第六十話:最初に言っておくわ
サイレンジン公爵令嬢と向き合う形で、ソファに座ることになった。
彼女は持っていたソーサーを静かにローテーブルに置くと、ギロリという感じで私を見た。
蛇に睨まれた蛙も同然だったが。
ここで気を抜いたら……負けだ。
それに取り巻き令嬢はいない。
一対一なのだ。
深呼吸をして、勇気を振り絞る。
「到着が遅くなり、申し訳ございません」
「あら。あなたが謝る必要はなくてよ。まだ待ち合わせ時間にもなっていないのだから」
それはその通り。
室内にはずしりと大きな古時計が置かれているが、その分針は14時50分を示している。
「最初に言っておくわ」
サイレンジン公爵令嬢と目があった。
もしここに何かエフェクトをつけるなら、ぶつかる視線とスパークする火花だろう。
「申し訳なかったわ」
「え」
「あの男。私やお父様に手を出せないからと、あなたを襲おうとしたのでしょう。そしてセドニック副団長を利用して、亡命をしようとした……。許しがたいわ」
いきなり何の謝罪かと思ったら……。
偽皇太子の件!
「お父様は秘密裡に、近くの河に沈めると言ったけれど、それでは甘優しいと思ったの」
この一言には、伸ばしている背筋がゾクッとする。
河に沈められるかもしれない……という想像は、私もしていた。それは大変恐ろしい手段として。
つまり河に沈めるのは、十分に戦慄を覚える対応だと思うのですが……。
「ダークウッド連山にトンネルを掘り、鉄道を隣国とつなげる事業が始まるのよ、間もなくね。国の施策として進めるけれど、お父様の商会も事業に出資している。あの辺りの魔獣の数も減り、何よりもマトリアークはもういないから。……それでも山に、トンネルを通すのは大変よ。ある意味命懸けになる。そこにね、あの男を送り込むことにしたの」
そう言ってサイレンジン公爵令嬢はニコリと笑う。
河に沈めるより合法的ではあるが……。
山にトンネルを掘る。
しかも魔獣の巣窟と言われた山で。
常に命の危険と隣り合わせ。
しかも悪党ではあるが、貴族の端くれがそんな労働に従事するのは……かなり過酷な話。
あの偽皇太子なら「これならひと思いに河に沈んだ方が楽だった!」と言い出しそうだ。
つまりサイレンジン公爵令嬢は、悪党に生き地獄を味合わせることにしたと。
「ともかくもう二度とあの男と会うことはないわ。それに王都に戻ったら命がないと、あの男も分かっているから。裏社会では、まだ懸賞金がかけられているの。王都で見かけたら……ってね」
大変アンタッチャブルな話。
だがこの世界、全てが正義の名の元に成立しているわけではなかった。
前世でCIAやかつてKGBが存在していたように。
表の人間が表立ってできない汚れ仕事を請け負う人々が存在し、彼らを時に権力者が利用するのは……どこの国でも世界でも、避けられない話。
宰相という立場のサイレンジン公爵が、裏社会を動かすのはどうかと思うが、これもまたこの世界の必要悪だった。
「その件への御礼も兼ね、ここへあなたを呼んだのよ、ウィリス嬢」
「御礼!?」と問い返したくなるが、そこは我慢。
そして扉もノックされ、私の紅茶と……。
メイドが言っていた三段スタンドが登場した。
一人ずつに用意された三段スタンドは、一段目にキャビアを添えたクラッカー、キューカンバーサンド、卵サンド。二段目にはスコーンとクロテッドクリーム、三段目にはドライイチジクのタルト、生クリームがのったふっくらシフォンケーキ、りんごのケーキと大変美味しそう!
一瞬。
目の前にいるサイレンジン公爵令嬢のことを忘れた。
だがミセス・デメールがスタッフの女性と共に退出し、現実を思い出す。
「このお店は、スイーツが特に美味しいのよ。召し上がるといいわ」
自身は紅茶を飲みながら、私に三段スタンドの軽食やスイーツを食べるようにすすめた。
これには「まさか毒が……」と思ってしまうが、御礼をするために私を呼んだと言ったのだ。ならば毒は入れないだろう。お店だってさすがにそんな協力はできないはず。
そう思いながら、一段目のキューカンバーサンドを口に運ぶ。
「!」
美味しい!
上質なバターに水気を切った柔らかいキュウリ。
ふわっとした食パンに、バターとキュウリが実にあっている。
一口サイズなので、そのまま卵サンドも頬張るが……。
こちらもサンドされている卵がたっぷりで、非常に美味。
レイノルドの屋敷でいただく料理は勿論、美味しい。だがこのお店の軽食もとても素晴らしい味わいだった。ギルやミルリアに食べさせたくなる。
「まったく。なんて無邪気に食べているのかしら」
キャビアをのせたクラッカーを食べていると、サイレンジン公爵令嬢にそんな風に言われ「心外な!」と思ってしまう。
食べるようにと勧められたから、食べていたのに!
だが。
「これ、よくご覧になって」
彼女は自身の鞄から何かを取り出す。
それは折り畳まれた紙だ。
サイレンジン公爵令嬢はその紙を、ローテーブルの上で広げた。














