第八十八話:滅び
月明かりを逆光に、キングの姿が見えた。
青く輝く宝石が一つ、暗闇に浮かんでいると思ったが、それこそがキングの瞳だ。
そこで思い出す。
レイノルドの言葉を。
左目を聖剣で傷つけたと言っていた。
確かにそちらは閉じられている。
「!」
目ばかり見ていたが、その口から見えているのは……。
瞬時に悟る。
私を追って来ていた不法入国者は、もうこの世にいないと。そして次は……私だ。
手に傷をつけ、毒を握りしめ、左腕一本を犠牲にして終わらせよう……なんて思っていたが。
不法入国者二人の末路を見たら、そんなの無理だと悟る。
傷を負ったキングは苛立っているだろう。
腕一本で立ち去るはずはない。
心臓の鼓動の大きさに、自分自身で驚いている。
キングの周囲を伺うが、レイノルドの姿はない。
状況は分からないが、不思議と直感で、レイノルドは生きている気がした。
ただ、キングに巻かれたか、なんらかのトラブルがあり、今、ここにいないだけ――。
レイノルドが駆けつけてくれるのが先か。
それともキングが先に私に襲い掛かるか……。
答えは分からない。
ただ私は無傷では終わらない。
今聞こえている咀嚼音が終わったら、次は私だ。
足元から死の恐怖が忍び寄る。
何よりも気分が悪くなってきた。
我慢して。
今、ここで余計なことは考えないで、生存戦略を考えるの!
深呼吸をして、折れそうな心をなんとか保つ。
逃げられるだろうか?
あと数メートルで小川がある。
飛び込んで、そのまま川を流れたら、キングは追って来れないのでは?
ただ夜の小川を流れることのリスクもある。
それでも万一にも助かるかもしれない……?
いや、ないだろう。
キングのサイズなら、小川に飛び込んでも足がつく気がした。
これが大河だったら話は違ってきたかもしれない。
だが実際は小川なのだ。
一際嫌な音がした。
レイノルドの気配はない。
助けは来ないのだ。
ならば。
そこは電光石火の速さで毒をあおった。
どれだけ苦い味がするか。
喉をかきむしるような状態になるか。
そんな想像をしていたが……。
何も起きない。
その代わりなのか。
キングが動いた。
もうダメだ――。
ダメだと思ったが激痛に襲われることはない。
心臓をバクバクさせながら、薄目を開けると、右の前足と後ろの左足を引きずるようにしているキングの姿が月明かりの下に見える。
さっき、不法入国者の二人のそばに現れたキングは、どこか高い位置からジャンプしたのかもしれない。今は……そうか。レイノルドにより、前足と後ろ足の腱を切られた可能性が高い。
ということは。
走って逃げれば――。
そこで全身からいきなりストンと力が抜け落ちた。
両膝を地面に着くようにして、前のめりで倒れる。
体がピクリとも動かず、地面に激突したのに、痛みも感じない。
それなのに血生臭い匂いと、生温かい空気を感じ、急に周囲が暗くなる。
この状況にも慣れてきた。
キングが近くにいる。
その大きな体の影に、自分がいると自覚した。
そして生温かいキングの息に触れたのだ。
もう終わる……。
ただ、毒は全身を巡っている。
私を喰らえばキングは滅ぶ――。
◇
毒というのは壮絶な苦しみを与えて死に至らしめるのかと思った。
だが私は違っていた。
唐突に全身の生命活動が止まったようなものだ。
まずは筋肉が動かくなり、うつ伏せのような状態で倒れ、キングの血生臭い匂いと息の温度を感じた。だがその直後に五感が失われる。そして意識が飛んだ。
飛んだ意識の中で、自分のそれまでの人生をダイジェストで見て、最後に思ったこと。
それは「ギル、ミルリア。夕食には帰ると約束したのに、ごめんなさい」だった。
あの日、馬車の事故で帰らなかった両親は。
「街でみんなにお土産を買ってくるよ。ミルリアはチョコレート。ギルは最新版の図鑑。エレナは舞踏会につけていく髪飾りだ。夕ご飯に間に合うよう、帰るから、ちゃんとお留守番をしているんだぞ」
「「「はーい」」」
ギルとミルリアと一緒になって、子供のように返事をしていた。
だが約束は果たされず、両親は帰らぬ人になった。
まさか私まで両親と同じことを言って、ギルとミルリアの前から消えるなんて。
ごめんなさい、ギル、ミルリア。
二人が成人するまで、ちゃんと見守らなければいけなかったのに。
ただ。
どうか。
これでキングが倒れ、レイノルドが解放され、村の人々が元通りの暮らしに戻れたら……。
犬死にではなくなる。
ギル、ミルリア。
どうか幸せになって。
ウォーレン。
巻き込んでごめんなさい。
無事でいることを願っているわ。
そしてレイノルド……。
王都であなたの帰りを待つ女性とお幸せに。
その後も使用人達にも別れを告げた後。
お父様、お母様、ついに私、二人のところへ参ります――。














