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2話

歩みを進めてすぐに一つの事実に気が付いた。

普段の俺は職業柄も有るが、なるべく目立たないようにひっそりと歩く。そこにいつものぼろ布のような衣服である為、すれ違う人が誰一人として俺の事を意識しない。

しかし、今は司祭の服を着ている。それでひっそりと歩くとかえって目立ってしまうため、できる限り堂々と歩くように意識した。

すると当然のようにすれ違う人はこちらに気が付く。

対応は人によってさまざまだが、概ね好意的だ。

会釈してくるだけ人も居れば、ありがたがって祈りだす人までいる。

彼らは何に対して祈っているのだろう。そこには本物の司祭は居ないのに。

そこにいる人間は先ほどまでは、彼らが視界の端にすら捉えていなかった、取るに足らない人間だったはず。

それともこの衣服に対してだろうか。それならこの衣服をその辺の案山子に着せたら、彼らはその案山子に対して祈るのだろうか。

そんな事を思いながら歩いていき、やっと村にたどり着いた。

村に踏み入れた最初の印象は後悔だった。

なぜこんな事を思いついて、この村を訪れてしまったのか。

その村は死臭に覆われていた。すでに多くの死者が出ているのだろう、どこということ無く村全体から匂いがする。

道を出歩く人は居らず、閉ざされた家々の中からは悲しむ声や時折せき込む音が聞こえる。

この村もだいぶ病に侵されているようだ。

逃げ出したくなる気持ちを、教会の金品強奪という己の欲望で何とか抑え込み、教会まで進む。

正門をノックするとややあってから、扉が開かれた。

「どちら様かな」

扉の隙間から現れた、年老いた司祭が話しかけてくる。

緊張の瞬間。ここで上手く行けば後の仕事がしやすくなるし、失敗したら追及を受ける前に逃げ出さなければならない。

「初めまして。こちらの協会からの要請により、派遣されましたジュゼッペ・サヴィーニです」

出来る限りの笑顔で挨拶するこちらに対して、彼は一瞬動きが止まる。

失敗したと思い、どう逃げ出そうか思案しているところに、男から手が差し出される。

「・・・ああ、すまない。あまりに君が若かったので驚いてしまってね。司祭のジャコモだ、よろしく」

男もまた笑顔になり、握手をした。どうやら最初の関門は突破したようだ。

「しかしその若さだと、神学校も卒業していないんじゃないのか。・・・それほど人手不足ではあるのか」

独り言のように自問自答する男に取り敢えず話を合わせる。

「そうですね。病は世界全体に広がっていますから。程度の差は有ってもどこも同じような状態かと思います」

「そうすると君はその中でもだいぶ悪い籤を引いてしまったようだね」

男は自虐混ざりに言葉を続けた。

「元々この教会は、私と兄の二人の老人で何とかやっていた。

しかし、とうとう兄が病に捕まってしまってね。兄の死後は本来怠け者の私一人の手しか無いため、色々滞っていてね」

「私に出来る事があれば何でもします」

「君に頼みたい事は山ほどある。主に力仕事ばっかりだがね」

笑いながら言った後、不意に男は真剣な表情になる。

「その前に一つだけ確認しておきたい」

「・・・なんでしょう」

緊張が走る。会話や仕草で何かミスをしただろうか、しかし、いざとなったら全力で逃げ出せば男から逃げ切れるだろう。

「これは司祭としてではなく、ただの老人からの提案だと思って聞いてくれ。

この村に入って分かったとは思うが、この村もまた病に翻弄されている。この教会の地下にも埋葬を待っている死者が多くいる。

そんな所に居れば、病にかかる可能性は他の場所より格段に高い。

そして、確かに君にはこの辺りを管轄する都市の教会から任命されたやるべき役職がある。

しかし、君はまだ若い。人生これからだ。

例え君がこのままこの村を出て行っても、私にはそれを責める事は出来ない。私が君の立場なら、一目散に逃げだしていたかもしれないからね。

・・・君は本当に良いのかい」

肩透かしと言えば肩透かしの確認事項だった。緊張が和らぐ。

それと同時に、この人の心からの優しさに触れられた気がした。こんな優しさに触れたのはいつぶりだろう。久しく覚えが無い。

「私は今までの人生で、今回ほど人に頼られた経験がありません。確かに病は怖いですが、それでもできる限りお役に立ちたいです」

本音半分、建前半分。教会の金品を奪うという目的を達成するまでの間だけでも、この優しさに報いたいと思ってしまった。

俺の返答を聞いて、男は表情を明るくした。

「そうか、ありがとう。では改めてジュゼッペ君、ようこそ。君を歓迎するよ」

こんな俺を快く歓迎してくれる司祭に対して、ほんの少しだけ心が痛かった。

到着したその日から、仕事が回ってきた。

正確にはせざるを得ない雰囲気に巻き込まれた。

死者を弔い、埋葬するためには墓穴が必要となる。人一人分の大きさの穴だからかなりの重労働だ。

普段であれば力自慢の現役世代数名で事もなく終わるが、彼らもまた本人が亡くなったり、家族を失い失意の内に暮れていたりする。

そのため人手が足りなくなり、一人分の墓穴を用意するのに時間がかかる。その間も病は侵攻の手を休めることは無い。

司祭はシャベル片手に一人でも墓地に向かうと言うので、それにつきそう形で穴掘りを開始した。

老人と若者では当然体力に雲泥の差が表れる。俺がほぼ一人で無心に掘り返しているうちに、一人分の用意が出来た。

勢いに乗って3名分の墓穴を用意した所で、日が暮れて時間切れとなった。

「ご苦労様。到着早々にこんな力仕事を頼んですまない。しかしお陰で明日には3人を埋葬することが出来る」

「それは良かったです」

「では、戻って夕食としよう。君の歓迎を兼ねて少しばかり豪勢にしようか」

普段使わない筋肉を酷使したため、疲労しきった体にはその提案はとても甘美に聞こえた。

教会に併設された居住区で司祭と共に2人で夕食を食べた。

「私はもう少し仕事をしてくるから、君は疲れも溜まっているだろうし休んでなさい。明日は彼らの埋葬で忙しくなる」

「・・・はい」

穴掘りから若干の時間がたち、体が疲労を十分に認識し始めていた。頭も上手く働かない。

俺は流されるままに用意された個室に入り、ベッドに崩れ落ちる。

今の状態ではとてもじゃないが、教会から金品を盗んで逃亡する事は出来なさそうだ。

そこまで急ぐことは無いだろう。明日以降でも十分機会は巡ってくるだろう。

そんな納得とも言い訳ともつかないような事を考えながら、いつの間にか意識は飛んでいた。


次の日、朝から司祭に彼らの埋葬の儀式に立ち会うように言われた。

司祭であれば当然の責務だろうが、困った事に俺はそういった場に居合わせた経験が乏しく、何をどうすれば良いのかわからない。

困っている様子がばれてしまったのだろうか、司祭から助け舟が出る。

「そういえば、君は神学校をちゃんとは卒業してなかったかな」

「ええ、そうなんです。それに、正直言うと勉強が嫌いで、授業もろくに受けてなくて」

しどろもどろに何とか言い訳を作り上げる。

そんな言い訳を聞いた司祭は笑顔で応えてくれた。

「そうか、そうか。なるほど、それならば致し方あるまい。

では、今日の埋葬の儀式は本当に立ち会うだけで良い。私の横で見ていなさい。なに、機会は山ほど有るゆっくりと覚えていけばいい」

そうして儀式の進行という大役はなんとか免れたが、俺は今後有るかもしれない可能性の為に、必死に司祭の行動と言葉を覚えた。

その日は予定通り3人の埋葬を執り行った。朝いちばんから始めたが一人にそこそこの時間がかかるため、3人分終わる頃にはお昼を完全に過ぎていた。

かなり遅めの昼食を口に入れながら、浮かんできてしまった疑問を司祭に投げる。

「どうして、あの3名の方の埋葬を同時に執り行わなかったのですか」

本来的には一人ずつ執り行うのが正しい事は分かる。しかし、現状は病によって死者が増えている。

そうなれば、一人ずつ執り行わず複数人を合同で執り行うことも、致し方ないのではないか。

「確かにその意見には一理有る」

と、断った上で司祭は持論を語りだした。

「合理性だけを考えれば、その方が良いし私も楽が出来るだろう。

しかし、私は一人ずつ執り行う事にしている。それは故人よりも残された遺族の為だ。

人によっては大事な人が旅立った悲しみを誰かに吐露したくなるかもしれない。人によっては悲しみのあまり道を見失い道しるべを欲するかもしれない。

そんな時に私のような不真面目な司祭でも寄り添う事は出来るし、経典の一節を解説と共に授ける事ぐらいはなんとか出来る。

彼らからそのような機会を減らすことは極力避けたい。できうる限り時間を設けて、彼らが再び立ち上がれるのを見届けたい。

そんな私のわがままだよ」

そんな言われてしまえば当たり前の事に気付かされた。

「私は今まで、司祭なんかただ正確に儀式を進行させる事が出来さえすれば良いのかと思っていました」

「私に言わせればそれこそどうでも良い事だ。

例え儀式の文言を間違えようと順番を取り違えようと、故人を送り出し遺族に寄り添う気持ちを持っていれば、それで良いと思っている」

「・・・なるほど」

「さて、この後も亡くなった人の弔いが待ってる。忙しくなるが頼むよ」

そういって遅めの昼食は終わった。

その後は予定通り、亡くなった人を弔う。

言われてから改めて注意して見てみると、確かに司祭は遺族の心に寄り添うように話しかけ耳を傾ける。

俺は少しだけこの司祭に興味を持った。

同じ村に住んでいるとはいえ、赤の他人にここまで親身になれるものだろうか。それも聖職者としての努力の賜物だろうか。

だったら、今まで他人に無関心で行き交う人を日々の食糧としか見ていなかった俺も、聖職者としての努力をしたら変わるのだろうか。

とてもそうは思えない。やはり、ジャコモ司祭個人の資質のような気がする。

葬儀が終わり、故人を一時的に教会の地下に安置する。

埋葬したくても準備が間に合っていない。そんなわけで、今日もまた日が落ちるまで穴を掘り続ける。

質素ながら夕食を食べたのち、司祭に声をかけられた。

「さて、ジュゼッペ君。」

「何でしょうか」

司祭は分厚い本を手に持ち、にこやかに言ってきた。

「昨日今日の君の様子で、どうやら相当に神学校の授業をサボってきた事がわかりました」

「・・・」

さぼるも何もその場しのぎの出まかせなのだから、司祭らしい所作なんかわかるわけがない。

「ですから、私の自己流の解釈も混ざるかもしれないが、君に教義を一から教えこみましょう」

「・・・はい。よろしくお願いいたします」

拒否権は無いのだろう。まあ、ここに居る間は必要な知識だし、今後も使うことが無いとも言い切れない。

俺は黙って個人授業を受けた。

その夜は頭がパンク寸前で夕方の疲労も有り、やはり窃盗を実行できそうに無い。

別に急ぐ事は無い。そう思いながら眠りに付いた。


それからの日々は同じ事の繰り返し。新たな死者を弔って、準備が出来た所から埋葬し、新たな墓穴を掘る。

日が暮れてからはみっちり個人授業。

日に日にそれらに順応しながら、徐々に本来の目的への意欲が薄れていった。

ここで労働と勉強に従事していれば、質素ながら食にはありつけるし、襲われる心配も少なく寝られる。

この快適な場所を自ら投げ捨てて、元の過酷な状況に戻る事に何の意味があるのだろうか。

目下の心配事は何かの拍子に、自分が偽物であることがばれる事。そうなればあの温厚な司祭も激昂して俺を追い出すだろう。

そうなったら改めて、窃盗と逃走を考えよう。

それまでは偽物である事を悟られないように「司祭」に従事しているほうが、生き延びる事が出来そうだ。

この村に来る前に最大の懸念であった病も、俺がこの村に着いた頃が一番酷かったようで、その後は少しずつだが感染者や死者が減っている。

もしかしたらこのまま村全体が病から逃げ切る事が出来るかも知れない。

そんな淡い希望を持ち始めても良いと思える程度には減少していた。

亡くなる人が減れば、教会もその分時間の余裕が生まれる。教会の地下にあった、埋葬の順番待ちの列も解消された。

これまで後回しにされていた教会内の雑務を処理していると、司祭に呼ばれた。

「これから少し出ようと思うが君も一緒に来るかい」

「どこへ行くのですか」

「病に罹った人たちの見舞いだ」

「見合いですか」

「知っての通り、この病に罹ったらほぼ助からない。それは罹った本人も十分に理解しているだろう。

一番不安と恐怖にさいなまれている彼らに対して、治療こそできないが話を聞くことはできる。

それこそが本来的に私たちが行うべき事だと、私は思う」

反対する理由も見つからず、同行することにした。

私は司祭と共に患者たちの見舞いに向かった。

それぞれの家を一軒ずつ訪ねて、感染の可能背を考えずにその手を握る。

時に共に神に祈りを捧げ、時に経典の一節を授ける。

死への恐怖で絶望していた患者の表情が幾分か明るくなっていくような気がする。

しかし、出来ることはそこまでで、彼らを治療する事は出来ない。

神の慈悲でもあれば奇跡的に助かるかもしれないが、奇跡はまず起こらないから奇跡と呼ばれる。

帰り道についつい呟いてしまった。

「ああやって、手を握りしめるだけで彼らを治療する事が出来れば、良いんですけどね」

司祭は微笑と共に答えてくれた。

「私はただの人だ。当然神様ではないし、経典に出てくるような聖人でもない。だからそんな奇跡は起こしようが無い。

ただただ、彼らに正しい道を示すだけだ」

「もしかしたら、彼らは明日にでも息を引き取って、ジャコモ司祭のせっかくの教えが無駄になるかも知れないのにですか」

「少なくとも私たちと話した一瞬だけでも彼らの表情を明るく出来た。それだけで見舞いに回ったかいが有ったと思うがね」

「・・・ジャコモ司祭」

「ん、なんだい」

いまだに納得のできない質問を投げかける。

「どうしてそこまで献身的にいられるのですか。日々の日課や業務で忙しいはずなのに、何とかできた余裕を見舞いにまで充てて」

「私はただ罪を償っているだけさ。こんな私でも数多の罪を犯してきた。中には私が原因で人を死に追いやった事も有った。

神はこんな私を到底許さないだろう。だから、その裾に必死になって縋りついて許しを懇願しているだけだ」

これだけ献身的に神に仕える司祭が神に許されないとしたら、その神はいったい誰を許してくれるのだろう。

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