第八話:理不尽な選択
その声にはっとしたエスティナは、俺を解放すると、横にいるミャウを見下ろした。
ふぅ……。心臓がずっとバクバクいってるけど、気づかれてないよな。
ぱっと見は大丈夫そうだけど……。
「その鳴き方。もしかして、ミャウちゃん!?」
「ミャウミャウ」
驚くエスティナに、ミャウはその場で前足のみ伸ばして背筋を伸ばし座り直すと、そうだと言わんばかりに頷く。
そんなあいつの態度に、彼女は思わず目を丸くする。
「わぁ! あの小さかったミャウちゃんが、こんなに大きくなったんだね」
「あ、いや。それが、元々前と変わらず小さかったんだけど。こっちに来た時に何故か大きくなっちゃったみたいで」
「へー、そうだったんだ。ミャウちゃん。さっきは撫でさせてくれてありがとう」
「ミャウ」
エスティナがその場に腰を下ろし、笑顔でミャウの頭を撫でると、やっと構ってもらえたあいつは満足気に目を細め、気持ち良さそうな顔をする。
そんな微笑ましい光景と、エスティナから解放された安堵感に俺がほっとしていると、エリスさんがコホンと咳払いをした。
「エスティナ。積もる話もあるでしょうが、今はリュウト君の話を聞きましょう」
「あ、はい。お祖母様。失礼しました」
慌てて立ち上がった彼女は、ぺこっと頭を下げる。
それを確認すると、エリスさんが再び俺を見た。
「さて、リュウト君。先程貴方が私達に話した願いの理由、聞かせてもらえるかしら?」
「はい。知っての通り、俺はこの世界を救った勇者と賢者の息子です。ただ、できれば俺の事は、あくまでこの世界を何も知らず、エスティナとも出逢っていない、右も左も分からない来界者って事にしたいんです」
「え? どうして?」
エスティナの問いかけに、俺は一度言葉を止める。
こんな話をしたら、幻滅されるだろうか?
勇者の息子がこんな弱気な奴だったのかって。
そんな不安はあったけど、それでも真実を話すべく、重い口を開いた。
「俺は両親から聞きました。勇者一行として戦う大変さと苦しさを。そして、父さんは俺に同じ想いをさせたくないからこそ、もしこの世界に飛ばされるような事があったら、自分の素性は隠せって助言してくれてたんです」
「それで、貴方自身はどうしたいのかしら?」
「……お恥ずかしい話ですが。俺がもし勇者になれって言われても、そんな勇気も自信もありません。だから俺も、元の世界に帰る方法を探しながら、ただの来界者として、平穏に暮らしたいって思ってます」
本音を語りながら、二人がどんな顔をするか、内心ビクビクだった。
けど、二人は俺を責めるような顔なんてせず、自然と顔を見合わせる。
「お祖母様。どうかリュウトの願い、聞き入れてもらえませんか?」
「……そうね。私もあの旅路を経験した一人。リュウジさんや姉様の心配もわかりますし、異論はありません」
「それじゃ──」
「但し」
思わず喜びそうになった時、エリスさんはその一言で逸る俺の気持ちを制した。
「貴方の選択によって、貴方の当面の身の振り方が変わる事になります。それは覚悟して頂戴」
「え? 選択ですか?」
どういう事だ?
話からすると、俺が正体を明かすかどうかで何かが変わるって事になるんだろうけど……。
どんな話が語られるのか。俺が緊張した面持ちになると、エリスさんは優しく微笑んでくる。
「リュウト君。そこまで緊張しなくてもよいですよ。四百年前にリュウジさん達と邪神ヴァーザスを倒して以降、この世界は平和そのもの。選択次第で貴方が命の危険に晒されるという訳ではございません」
「え? もうそんなに経っているんですか!?」
「ええ。貴方から二人の姿を見せてもらった時、あまりに時の流れが違い過ぎて、こちらが驚いたくらいですよ」
その顔に浮かぶ戸惑いは、俺とあまり変わってない。
って事は、今の話は真実って事か。
まあ、その間平和だったって事は良いことなんだろうし。話通りなら来界者だからって、いきなり勇者に担ぎ上げられるような話もないんだろうけど。
「ごめんなさい。話が逸れましたね」
「あ、いえ」
「質問の答えだけれど。もし貴方をこの世界を知らず墜ちて来た来界者として扱う場合、貴方は当面、あの女子寮で暮らしてもらうことになります」
「……へ?」
どういう事だ?
俺は男だぞ? それなのに女子寮?
予想外過ぎる話に唖然としていると、エリスさんが申し訳無さそうなため息を漏らす。
「この世界では、来界者が国立施設に現れた際には、当面はその墜ちた場所で暮らさなければいけない法があるのです。リュウト君が現れたのはミレニアード魔導学園の女子寮。あそこもまたこの王国の国立施設である以上、それが適用されます」
「え? 何でそんな法があるんですか?」
「来界者がこの世界に馴染むのに、最初に出逢った人達と共にあるほうが良いだろうというのがひとつ。そして、来界者という貴重な存在を、なるべく国の監視下に置いておき、様子を見たいというのがもうひとつの理由です」
最初に出会った人達と共にあるほうが良い、か。
まあ、今回の俺みたいなケースはともかく、確かにいい感じでこっちの世界の人に助けられれば、それはある意味いいかもしれない。
でも、国の監視下に置く?
それだったら、もっと楽な方法があるはずだ。
「それであれば、全員を城に集めて生活させれば済む話じゃ……」
そう。結局城に集めれば、監視下に置くなら適しているだろうし、生活について同じレベルで教育したり、生活させたりもしやすいんじゃないかって思ったんだ。
だけど、エリスさんは静かに首を横に振る。
「いえ。過去の邪神との戦いで、同じ理由で城に来界者を集めた国がありました。ですが、その城を襲撃された事で多くの来界者を一瞬で失いました。その教訓から生まれたのが、今の法なのです」
まさか、過去にそんな事があったのか。そこまでは本に書かれていなかったな。
……まあでも、確かにそういった理由があれば、理に適っている気はする。
「とはいえ、当時この法を考えた者も、よもや女子寮に来界者の男性が墜ちてくるとは、思いもよらなかったでしょうが」
そう言っているエリスさんも、流石にこの状況には同情してくれているようだ。
正直、女子寮で暮らす事に納得できるわけじゃない。
だけど、じゃあ法を覆してまでこの提案を否定できるかって言われたら、土台無理な話か……。
少しやるせない気持ちになっていると、エスティナがエリスさんにこんな質問を返す。
「お祖母様は先程、リュウトの選択で身の振り方が変わると仰いましたよね?」
「ええ」
あ。そういえばそうだ。
話通りであれば、俺には別の選択ができるって事か?
俺はそこに僅かな期待を持ったものの、それは残念ながら、思っていたのとは違う話だった。
「例外は、貴方のように既にこの世界を知る来界者や、この世界に二度以上墜ちた来界者です。それを国王に進言すれば、城にて重用される事も可能でしょう」
「重用、ですか」
「ええ。その為には、貴方がこの世界を知る理由や、その素性をちゃんと説明する必要があります。ですがその代わり、女子寮で暮らす気まずさからは解放されるでしょうね」
エリスさんの話を聞き、俺はある意味納得し、同時に迷った。
国に重用されれば、城で暮らすことができる。
確かに、女子寮で女子ばかりに囲まれて暮らすより、生活はいいようにも思う。
だけどそれは、勇者の息子という重荷を背負いたくないって俺の想いに反するし、きっと貴族なんかといることでの肩身の狭さとか、色々ありそうな気がする。
とはいえ、じゃあ俺が女子寮で暮らすってのもどうだって話で。
男だったら女の園にいられるなんて最高じゃないか、なんて言う奴もいるかもしれないけど。幾ら来界者だって証明して誤解が解けたとしたって、みんなだって男が急に一緒に暮らすってなったら絶対嫌に決まってるだろ。
それに俺は、女子寮の生徒達に不快な思いをさせたいわけじゃないし。
……結局俺が望む事なんて、ただのわがままでしかないってことなんだろうか。
だとしたら、エリスさんに頼んで、城で暮らすほうがいいんだろうか。
……うん。
きっと、その方がいいんだろうな。
俺は少しだけ奥歯を噛んだ後、自分の願いを諦めるようにため息を吐くと、エリスさんを見た。
「エリスさん」
「何でしょう」
「あの、ミャウは常に側に置いておきたいんですが。どちらを選んでも、一緒に連れて行くことは可能ですか?」
「本来であれば認められませんが、そこは私が何とかしましょう」
「良かった。ありがとうございます」
俺がほっとしつつちらっとミャウを見ると、あいつも少し嬉しそうな、だけどどこか不安そうな複雑な顔をしてる。
きっとこいつのことだ。俺の事を心配してくれてるのかもしれないな。
さて。ちゃんと覚悟を決めないと。
その場で改めて背筋を伸ばし、俺は決めた答えを口にしようとしたんだけど。
「リュウト」
そんな決意を止めたのは、脇に立っていたエスティナだった。