼りに、ぎこちなく文字を追った。


「…ん?『かいじょ』……これかな?」と呪文のページを見つけ、震える声で詠唱を始めた。風が穀物の葉を揺らし、彼の声が畑に静かに響く。


「石を砕き、命を解き放て…解放しろ!」


 魔導書から淡い光が溢れ、ページから放たれた輝きがビシャスの手を包んだ。光は柔らかく、まるで春の陽射しのように温かく、彼の手を通じてシェイルに注がれた。


 灰色の石化が徐々に剥がれ落ち、彼女の足元から元の色が戻っていく。

 硬い表面が砕け、ワンピースの水色が再び朝日に映え、銀髪が柔らかさを取り戻して風に揺れた。彼女の肌が元の白さを取り戻し、獣耳がピクリと動き、尻尾が地面にそっと落ちる。シェイルは目を瞬かせ、驚いたようにビシャスを見上げた。朝日が彼女の顔を照らし、銀色の瞳に光が宿る。


「ビシャス様……私、どうしたのですか?」


 彼女の声は小さく、混乱と安堵が混じっていた。尻尾が弱々しく揺れ、土に触れるたびに小さな埃が舞う。ビシャスは魔導書を閉じ、彼女の視線を避けるように木陰を見やった。マンドラゴラはすでに動きを止め、地面に転がった根の塊と化している。彼はぶっきらぼうに答えた。


「眠っただけだ。この暑さで疲れたんだ。少し休憩するか?」


 シェイルは首を傾げたが、ビシャスの言葉に安心したように小さく頷いた。そのやりとりを見ていた農夫が、畑の端から震えながら近づいてきた。日に焼けた顔に深い皺が刻まれ、粗い麻の服が汗と土で汚れている。手に持った鍬を地面に突き立てたまま、彼はマンドラゴラを指さして声を震わせた。


「こ、こいつは貴重なんだよ! 薬の材料になるぞ」


 農夫の声には驚きと興奮が混じり、鍬の柄を握る手が白くなるほど力を込めていた。ビシャスは農夫を一瞥し、地面に転がるマンドラゴラを見下ろした。人型をした根は土にまみれ、太い腕のような突起が不自然に曲がり、口のような穴が黒く開いている。表面はひび割れ、まるで古木の皮のようにごつごつしており、朝日に照らされた部分が鈍く光っていた。


「すまねえな兄ちゃんたち。本当に迷惑かけちまっただ……今日のお詫びにこのマンドラゴラを受け取ってくれ。ギルドに売ると高値になるぞ」


 農夫の声には申し訳なさと焦りが混じり、彼の目がマンドラゴラとビシャスを交互に見つめる。ビシャスは「金になるなら悪くない」と鼻を鳴らした。


◾︎◾︎


 二人はマンドラゴラを布に包み、ギルドへと戻った。ギルドホールに戻ると、朝の喧騒は少し落ち着き、受付カウンターには若い女性が座っていた。彼女は茶色の髪をポニーテールにまとめ、眼鏡をかけた几帳面そうな受付嬢で、机の上には書類やペンが整然と並んでいる。ビシャスとシェイルがカウンターに近づくと、彼女は顔を上げて微笑んだ。


「お疲れ様です。Fランクの雑草抜きの依頼、完了しましたか? 報告書にサインをお願いしますね」

「ああ。あとこいつも見てくれ」


 ポケットから布に包んだマンドラゴラを取り出してカウンターに置いた。

 麻布を解くとマンドラゴラの歪んだ顔とよじれた根が姿を現した。人型の根は土にまみれ、太い腕のような突起が不自然に曲がり、口のような黒い穴が不気味に開いている。

 表面はひび割れ、ごつごつした質感が朝日に照らされて鈍く光り、微かに土と湿った草の匂いが漂った。ビシャスは受付嬢を見ながら言った。


「雑草抜きに行ったら、こんなのが出てきたぞ」


 受付嬢はマンドラゴラを見た瞬間、眼鏡をずらして目を丸くした。彼女は椅子から立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出してマンドラゴラをまじまじと観察した。根っこの細かい動きに気づき、手元の書類を慌ててめくりながら驚きの声を上げた。


「えっ…これ、マンドラゴラじゃないですか!? Fランクの雑草抜きでこんなもの持ってくるなんて、信じられないです!」


 彼女は興奮した様子で書類から目を離し、二人の顔を見上げた。眼鏡の奥の目がキラキラと輝き、声に弾みが加わった。ギルドホール内の冒険者たちがその声に反応し、何人かが好奇心に駆られてカウンターの方を振り返る。


「マンドラゴラって、貴重な薬草なんですよ! 市場で銀貨50枚は下らない価値があります。石化の危険があるから、普通はCランク以上の冒険者が専門装備で採取するんです。あなたたち、どうやって…?」


 受付嬢の声に弾みが加わり、彼女の手が無意識にマンドラゴラに触れそうになり、慌てて引っ込める。ビシャスは鼻を鳴らし、ぶっきらぼうに答えた。


「偶然見つけただけだ」

「すごいですね…Fランクの依頼でこんな成果を出すなんて。ギルドでも噂になりそうですよ。ちょっと待っててください、報酬を用意しますね」


 彼女はカウンターの後ろに下がり、木製の金庫を開けた。錠がカチリと音を立て、彼女が中から銀貨の入った袋を取り出す。表面に小さな染みが残り、銀貨が詰まった重みが布を膨らませていた。

 カウンターに置かれた袋が軽く音を立て、「チャリン」と金属が擦れ合う音が響く。彼女は袋をビシャスとシェイルに手渡し、笑顔で言った。


「はい、依頼の銅貨10枚と、マンドラゴラの特別報酬として銀貨50枚です。お疲れ様でした!」


 受付嬢が笑顔で見送る中、二人は報酬を持ってギルドを後にした。ビシャスは魔導書を手にシェイルの笑顔を見た。


「思わぬ収穫だな……シェイル。この金で日用品でも買いに行くか」


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