エピローグ①:寝起き
トントントン
「……ん……」
トントントン
「リュウト。いないの?」
誰かの声がする……けど……まだ、眠いんだよ……。
「……んー。あと、五分……」
無意識にそう反応し、枕を抱えて寝返りを打とうとしたんだけど。
「ミャウミャウ」
その枕から与えられた顔への刺激と、聞きなれた鳴き声に、頭が一気に覚醒する。
「まだ寝てるのかな?」
独りごちるような、扉越しの声……って、エスティナ!?
「あ、ちょ、ちょっと待っ──たったっ……たっ!」
慌ててベッドから降りようとしてミャウに引っかかり、必死の踏ん張りも虚しく、前のめりにベッドから落っこちた。
ドンッ
「いてっ!」
「リュウト!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫! ちょっと待ってて!」
慌てた声のエスティナに大声で返事をした俺は、急ぎ立ち上がると部屋にある鏡の前に立つ。
パジャマの乱れを急いで直して。寝癖は……うわ、酷過ぎじゃないか。
くるっと丸まった毛を引っ張ってみるけど、離すと勢いよく元に戻る。
こりゃ相当頑固だな。
直したいけど、流石に彼女を待たせられないか……。
なんでこういう時に限って……とがっかりしてる場合じゃない。
急いで洗面所に行き洗面台に栓をし、水流宝珠に触れ蛇口から受け皿に水を溜めると、顔だけ洗って素早くタオルで拭き、そのまま部屋の扉まで戻った。
既にミャウは挨拶する気満々で、扉の側に立っている。
俺の枕代わりになっていたのに、寝癖っぽいものはまったくない。
ほんと、羨ましい事。
一呼吸置くと、俺は開錠すると扉を開ける。
そこに立っていたのは、俺の顔を見て、ほっと安堵するエスティナ。
今日も制服姿。ほんとよく似合ってるな。
「おはよう。リュウト」
「おはよう」
「ミャウミャウ!」
「ミャウちゃんもおはよう」
一度その場で屈むと、挨拶がてらミャウの頭を撫でる彼女。それを幸せそうに受け入れているあいつも満足気だ。
「それより、わざわざ起こしてもらってなんだけど。何かあったの?」
「あ、うん。あまりにリュウトが起きてこないから、マナードさんが心配してね。それで、様子を見てきて欲しいって」
え?
「今って朝じゃないの?」
「うん。もうすぐお昼過ぎ」
「へ? お昼過ぎ?」
思わず廊下の窓から外を見ると、言われてみれば、既にそこは強い日差しで照らされていて、朝の気配なんてさっぱり感じない。
あっちゃー。まじかよ……。
一体どんだけ寝てたんだって……。
俺が自然に頭を抱えると、目の前の彼女は少し心配そうな顔をする。
「やっぱり、疲れてた?」
「まあ、それもあったんだけど。昨日あんな事があったせいで興奮が覚めなくて、中々寝付けなかったんだ」
エスティナの問いかけにそんな理由を返したけど、勿論そこに嘘偽りはない。
昼の倉庫の件の疲れだって残ってはいた。けど、寝付けなかった理由は、どちらかといえば考え過ぎの一言に尽きる。
昨日の狼人との戦いで、あいつを斬った感触を思い出して怖くなり。
エリスさんが危惧する事態を思い浮かべて、もしもを考えて緊張もした。
そのせいで妙に気が張ってて、空が白んできた頃にやっと眠くなったんだ。
とはいえこんな状況なら、すぐ目覚めるだろって思ってたんだけどなぁ……。
「そっか。でも昨日の今日だもん。仕方ないよ。リュウトは私達の為に頑張ってくれたし」
「でも、そのせいで寝坊してマナードさんに迷惑をかけちゃってるし……って、あれ?」
そういやさっき、エスティナがお昼過ぎだって言ってたよな?
「どうしたの?」
「エスティナ。今日も学園に行く日じゃないの?」
「うん。そうだけど。今日はお祖母様に許可を貰って、リュウトのお世話をする事にしたの」
「お世話って、授業を休んだら成績に影響するんじゃ?」
俺がそう聞いてみると、彼女は少し自信ありげに胸を張る。
「これでも私、学園での成績は相当良いの。だから、心配しなくても大丈夫」
「へぇ。エスティナって才色兼備なんだね」
「えっと……ごめんなさい。サイショクケンビって、どういう意味?」
素直過ぎる感想に、彼女が首を傾げる。
って、流石にそんな言葉知る訳ないか。
「ああ、ごめんごめん。こっちの世界の言葉なんだけど。簡単に言うと、頭の良さと可愛らしさを両方持ってるって意味」
「え? か、可愛い?」
……あ。
俺はエスティナがぽんっと赤くなり俯くのを見てはっとした。
っていうか、何を口走ってるんだよ!?
彼女だって、俺にそんな事言われても困るだろって……。
「あ、ご、ごめん。急に変な事言っちゃって」
「う、ううん。その、本当に、可愛いと思う?」
俺が謝ると、彼女がもじもじとしながら、上目遣いに俺に問いかけてくる。
そ、そりゃ……。
「う、うん。異性の俺から見ても、十分可愛いよ。きっとこれなら、エスティナの想い人も目を奪われるんじゃないかな」
必死にそんなフォローを入れると、彼女は「そっか」って小さく呟くと、嬉しそうに小さく微笑む。
……ほんと、可愛いよな。
俺をドキッとさせるほどの柔らかな表情。長い耳に掛かる銀髪を自然に掻き上げる姿は、霊魔族らしい線の細さもあって凄く様になってるし……。
「ミャウ?」
っと。何を見惚れてるんだって!
じっと見られてたらエスティナだって困るじゃないか。
ミャウの不思議そうな声で我に返った俺は、見惚れてたのをごまかすように、慌てて口を開いた。
「そ、それより、起こしてくれてありがとう。着替えたらマナードさんの所に行けばいいよね?」
「あ、ううん。その前にリュウトに渡したい物があるの」
「渡したい物?」
「うん。ちょっと取ってくるから、部屋で待っててくれる?」
「うん。わかった」
「すぐ戻ってくるね。それじゃ」
そう言うと、足早に廊下を歩いて行くエスティナ。
何処となく足取りは軽やかだ。
やっと緊張から解放された俺は、ため息をひとつ漏らすと、部屋に戻って大人しく彼女の戻りを待つ事にした。
しっかし。
幾ら彼女を好きだからって、あまり変な事言ったらダメだろ。
今のは喜んでくれたみたいだし良かったけど、彼女には想い人がいるんだから……。
ベッドに腰を下ろし片手で頭を掻きながら、反省しつつ、またため息を漏らす。
「ミャウミャウ」
何があったかはわからないけど、元気を出そう?
そんな雰囲気のミャウは、ベッドに上ると俺の脇で顔を上げ、その身をすり寄せてくる。
「……ああ。大丈夫だよ」
ちょっと切なさを感じていた俺は、そんな彼女に感謝しながら、ゆっくり頭を撫でてやったんだ。




