第三十四話:うっかり?
まさに冷水を浴びせられた。
「あら、わたくしったら」
「まあ、うっかり手が滑ってしまったのね」
「もう、気を付けないと」
取り巻き令嬢がそう言って、クスクス笑っている。
「あらあら、大変。クランベリージュースではなく、白ワインでよかったですわね。ドレスにシミはできない。でも……匂うわ。アルコール臭くなるかもしれないわね。控え室へ向かって、拭いていただいたら?」
「公爵令嬢様はお優しいですわね」
「本当に。そんな風にアドバイスなさるなんて」
「ごめんなさいね。悪気はなかったのよ」
こうしてサイレンジン公爵令嬢と取り巻き令嬢は、笑いながら立ち去る。私の元へはバトラーが近づき、リネンクロスを渡してくれた。前世で言うなら布製のナプキン。私は御礼を言い、ソファから立ち上がる。
チラリと見ると、ソファにはこぼれていないが、絨毯にはシミが広がっていた。
「控え室にご案内します」
黒髪を七三分けにした、黒いテールコート姿のバトラーは、二十代後半ぐらいに見えた。言葉遣いが柔らかく、親切そうだ。
「ありがとうございます。……絨毯を汚してしまい、申し訳ないです」
「いえ、飲食をサービスしている部屋ですので、汚れることは想定内です」
既に別のバトラーとメイドが、絨毯を拭いている。
ソファが汚れないで済んだのは、不幸中の幸いか。
「……むしろご令嬢のドレスや髪が……」
バトラーは給仕用のテーブルに置かれているリネンクロスをもう一枚とり、渡してくれる。やはり親切なバトラーだった。
それにしても。
まさか白ワインを浴びることになるとは。
うっかり手が滑った。
そんなわけはないだろう。
やはり私がレイノルドとダンスをして、注目されたことが、サイレンジン公爵令嬢は許せなかった。
でも私から白旗を振ったから、この程度で済んだのかな。
もし強気な態度を見せたら、白ワインではなく、クランベリージュースや赤ワインをかけられたかもしれない。さらにそれだけでは済まず、ドレスの裾を踏まれたり、レースが破れる事態になっていたかもしれないのだ。この程度で済んで……良かったと思うしかない。
それでも。
悲しい気持ちは込み上げる。
せっかくおしゃれをしていたのだ。それにこのドレスはレイノルドがお金を払い、手に入れてくれたもの。彼が命懸けで魔獣と戦い、そして得た給金で買ってくれたドレスなのに。こんな風にお酒で汚れたら……特別な手入れが必要だろうし、また着ることができるだろうか。
自分が白ワインを浴びせられたことより。
レイノルドのお金を無駄にしてしまったことに申し訳なくなり、涙が出そうになっていた。
「こちらの部屋です」
バトラーがぐっと私の手を掴み、中へと導く。
だがそこは控え室とは思えない。
だってゆったり座れるソファがいくつも置かれているし……ここは貴賓室の一つなのでは……?
「あ、あの、ここは控え室ではないのでは……?」
「ここはあの鼻持ちならない公爵令嬢の貴賓室……控え室ですよ」
「!?」
バトラーはそう言うと、勝手にクローゼットを開けた。
そこにはシンプルなドレス、ゴージャスなドレスが一着ずつ、ハンガーにかけられている。
ドレスは繊細なので、高位貴族は応急処置ができるよう、侍女を控え室に待機させているという。そのさらに上をいくと、ドレスを持参したり、貴賓室で舞踏会用のドレスに着替えるのだ。
サイレンジン公爵令嬢は、さすがは公爵家の令嬢。この貴賓室で着替えを行い、さらに予備のドレスも持参しているようだ。
つい、そんなことに感心してしまうが、そうではない。
「何をしているのですか!?」
「このドレスでいいでしょう」
バトラーはそう言うと、何やらぶつぶつと唱える。
すると……。
それはもうビックリ。
バトラーが手にしているドレスは、ロイヤルパープルの光沢のあるドレスだったのに。それがまさに私が着ているドレスと瓜二つに変化したのだ。
さらに。
私が着ているドレスが……そのロイヤルパープルのドレスに変わっている。
「お次はこう」とバトラーが言うと。
私は自分の着てきたドレスに戻った……そう思ったのだけど。
濡れていない。
アルコール臭くない。
これは……?
「はい。これで完了です。この貴賓室は鍵がかかっています。その鍵は公爵令嬢自身が持っている。よってクローゼットに入れていた予備のドレスがアルコール臭くても……原因は不明。ざまぁみろですよ」
バトラーはそう言って笑っているが……。
「そんなことをして、公爵令嬢にバレたら大変なことになります!」
「バレることはありませんよ。今、申し上げた通り、鍵はかかっていますから。それにこの扉からではなく、この窓から庭園へ出ましょう」
バトラーがそう言うと、まるで自動ドアのように、両開きの窓が開いた。














