幕間:勇者の子
「俺がいますから、ですか」
彼が去った部屋で、私は自然に微笑んでしまいました。
──「大丈夫です。俺がいますから」
リュウジさんがこの世界を救う為の旅で、口癖のように言っていた言葉。
それをこんな所で聞けるなんて。本当に懐かしいですね……。
「流石は勇者の子、と言うべきでしょうか」
テーブルに並べた道具を片付けたデルタもまた、あの言葉に思うところがあったのか。微笑みを浮かべています。
「彼は不思議な青年ですな。己は強くなどない。そう思っている節があります。にも関わらず、エリス様の心の内を感じ、安心させるかのように、はっきりと決意を言葉にした」
「……きっと、両親からちゃんと優しさを学んだのでしょう」
……そうね。
リュウジさんと姉様の子。優しくないわけがないものね。
「剣聖ディールの目から見て、あの子の実力はいかほどですか?」
敢えてデルタを本当の名で呼ぶと、彼はぴくりと眉を動かした後、真剣な顔を見せました。
それは、普段の己の素性を隠した優しさなど皆無の、武人としての顔。
「……そうですね。末恐ろしい若者、といった所でしょうか」
「何故そう感じたのですか?」
「不審者騒ぎを聞き付け駆けつけた私が、彼の起こした奇跡を目の当たりにしたからです」
「奇跡……ですか?」
「ええ。剣聖と呼ばれた私でさえ、未だ極めることの叶わぬ勇者の剣技、勇技。彼はそれをいともあっさりと繰り出していたのですよ」
そう口にしたデルタは、少しだけ口角を上げ、目を細めました。
「古より語られし技、電光石火。私ですらその剣の閃きを見切るのが困難なほど、鋭く疾き刃。きっと他の者では、ただの一閃にしか見えていなかったでしょう」
胸の前で自身の拳を握り、じっとそれを見る彼の表情。
そこにある笑みの理由を感じ取り、私は肩を竦めます。
彼もきっと認めたのでしょう。リュウト君が強き者だと。
「……デルタ。剣聖の顔が出ておりますよ」
「……失礼しました」
その興奮に気づいていなかったのか。私の言葉にはっとしたディールは、執事らしく慌てて姿勢を正します。
「リュウト君は、この世界に来てまだ間もありません。だからこそ、この先世界の現状にも、己の力にも多くの迷いを持つでしょう。もしもの時は、力を貸してあげてもらえますか?」
「はい。私でできることであれば、何なりと」
私が願いを語ると、衛兵姿のまま、執事らしいお辞儀をする。
「では、今日は下がっても結構です。明日で構いませんので、それらは城の術師技団に調査を依頼しておいてください」
「承知しました。では、失礼いたします」
改めて一礼したデルタは、そのまま静かに部屋を去って行き、応接間には私だけが残されました。
「ふぅ……」
自然と漏れるため息は、この先への不安の表れ。
……慈愛の女神、サレナよ。
まさか、貴女様が彼を導いたのでしょうか。
この世界に迫る危機に挑む、新たな勇者を。
……いえ。考え過ぎですね。
私は自然と自嘲します。
まだ、何かがはっきりとあった訳でも、確証を得た訳でもありません。
何よりリュウト君の異世界生活はこれから。
あれだけ若い子に、そこまで気負わせては可哀想でしょう。
私は晴れない心を、息と共に吐き捨てます。
……もしもの時。
きっとリュウト君の力も借りる必要があるでしょうが。その時には、私が命を懸けてでも、彼を護らなければ。
でないと、リュウジさんや姉様。何よりエスティナが哀しみますものね。
……そういえば。
リュウト君は、あの子の事をどう思っているのでしょうか。
エスティナは間違いなく、気があるでしょうが……。
ふと、リュウト君だと分かった後、この屋敷でエスティナと二人で話した時の事を思い返します。
──「エスティナ。貴女はリュウト君をどう思っているのですか?」
率直な質問に、あの子はすぐ頬を赤らめました。
──「え? あ、その、だ、大事な恩人だよ」
必死にそう答えておりましたが、そこにあったのは間違いなく恋心。
これでも酸いも甘いも経験しているのです。
それくらいお見通しですよ。エスティナ。
既に老い、枯れ木となった私には無縁の世界。
であればせめて、あの子が幸せに歩めるよう、協力してあげなければなりませんね。
「ふふっ」
若い二人の恋物語がどうなるのか。
それを考えているうちに不安だった心も薄れ、自然に笑みを浮かべると、私もまた一人、応接室を後にしたのでした。




