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3話

それからまたしばらく経った。

患者の数は確実に減少し、病の恐怖が少しずつ薄らいできていた。

前のように連日葬儀があるわけでなく、葬儀がない日も増えてきていた。

そんな時期に亡くなった人を弔っていると珍しく司祭がよろけた。とっさに手を伸ばしたが倒れるには至らず、事なきに終わった。

式の最中は、司祭も疲労が溜まっているのだろうぐらいに思っていた。

しかし、式が終わり遺族が帰った後、司祭は倒れた。

抱き起こしたその体はとても熱く、司祭は苦悶の表情を浮かべていた。

大急ぎで司祭を部屋に運び、寝づらそうな衣服から着替えさせる。

その時にちらりと見えてしまった。その事実に心臓の鼓動が速くなった。出来る限り冷静を装って司祭をベッドに横たえる。

「司祭、ちょっと失礼しますね」

相手の返事を聞かずに先ほどちらりと見えた部分を、改めて確認する。

そこは瘤のように腫れあがっている。

「司祭、これは」

「とうとう見つかってしまったか。そう、その通りだ」

病は足の付け根や脇の下に瘤を作る。

そして、この瘤が出来てしまった頃には既に手遅れであり、あとは衰弱し意識を失い、死に至るのみだ。

「とりあえず、お医者様を呼んできますね」

「いや、いい。どうせもう、どうしようもない。

それよりも、この後も埋葬を待つ故人と遺族が居る。私の代わりに彼を送ってあげてくれないか」

苦悶の表情を何とか笑顔にして、司祭は私にお願いしてきた。

この人はこんな時でも他人の事を気にするのか。・・・でもそういう人だから皆に好かれているし、俺もこの人についてきた。

「・・・わかりました。しかし、お医者様は呼んできます」

そう言い残して司祭の部屋を後にする。

村の中を走り抜けて医者の家を訪れる。幸いにも医者は在宅しており会うことができたので、司祭の状況を説明する。

聞いているうちに医者の表情は硬くなる。

「見るだけは見てみよう。・・・あまり期待は持たないでほしい」

それだけ言って医者は鞄を持って、教会の居住区まで来てくれた。司祭は荒い呼吸のまま寝ていた。

数分の診察の後、医者は深刻な面持ちのまま俺に告げた。

「・・・そう長くはもたないでしょう。すみません、医者にはもうしてあげられる事がない。それこそ神のご慈悲でもない限りは、・・・」

「・・・わかりました。ありがとうございます」

それだけ答えるのがやっとだった。医者が帰った後に気休め程度かもしれないが、濡らしたタオルで顔の周りの汗を拭きとりつつ冷やす。

漏れ出てきそうな感情を押しとどめ、やるべき託された仕事に向かう。

既に故人の埋葬の為に集まっていた遺族に事情を説明する。

「すみません。ジャコモ司祭は気分がすぐれないとの事なので、代わりに私が務めさせてもらいます」

詳細を告げずとも、今この村で体調不良が何を示すのかは、だれしも想像に易い。

遺族達は理解をしてくれて「お願いします」とだけ言った。

初めて儀式を執り行ったが、数十回と間近で見て覚えていたため滞りなく終了した。

しいて言えば、こんな偽物の司祭に送り出された故人は、本当に辿り着く事が出来るのだろうか。

そんな俺の思いとは裏腹に、遺族は俺に感謝の言葉をかけてくれた。それからしばらくジャコモ司祭の真似をして遺族の話に耳を傾け、彼らの心に寄り添う。

話が終わり彼らが帰った後に、急いでジャコモ司祭の元に向かう。相変わらず息は荒いが今度は起きていた。

「無事に埋葬は終わりました。安心してください」

「そうか、それは良かった。私が居なくなっても大丈夫そうだな」

「そんな事を言わないでください。私には教えていただきたい事がまだまだあります」

「私から君に教えられる事なんてもうないさ。これからは君自身の理解と判断で生きていきなさい」

「・・・しかし」

「兄を失ってから荒み切っていた私の心を、君の存在が癒してくれた。短い間だったが君と過ごせたのは私にとって至福の時だった」

「・・・」

「だから、君にも至福の時が訪れる事を祈っているよ」

「・・・」

「さて、しゃべりすぎて少し疲れた。休ませてもらうよ」

そういって、目を瞑る。やせ我慢が限界だったのかもしれない、話をしていた時の穏やかな表情から一転させ、苦悶に満ちた表情となる。

俺に出来る事はただその弱弱しい手を握りしめる事だけだった。

時折司祭は思い出したかのように咳き込み、更には血を吐いた。

俺に出来ることはそれらを介助するだけで、根本から治す事は出来ない。

俺は生まれて初めて心から神に祈った。しかし、奇跡はそう簡単に起こらない。


気が付けばそのまま寝ていた。司祭は相変わらず荒い呼吸で寝ている。

このままずっと司祭の手を握っていたいが、そうもいかない。

やることは大いにある。減ったとはいえ未だ病から逃れ切れていないこの村では、葬儀も埋葬も予定は立て込んでいる。

それらを放り投げてでも司祭はこのまま手を握っていてほしいと願うだろうか、否、そうは言わないだろう。

どこまでも他人に優しい司祭は、故人や遺族の為に儀式を優先しろと言うはずだ。

「では、司祭行ってきます」

寝ている司祭に小声で話しかけ、ベッド脇を後にする。

葬儀を終わらせて、軽めに昼食を取って午後の予定の時間ぎりぎりまで、司祭の手を握る。

夕刻に埋葬が終わった後、司祭の部屋を訪れる。

司祭のあの辛そうだった呼吸は止まり、その体は既に冷たくなり始めていた。

そのかろうじてぬくもりが残る司祭の手をきつく握った。

しばらくして、やっと感情が落ち着いてきた所で手を放す。

その足で村長の家へと歩く。

人が亡くなった事に対する事務的な報告と共に、一つの提案をさせてもらう。

「通常ですと司祭が亡くなったら、葬儀の為に地区を管轄する都市の教会から、数名を派遣してもらうものです。

しかし、このような状況ですと今から要請してもいつ返答が来るかすらわかりません。

そこで、ジャコモ司祭には大変失礼な扱いにはなってしまいますが、未熟者の私に執り行わせてくれないでしょうか」

本来は教会に関する事項に対して村長は口を挟む立場には無い。しかし、俺以外に教会の人間はいないし、司祭はこの村の人々に好かれていた。

俺の独断で何かするよりは、村の代表に確認を取るのも一つだと思った。

村長は穏やかな顔で答えた。

「それは司祭も喜ぶと思います。司祭は君のことを息子のようにかわいがっていましたから」

「ありがとうございます」

提案を受け入れられた事も嬉しかったが、それ以上に村長の一言がとても嬉しかった。


翌日に司祭の葬儀を執り行うと、村中から参列者が来てくれた。司祭の人となりがそれだけでもよくわかる。

俺は他の人を送る時と同じよう行う為に、できうる限り感情を殺して粛々と式を進めた。

村の人たちの助けを借りて、一時的に教会の地下に安置する。明日には埋葬できるだろう。

参列してくれた村人たちに感謝の言葉をかけて、その日は解散となった。

教会の居住区で1人、物を口に運びながら事務的な事を考えていた。

俺は司祭の私室を訪れた。そこは司祭の生活のあとがそこかしこに残っており、いまだに司祭が生きているのでは無いかと錯覚させるほどだった。

感傷に浸るのは後にしよう。

自分に強く言いつける。今はこの教会にとって重要な書類の場所の確認だ。今後色々と必要になるだろうから場所ぐらいは確認しておかなければならないだろう。

色々さがして目当ての物はだいたい見つかった。

一息ついて、ふとベッドサイドの引き出し付きのテーブルが目に入った。

テーブルの引き出しからは手紙が二通と日記と書かれたノートが入っていた。

日記の上に置かれた二通の手紙を手に取る。一通は高級そうな紙に厳重な封、そして表には丁寧な文字で都市の教会あてと記されていた。

もう一通の方は封はされておらず、表には「ジュゼッペ・サヴィーニ司祭へ」と記されていた。

俺はその手紙を広げた。

ーーー

親愛なるジュゼッペ君へ

まずは私のこの世での後始末をありがとう。君の事だからきっと丁寧に私の事を送ってくれたのだろう。

君のおかげでこれを読んでいる頃の私は、道に迷うことなくまっすぐと神のもとへ向かっているだろう。

心から感謝する。

さて、君に一つ謝らなければならない事がある。

これを書いてから君が読むまでの間に私自身の口から直接君に伝えられていれば良いが、私のような不精者ではその望みも薄いだろう。

だから、ここに手紙として書いた。

私は君に嘘を付いていた。正確に記するならば知らないふりをしていた。

私は君に最初に会った時にすぐに君が、ジュゼッペ・サヴィーニでは無い事に気が付いていた。

その事実に気が付いていながら私は君を招き入れた。そして、無垢なる君を司祭へと仕立て上げてしまった。

君には本当に申し訳ない事をしたと思っている。それらは全て私のわがままだ。

だから今更だが最後は君に決めてもらいたい。

この手紙と一緒に置いてあった手紙には、ジュゼッペ・サヴィーニという司祭はこの村に辿り着かなかった旨と、私が病で残り幾ばくも無くその後はこの教会が無人になってしまう旨を書いておいた。

もし君が私の勝手な振る舞いが嫌になったのであれば、このままこの村を去る事も良いだろう。その時は大変申し訳無いが、もう一通の方を郵便として出しておいて欲しい。

そうすれば、君は愁いを感じる事なく元の生活に戻れるだろう。

この村を出るか残るかのどちらを選ぶかを私は強制できない。是非とも君の心のままに。

たとえどちらを選んだとしても君に神のご加護があらん事を。


本当に君を愛おしく思っている

ジャコモ・サヴィーニより

ーーー

俺が偽物であることがばれていた事も驚きだったが、それよりもここまで自分の死んだ後の事を心配してくれていた事に驚いた。

筆跡からは何度となく中断を繰り返しながら、体の調子の良いほんの隙間を使って少しずつ書かれた事が分かる。

司祭の優しさが十分に詰め込まれたその手紙を胸に抱いた。

もう一通の方は封もしてある為、中身の確認のしようがない。

しかし、その手紙がその役割を果たす事は無いだろう。

最初こそ司祭にさせられたと思う事は有ったが、今ではジャコモ司祭の弟子としてこの教会を守っていかねばという思いが強い。

俺が出て行ってこの教会を無人にしてしまうぐらいなら、偽物の俺でもいた方が良いだろう。

ジャコモ司祭が築き上げた、教会と村人との結びつきを何とか維持したい。

それが残された俺に出来る事だと、俺は思っている。

次に俺は日記を開いた。

最初の方は司祭らしく丁寧に、毎日の出来事とその感想が数行でまとめられている。

パラパラめくっていくと一か所で目が止まる。いつもの丁寧な文字では無く走り書きのようにただ一言。

「兄が病に侵された」

それだけが書かれていた。よく見るとそこから1か月近く日付が飛んでから記述が書かれている。

「やっと少し落ち着いてきたので、都市の教会へ要請を送った。これでうまく行けば誰かが来てくれるだろう。

いつまでも悲しみに暮れて自堕落に過ごすわけにはいかない。誰かが来ればけつを叩かれて私も動かざるを得ないだろう。」

そして数日後の日記には都市の教会から返答が来たようだ。

「都市の教会からの返答が来た。新人を派遣する旨が書かれていた。その新人の名前は私の息子のものだった。

神のお導きかただの都市の教会の優しさか、数年ぶりに息子に再開できそうだ。」

心臓が大きく跳ねた。数日後の俺がこの教会を初めて訪れた日の日記。

「都市の教会から派遣された新人が来た。しかし息子では無かった。同じ名前の別人とは考えにくい。

では息子の名前を騙り、私の目の前に立つのは誰だろう。本物の息子はどうしてしまったのだろうか。

彼を問い詰めれば聞き出せるかもしれないが、その勇気が私には無い。」

その数日後。

「数日間考えたが、彼から聞き出す事はしない事にした。何かのはずみにでも彼の方から話してくれるのを待つことにしよう。

もし、彼の口から息子の最後を聞いたとき、私は彼を許す事ができるだろうか。例え神が許しても、今の自分には出来そうにない。

もしかしたら未来の自分なら、彼を許せるようになっているかもしれない。そう願いたい。」

そこまで読んで崩れ落ちた。

司祭は全てを知った上で、あそこまで俺に優しく接してくれた。

そこにいるのが、自分の息子を殺害した犯人かもしれないのに。

「あ、ああ、ジャコモ司祭」

涙がとめどもなく溢れてくる。

「ごめんなさい・・・、私が・・・、」

言葉にならない懺悔の言葉と悔恨の涙が、主人を失ったベッドのシーツに染み込んでいった。

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