1話
病が蔓延した結果、廃墟と区別がつかなくなった街の郊外部。
今日も今日とて獲物を探していると、一人の男が通りかかる。
その特徴的な黒い衣服からすぐに職業が特定できる。
神に仕える、司祭。
なかなか珍しい獲物だ。
ふと、かつて同職の輩が上機嫌で自慢していたのを思い出す。
「あいつらはすげぇチョロかったぜ」
その輩の言うには、彼らは基本的に人を信じる事しかしない。だから簡単に近づける。
近づいてしまえば後は絞めるでも刺すでもやりたい放題、らしい。
「・・・そんな上手く行くんかな」
訝しく思いながらも、試してみる価値は十分にある。
どちらにしろ誰かから奪わなければ、自分の明日にありつけない。
商人は金品は持っているけどその分警戒をしている為、近づきようがない。
その辺の村人は警戒は薄いが、そもそも金品を持っていない。
それだったら成功確率が高く、金品を持っていそうな司祭を狙うのは当然だろう。
男の進行方向を先回りして、浮浪者のふりをして道端で突っ立ってみる。
着ている衣服はもともと浮浪者とほぼ変わらないような、ぼろ衣だから問題は無い。
通りかかった男に話しかける。
「そこの司祭様。何か恵んでくれませんか」
その声で俺に気が付いた男は、驚きながらもこちらを見てくれた。
男の表情が笑顔になる。こちらに心配を与えない為の配慮だろうか。
「そんな若いのに大変だね。一人かい」
「父と母はこの病で亡くなりました」
正確には違うが、父と母が居ない事は事実だ。とっくの昔に亡くなった。
「そうか、それは災難だったね。では、一食ぐらいなら馳走しよう。
流石に私も急ぐ旅の身でね、此処にいつまでも足止めされるわけにはいかなくてね」
「ありがとうございます」
「なに、神に仕える身としては当然の事だよ」
男は笑顔を全く崩さずに、そう答えた。
俺には理解出来なかった。
百歩譲って警戒心が薄いのはその人の性格だとして良いとしても、なぜ、そうも簡単に自分の食料を分け与えることが出来るのか。
この男の急ぐ旅の目的地がどこだかは知らないが、こんな風に分け与えていたら目的地に着く前に飢え死ぬ可能性だって出てくるはずなのに。
携帯していた食料を一人分切り分けてくれている男に、率直に聞いてしまった。
「私からお願いしておいて、その上で聞くのも変な話ですが、どうしてそうも簡単に自分の食料を分け与えられるのですか」
俺の質問を意外といった表情で受け取った男は、しばし中空を見上げ考え込む。
「どうして、か。・・・困ったな、そんな事考えた事も無かった。強いて言えば、困っている人が居たから助ける。そんな普通な対応をしただけのつもりだったのだけど」
「・・・普通の対応、ですか」
この男にとってはその対応が普通らしい。
もしかしたら、今までに人に騙される経験をした事な無く、他人を信じ切っている途轍もなく甘い考えの持ち主なのかもしれない。
「例えば今ここで君の事を見捨てて、自分の事だけを優先した場合、確かに自分の食べられる量は増えるかもしれない。
しかし、そうすれば私の心に棘が一本つき刺さる。一生かかっても抜けない棘だ。
その棘は私の心を徐々に弱らせる。そして、天に召された後、神様にその棘が見つかり、私は神様の慈悲から零れ落ちるだろう。
だから、君の為だけでもなく、私の為だけでもなく、二人ともが救われる方法はこうする以外が考えられない」
「しかし、そんな事をしていたら、今度は自分が餓死するかもしれませんよ。もしかしたら、その優しさに付け込まれて狙われるかもしれない」
「その時は、その時さ。私の使命はそこまでだったという事さ。無論、暴漢なんかに襲われたら出来る限り足掻くけどね」
冗談交じりに笑いながら話すと、切り分けた食料を差し出してきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺が食料を受け取ると、そのまま今度は自分の分を切り分け始める。
切り出したその食料を手に持ちながら、男は神に祈りを捧げ始めた。
内容を聞いてみるとその食料をもたらしたのは、姿すら見せない神の仕業らしい。
しかし、そうだとしたらその食料をこの男が手にする為に行った努力は不要だったのか。
日々を何とか生き抜いている俺には、理解しがたい。
俺は日々、死ぬ思いで何とか獲物を刈って、何とかその日の食に在りつけている。
その日の食に在りつけるも、餓死するも、自分次第。そこに存在するかどうかわからない奴の介入する余地は全くない。
男が食べ始めるのに合わせて、俺も食べ始める。
「そういえば、君の名前は」
「ウベルトです」
「ウベルトか、良い名前だ。君のご両親はさぞかし君を大切に思い、人生の最初の贈り物としてその素敵な名前を君に与えたのでしょう。
亡くなったご両親の為にも、自分の名前に誇りを持ってください」
「・・・はあ」
名前一つでこうも楽しそうに話すとは思っておらず、少し戸惑った。
会話が途切れて気まずくなるのもなんか嫌なので、こちらからも話題を振ってみた。
「そういえば司祭様は急ぎの旅との事でしたが、どちらまで」
「ああ、この道の先に村があるでしょう。その村の教会から、人手が足りなくなったから若手でも良いから送ってくれと切羽詰まった手紙が送られてきてね。
どの教会も同じような状態だからね、結果、私みたいな若輩者が派遣されてきたわけさ」
「へぇ」
その村は、ここからもう少し歩いた所にある寒村。男が言っているように確かに教会が有ったはず。そこの司祭は確か兄弟で二人居たと思ったが。
病は普通の人だろうと司祭みたいな尊い人物だろうと、分け隔てなく等しく降りかかるらしい。
男は自分の分の最後の一かけらを口に入れ、食事を終わらせた。そしてまた神に祈りを捧げた。
俺はその祈りをまた無言で聞き流す。
「では、そういうわけだから私はもう行こうと思う」
「ありがとうございました」
「こちらこそ。君という素晴らしい人に出会えた事に感謝しなくては」
「私は、そんな素晴らしい人間ではありませんよ」
「そうかい。私は全ての人間はそれぞれに素晴らしい所を持っていると思うけど」
「見ての通り、ただの小汚い浮浪者です。何も持ち合わせていません」
「ふむ。ではこうしてみればどうだろう。先ほど私は君に食料を分け与え君を助けた。同じように、次は君が誰かを助けてみてくれ。
そうすれば、君の心はとても崇高でほかの誰にも勝る素晴らしいものになるだろう」
「・・・はあ」
やはりこの男との会話には温度差を感じてならない。
「では」
そう言って男は、俺に背を向けて歩き出した。
一呼吸を入れてから、その背後に忍び寄り、袖に隠し持っていた紐で首を絞める。男は暴れるがその程度の事は予想済み。紐が緩まないように全力をかけて数分後、男は絶命した。
「すまんね、司祭様。こうしなきゃ俺が生きていけねぇんだ。・・・それに俺の名前は自分でつけたものだ。親から貰ったものなんか何もない」
きっと俺が生まれた直後は親から貰った名前も有ったのだろう。それを自分で覚える前にその名を呼んでくれる人は死んだ。
今の名前も便宜上、勝手な名前を名乗っているだけでそこまでの愛着があるわけでもない。
倒れた男の服やら鞄やらを漁る。ちなみに俺がナイフを使わないのはこの方が服が汚れにくい為。司祭の服としては売れなくても良質の生地としては買い取ってくれる所もあるだろう。
服のポケットからは上質な紙の手紙が出てくる。そこにはこの先の村の教会からの要請に従い正式に派遣を決定した旨と、その派遣者へと任命された旨が書き記されている。
少なくとも男が語っていた話に嘘はなかったようだ。
しかし、俺にはこの上質な紙が売れるかどうかぐらいしか興味はない。
手で遊びながら考える。
ふと、何かの気の迷いで、今この場で命を絶たれた男の事を考えてしまった。
普段の俺なら狩った後の獲物のことは考えない。もしかしたら一食の恩というものでも感じてしまったのだろうか。
この男がここで息絶えて、ここに書かれている村には行けなくなった。
となると、その村の教会はより一層手が回らなくなるだろう。
病がそこら中に蔓延し、人々が次々に命を落としていく。この村も例外ではないだろう。
そんな亡くなった人を最後に弔うはずの司祭が人手不足ではどうなるか。
弔われ埋葬を待つ死者の行列。
「はぁ・・・」
本来であれば自分には関係のない、どうでもいい村の最悪な状況を自分で考えて、自分で自分の気分を盛り下がる。
だからと言って、この男の死を無かった事にして復活させるなんて、奇跡の芸当が出来るわけもない。
「今回ばっかりは、ちょっと気分が悪くなったな」
元々珍しいとはいえ、今後は司祭には手を出さないようにしよう、そう心に思う。
「悪かったな、司祭様」
そう言いながら男の亡骸を改めて見る。
そういえば年齢こそ一回りほど違うが、その男と自分の背格好はほとんど同じだった。
男の着ていた衣服を俺が着る事は容易だろう。
そして、一つ閃いた。
この男になりすまして、この村に行ってみよう。
そうすれば、村の様子がわかる。もしかしたら俺の勝手な想像とは逆で、死体の群れには遭遇しないかもしれない。
そして何よりも、この格好で村に入れば信用される。
ぼろが出て疑われるまでの間に、教会内の金品でも奪って逃げだせば一石二鳥だ。
その男の状況を細かく観察をした上で、衣服をはぎ取りその男と同じように着る。
見立て通り服のサイズはほぼぴったりだ。
鞄もそのまま頂戴する。
最後に先ほど見つけた手紙にもう一回目を通して服のポケットにしまい込む。
「ジュゼッペ・サヴィーニ、よし、俺はジュゼッペ・サヴィーニ、」
手紙の宛名、つまりあの男の名前も拝借する。記憶するために何度となく口にする。
準備万端で俺は「ジュゼッペ・サヴィーニ」が目指す村へ歩みを始めた。




