第四話:異世界文明の凄さ
「それじゃあ、授業が終わったら顔を出すね」
「うん。もし部屋にいなかったら、マナードさんにでも聞いてみて」
「わかった」
みんなと食べた物をトレイに戻しながら、俺とエスティナがささっと午後の話を済ませる。
そして、準備を終えたエスティナ達は、急いでドアから廊下に出た。
「あああ、あの! お邪魔しました!」
「リュウト君ごめんねー! 片付け任せちゃって」
「大丈夫ですよ。それより早くしなしと」
「あ、そうだね。それじゃ! ミャウちゃんもまたねー!」
「ミャウミャーウ!」
挨拶もそこそこに、慌ただしく部屋を後にする三人の後ろ姿を見送った俺は、ふぅっと一息吐く。
「なんか、朝から大変だったな」
「ミャーウ」
台風一過。
そんな気持ちにさせられながら、扉が閉まった後、俺とミャウは顔を見合わせ苦笑する。
とはいえ、これだけ賑やかな朝なんて、元いた世界ですら味わってなかったし、ちょっと新鮮だったけど。
さて。
俺は再びテーブルに戻ると、一旦みんなの食器類をそのままに、自分の食べかけの朝食に手を付け始めた。
もう三十分もすればみんな学園に行って寮を出払うから、それからこれらを返しに行くか。
ちらりとミャウを見れば、エスティナが持ってきたミルクは飲み切って、カサンドラさんの持ってきたミルクをじーっと見ていたんだけど。流石に残すのは申し訳ないって思ったのか。
「ミャーウ……」
仕方ない、と言わんばかりに、ペロペロとそっちの皿のミルクを舐め始めた。
「お腹を壊さない程度にな」
「ミャウ」
分かってるよと言わんばかりの、疲れたような短い鳴き声。
ほんと、こいつは優しいしいい奴だよ。まあ、それでもカサンドラにこの姿を見せなかったのは、あいつのプライドかな。
俺はミャウを微笑ましく見守りながら、ブレッドサンドを口に放りこんだ。
§ § § § §
その後、トレイと空いた食器類を重ね、一人で運べるよう整えた後、俺とミャウは頃合いを見て廊下に出た。
流石にそろそろ授業が始まる頃。深夜と同じような静けさが包む中、俺はトレイを両手に持ち、食堂へと歩き出す。
日差しが入る廊下の窓。
開いた窓から入る心地よい風。
それは爽やかな朝って言葉が良く似合う。
そういや、昨日まではそこまで落ち着いて目を向けてなかったんだけど、よく見ると廊下の床や窓、壁なんかもかなり綺麗で、しっかり手入れされているな。
「ミャウ?」
「ん? ああ。廊下の掃除が行き届いてるなぁって。お前もそう思わないか?」
「ミャウ!」
こっちを見上げたあいつが、「うん!」と言わんばかりにしっかり頷く。
ミャウの目にもそう映った事を知って、俺は自然と笑みを返す。
こういった掃除はどうやってるのか。マナードさんにちゃんと教わらないと。
少し身が引き締まる思いになりながら食堂に入ると、飲食スペースは人影もなし。
ただ、キッチンの奥でマナードさんが洗い物を進めている姿が見えた。
「おはようございます」
俺がカウンター越しに声をかけると、マナードさんが軽く額の汗を拭う仕草をした後、こちらに笑顔を向けてきた。
「あーら。いらっしゃい」
「お待たせしてすいません」
「何言ってるのー。もう少しゆっくりしてても良かったのに」
気立ての良さを感じる、相変わらずどこかおっとりした彼女は、猫耳をピクピクっとさせながら、洗い物を一旦シンクに戻し、近くのタオルで手を拭くと、迂回して飲食スペースに出てきてくれた。
「あら。ミャウちゃんも一緒なのね。おはよう」
「ミャウ!」
「いい挨拶ねー。頭いいのねー」
元気のいい挨拶を返したミャウに、マナードさんが屈み込むと頭を撫でてくれる。
あいつが嬉しそうに目を細めると、彼女も笑顔を向けた。
「あの、今日からどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。色々大変だと思うけれど、よろしくねー」
俺がトレイを持ったまま頭を下げると、彼女は立ち上り俺の持つトレイに手をかけた。
「じゃ、これは預かるわね」
「あ、いえ。自分で運びますよ」
「いいのよー。どうせすぐ洗い物に回すんだし。ね?」
「そうですか。じゃあ、すいませんがお願いします」
「ええ」
正直どうしようか迷ったけれど、マナードさんの気遣いを無下にしちゃうのも悪い気がして、今回は厚意に感謝してトレイを預けると、ほんわかした笑みを見せた彼女は、どたどたとシンクに戻っていく。
そこには未だ結構な洗い物。こりゃ大変そうだな……。
「さて。色々説明する事もあるのだけど、まずキッチンの掃除を一段落させてからにしましょっか。早速で悪いんだけど、リュウト君も手伝ってもらっても良いかしら?」
「はい。あ、ちなみにミャウは……」
「流石にキッチンに入れるわけにはいかないわね。ごめんなさい。ここで待っていてくれる?」
「ミャーウ」
ちょっと残念そうな鳴き声をあげたミャウだけど、まあ確かにキッチンに動物を入れるのは衛生上良くないか。
「悪いなミャウ。この辺で大人しくしてて」
「ミャウミャウ」
いってらっしゃいと言ったと思われるあいつは、そのままキッチンの入り口の脇で丸くなると、ふわーっと欠伸し寝に入る。
そんな愛らしい姿に微笑ましくなりつつ、俺はミャウを残しキッチンに足を踏み入れた。
こっちの世界の近代的なキッチンと違い、木造の食器棚だったりが多く見えるけど、焼き場には炎昇宝珠を仕込んだグリルもあるし、古き良き薪を焚べる竈門もある。
包丁というか、やや大きなナイフっぽいのが並んでいるワークトップ。あの辺で肉や野菜を切るんだろうか。
倉庫でも見た保冷庫っぽいのもあるし、ファンタジーらしさと現代らしさが合わさった不思議な感じがするな。
既に笑顔で洗い物を再開してるマナードさん。
って、このまま放置じゃ役立たずで終わりそうだな。
「えっと、何から始めればいいですか?」
「あら。ごめんなさい。そうねー。ワークトップの端に、少しもこもこっとした物があるでしょ?」
「はい。ありますね」
確かに。手に持てるくらいのスポンジっぽい物がある。ひとつはピンクっぽく、もうひとつはまっさら。
「それはモルットって言うんだけど。まずはそれでグリルやワークトップを拭いてもらえる? ピンクのモルットで汚れを落として、白いモルットで乾拭きしてもらいたいの」
「わかりました」
「ちなみに、ピンクのモルットは力を入れすぎちゃダメよ」
「え? あ、はい。わかりました」
汚れ落としで力を入れちゃ駄目?
頑固な汚れをこれで落とすってわけじゃないんだろうか?
こっちに目を向ける事なく洗い物を進めるマナードさんを横目に、俺はワークトップに歩み寄ると、まずはピンクのモルットを手にしたんだけど。
……これ、すごく柔らかで触感がいいな。
思わずぎゅっと握りそうになったんだけど、軽く握った瞬間、モルットを握る俺の手を覆った細かな泡に、思わず動きを止めた。
何とも澄んだ、綺麗な泡。
これがさっき言ってた理由か。周囲に洗剤っぽいのがないのを見ると、これも一種の魔道具なんだろうか?
とりあえずまずは近くのワークトップから、順番にそれで軽く拭き始めたんだけど……正直、これはめっちゃ便利だ。
野菜から出た水分や肉の油脂っぽい汚れ。それが、モルットで軽く拭くだけですっと消えるんだ。
なぞった跡に泡が残るけど、拭いた場所は油っぽさなんか全然残ってない。
お陰でほとんど時間もかからず、ささっとワークトップの上も、グリル周辺の油汚れや焦げなんかも綺麗に落とせるんだ。
流石に切った野菜の破片やフライパンから落ちてしまった焦げた肉片を消したりはできないけど、それらまで拭くと綺麗になるのは驚きだ。
っていうかさ。
これだけ簡単に綺麗になるなら、掃除が楽しくなる人もいるんじゃないか?
実際、今俺の掃除に対するテンションはかなり高まってるし。
とりあえず、ワークトップとグリルは全部泡で汚れを取って。
残った野菜くずなんかは……ああ、あのゴミ箱に集めてるのか。
視界に入ったゴミ箱に、一度集めた生ゴミを手で持って行き放り込む。
で、次は白のモルットで仕上げか。
こっちはどんな効果なんだろう?
内心ワクワクしながら、俺は細かな泡に覆われたワークトップ上を拭ってみたんだけど。
「おおー」
俺は思わず興奮で声を上げてしまった。
いや、でも仕方ないだろ。
白のモルットですっと拭くと、モルットに接触した泡が小さなぽんぽんぽんって音と共に消えるんだけど、同時に拭いた場所は水分っ気ひとつなくさらっさらなんだから。
音の心地良さだけを残し、泡が取れピカピカになったワークトップ。
この世界の人達なら慣れてて自然かもしれないけど、異世界から来た俺からしたら革新的過ぎる文明の利器。そりゃ感動するって。
そして、この気持ちよさは俺の掃除意欲と行動を加速させた。
ぽんぽんぽんって音が聞きたくって、そりゃもう隅々まで手早く拭き取っていって、気づけばあっさりと指示されていた場所が綺麗になったんだから。
「マナードさん。こんな感じでどうですか?」
ぱっと見える範囲をできる限り綺麗にした俺がそう問いかけると、洗い物を終え振り返った彼女は、耳をピンっとさせ驚いた顔をする。
「あらあらあらあら。もうこんなに終わらせちゃったの?」
「はい。このモルットが凄すぎだから、早かっただけですけど」
「じゃあ、そのまま食堂のテーブルやカウンターも拭いてもらってもいいかしら?」
「はい。ちなみに床なんかはどうしてるんですか?」
「それは後でまとめてやりましょ。こちらも一段落したら手伝うから、頑張ってくれる?」
「わかりました」
多分、この時の俺は、この世界に来て最も元気に返事をしたと思う。
そして、俺は高いテンションのまま、食堂側の掃除もどんどん進めていったんだ。




