第一章 『私の大切な子』
雄大な風を受け、大海原を裂くように私達は西に航路をとっていた。潮風になびく船旗には、ムアール国の紋章が描かれている。
燦々と降り注ぐ太陽の光を背にして、水面に群がる小魚を狙い、海鳥たちが我先にと水面へと降下していた。
船縁に撥ねつける波の音、海鳥たちの鳴き声、鼻孔を掠める潮の香り、私達は甲板に立ち、水平線を見つめながらミーシアの行く末を案じていた。
お包みに包まれ、私の腕の中ですやすやと抱かれて眠る天使のようなミーシアの寝顔を見ていると、一時だけでも不安は拭い去れた。
私達にとってこの航海は、敵対するザルーラ国との戦の末、苦しくも撤退を余儀なくされ、姉妹国でもある私の母国、ミンティア連合王国に助勢を求めての航海だった。
私はどんな事があろうとこの子を守り抜く。私の傍らに寄り添い、遠く彼方を眺めているミーシアの父にして私の最愛の人、ムアール国の国王エゼルドも同じ思いであろう。
「陛下、海風は冷とうございます。王妃様もお身体に差し支えますゆえ、どうぞ船内にお入りくださいませ」
幼き頃を共に過ごした、エゼルドの腹心でもある騎士団長カイルの気づかいを受け、「あぁ」と力なく返事したエゼルドだったが、「もうしばらく眺めておりたい」とその場を離れなかった。
日が沈む頃、船はミンティア連合王国がある大陸に差し掛かった。だが目の前に見える断崖絶壁を左舷に航路を変え、まだ南へと進まなければならなかった。しかし海は時化はじめ、座礁を避ける為、先を急いではいたがその夜は碇泊するしかなかった。
帆は畳まれ、碇がスルスルと水面に向かって降下し、巨人の手の平で海面を強く打つような巨大な音がすると、私は不安に駆られていたせいか、その音に身体をビクつかせてしまった。
深夜、私達は船上の喧騒で目が覚めた。まもなくしてカイルが慌ただしくドアを開けた。
「陛下お逃げくださいッ!」
ドアの向こうから聞こえて来るけたたましい兵士の叫び声、激しい剣戟の響き、連続で聞こえてくる銃声、私はそれらの悍ましい惨劇のどよめきに、ミーシアの身を案じ恐怖した。
「何事だっ!」エゼルドが言った。
このとき私は、敵対するザルーラ国が襲って来たものと思った。
「海賊でございます。船上で兵が応戦しておりますが、それも時間の問題かと思われます。敵の兵の数は我が兵士の数を上回る上、海の化け物を従え、とても太刀打ちできませぬ!」
「化け物……?」
エゼルドが言った直後船が傾いた。私はゆりかごに眠るミーシアに駆け寄った。
ミーシアは慌ただしさに目を覚まし泣き声を上げた。私は素早くブランケットでミーシアを包み、守るように抱きかかえ、カイルの案内の下、私達は急いで船室を後にした。
通路に出てみると、通路の端に火の手も上がっていた。
「さあこちらです!」
カイルの示す方向に私達は迅速に移動した。細い通路をいく度か曲がり、階段を上り甲板へと出た。目の前に映る光景は惨たらしいものだった。フォアマストに巻かれている帆に火が燃え広がり、その明りに照らされた戦況は、圧倒的に上回る海賊どもに向かって、我兵は必死に応戦していた。船首には途轍もなく大きなイカの化け物『クラーケン』が、灰色染みた太く長い腕をバウスプリットに絡み付け、さらなる腕で我兵士を擡げ、締め付けては次々に命を奪い去っていた。私は恐怖に身体が硬直してしまった。
「王妃様ッ、何をしておられます! 早くこちらへ!」
カイルの声に私は我に返った。そのとき私の瞳に映った物は、横付けして並ぶ海賊船の旗だった。黒い生地を背景に不気味なドクロが描かれ、その背にはドクロを守護するかのようにクラーケンが触手をドクロに絡みつけて描かれていた。
エゼルドが私の肩に手を回し、「さあ早く!」と急ぐよう誘導してくれた。横付けしている海賊船を背に、船縁に向かって必死に走った。背後から火矢が私の横を擦れ擦れに飛んで来たその時、私の背を包み込むように殿を走るエゼルドが突然唸り声を上げた。私は不安を背に振り返った。エゼルドは右手を左肩に当て跪いていた。左肩には矢が刺さっていた。
「エゼルドっ!」私はエゼルドに駆け寄り膝を着いた。
「陛下ッ!」カイルもすぐに駆け寄り肩を貸した。
まさにその時、獰猛な野獣のような声が後方から聞こえた。
「見つけたぞッ!」
私はエゼルド越しに目を向けた。後方から海賊が剣を片手にすぐ目前まで迫って来ていたのだ。
「陛下ここは私がッ!」
カイルが腰の剣を掴み掛けたが、エゼルドはそれを遮った。
「其方はエレーナを頼む!」
「陛下それはなりませぬ!」
「其方しか脱出の経路を案内出来る者はおるまい。さあ早く行くのだ!」
エゼルドはそう告げると私に視線を移し、無言で私の瞳を見つめ小さく頷いた。私も心引き裂かれる思いで小さく頷いた。私達にとってミーシアは、何ものにも代え難い大切な娘。一番にミーシアの命を優先するのは当然の事だった。
エゼルドは腰の剣を抜くと、ゆっくりと振り返り、迫って来る敵に身構えた。エゼルドの姿を見たのはそれが最後だった。
ミーシアを抱いた私は、カイルと救命ボートがある船縁までひたすら走った。だが船縁まで着いてみると、乗るはずだった救命ボートはロープが切られ、海面で無残な姿になっていた。脱出の経路は絶たれていたのだ。
「クソッ!」私に不安を与えまいと、カイルが小さく憤りの声を上げた。
私は懇願する眼差しでカイルの瞳を見つめるしかなかった。
「王妃様、まだ諦めてはなりません!」
瞳から私の不安を感じ取ったカイルが勇気づけてくれた。
「スターンデッキ(船尾楼甲板)に樽がございます。そこに向かい樽を浮き輪代わりに陸まで泳ぎましょう」
その方法しか無いにせよ、カイルの提案は私には残酷なものだった。ミーシアを抱きながら樽にしがみ付くのは私には困難な事に思えたからだ。
「ミーシアは……」
「私が背泳ぎながらお抱き致しますゆえ」
国一番の剣の腕前を持つカイルならばその言葉も信用出来た。
「さあ、一刻の猶予もなりませぬ!」
カイルの足が動き出すと共に私も駆け出した。
目的の場所まで着いてみると、スターンデッキは船室の上にあり、かさ上げされているので梯子を登らなければならなかった。
「さあ、先にどうぞ!」
カイルの指示に従いミーシアを一旦カイルに預け、私は急いで梯子を登った。私が登り切るまでカイルは左手にミーシアを抱き、右手に掲げ持つ剣を辺りに向けて警戒を怠らなかった。
「カイル!」
登り切った私は素早く伏せて手を伸ばし、カイルからミーシアを受け取った。続いてカイルが梯子に手を掛けた。私より俊敏な身のこなしでカイルは梯子を登り切ると、辺りに目を凝らした。
「王妃様、あそこです!」
カイルの指さすスターンデッキの隅には、大中小さまざまな大きさの樽が並べられてあった。小さい樽にいたっては、浮き輪代わりになりそうなほど、私にでも持ち上げられそうな大きさだった。私はその樽に急いで駆け寄り、ミーシアを抱いていない方の手で樽に触れた。これをどうするものかと後ろを振り返った。するとカイルの頭上に、ジガーマストのロープを伝い、スルスルと降りて来る海賊が目に入った。
「カイルッ!」
私はカイルに警告するため、カイルの頭上を見つめたまま大声でカイルの名を叫んだ。
カイルは頭上を見上げると同時に、私の視線の方向に剣をかざした。間一髪、海賊は虚しくも、攻撃する間もなくカイルの剣に串刺しになったが、私達は安堵する暇はなかった。次から次へとロープを伝い海賊どもが降りて来たのだ。
「王妃様先に行って下さいッ!」
「でもどうすれば?」
「小さい樽はふたが開きます。ミーシア様を中にお入れし海に飛び込むのです! 私が時間を稼ぎますゆえ、さあ早く! 私もすぐに追い掛けます!」
迷っている暇はなかった。私の視覚に入った海賊だけでも四人は居たからだ。私に海賊共を近づけまいと、後方でカイルは必死に戦い、海賊共の足止めに全力を振るっていた。
私はカイルの助言通りに素早く小さい樽のふたを開けた。中に液体は入っていなかった。ミーシアを中に閉じ込めるのは抵抗があった。海面に飛び降りた時のショックで、ミーシアが怪我をしないか心配だったからだ。だが迷っている暇はなかった。クッションになるよう、私は自分の羽織っている上着をまずそこに敷き、そしてミーシアをブランケットに包んだままやさしく樽に入れ、私の家系に代々伝わる守りの指輪を外し、それを首から千切った王家の紋章が刻まれたペンダントに通してミーシアの腕にグルグルと巻き付け、最後に指輪をミーシアに握らせた。
(指輪よ……、ミーシアを守って!)私は心の内で強く願った。
「大丈夫だからね」私は自分自身怖くて仕方なかったが、なるだけ声色に出さずミーシアに言った。ミーシアは泣き止む事はなかった。
ふたを閉め、樽を持ち上げ、スターンデッキの際に立った。海面から吹き上げて来る潮の匂いが混じった風が、ビュンビュンと私の顔を吹き抜けて行った。海面を見下ろすと、地上二階位の高さがあった。どこまでも果てしなく続く黒い底なし沼のような海は、私の決意を揺るがせた。本当にここを飛び降りなければいけないのかと後ろを振り返った。カイルは敵をこちらに近づけまいと、数人の海賊相手に必死に奮闘し合っている。私は覚悟を決めなければいけなかった。
「王妃様ァ~ッ、早く~ッ!」
カイルの声が私の背中を強く押した。
私は強く目をつむり、ミーシアを入れた小さな樽を抱きかかえたまま、海面に向かって飛び降りた。ビューンと弓矢が耳のすぐ近くを通過するのが分かった。非常に不愉快な風圧を一瞬感じた後、私の爪先が果てのない黒い海面に吸い込まれて行った。自分自身の体重を支え切る事は出来なかった。ミーシアを入れた樽が手から離れた。私は素早く水を掻き海面へと浮上した。新鮮な酸素を胸一杯に吸い込むと、慌ててミーシアを探した。樽は私が浮上した右前方にあった。その距離は一メートル程だった。海面を二掻きし、三掻き目には右手が樽に触れた。
ビューン!
一瞬、虚空を裂く音が聞こえたかと思うと、私の右肩に痛みが走った。矢が深く突き刺さっていた。続いて背中にも激痛が走った。手に触れていた木の感触が消え、樽が流されて行くのが分かった。
「ミーシアァァァーーーーッ!」
海面に沈み行く中、私は最後の力を振り絞り、自身の右腕を樽に向けて強く伸ばし、懸命に叫んだ。同時に意識も途絶えた。そして私は目覚める事はなかった。
毎日、一話ずつ更新していきますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。
感想の方も頂けたら嬉しいです。
ちなみに、海賊姫ミーシアは、ジブリアニメの『紅の豚』に登場する、どことなく憎めない空賊が、もしも赤ちゃんを育て、育てられた赤ちゃんが、ディズニーアニメに登場するヒロインのような女の子に成長して行けば、これまでにない新たなプリンセスストーリーが出来上がるのではと思い完成させました。




