第十話:残された不安
「では、順番に話を聞かせてもらいましょうか」
あの後、女子寮にやって来たエリスさんが、今回の件で直接あの男と戦ったり、関係した人だけを寮の応接間に集め、事情聴取を始めた。
集められたのは、俺とミネットさん。
男を止めるために戦ったクラウディスさんに、イリアさんとミレイ。
そして、サラさんとドルチェさんに、彼を捕らえた後、色々と調べていたデルタさん。
流石に人も多いし、ミャウにはエスティナと一緒に俺の部屋にいてもらうことにした。
応接席には、片方にはエリスさんとミネットさんが。反対側にはクラウディスさん達三姉妹が座り、その後ろにサラさん、ドルチェさん、デルタさんと俺が立っている。
まず、エリスさんが確認したのは、ミネットさんが狙われた理由。だけど、彼女にはほとんど心当たりがないようだった。
「確かにあの人は、一度あたしに告白してきました。でも全然知らない人だったし、それを断ったんです」
「その以外で面識は?」
「ありません。だいたい、以前会ったときはもっとおどおどしてたんですよ? あまりの反応の違いに、最初は誰だか分からなかったくらいですよ」
不満をぶち撒けるように話すミネットさんだけど、あそこまで恐怖させられたらこうもなるか。
ちなみに、この会話でミネットさんが嘘を言うことも出来たと思うんだけど、多分これは事実だと思う。
実際攫われそうになっただけじゃなく、命まで狙われかけたんだし、結果としてみんなの命を危険に晒しもしたんだ。
流石に罪悪感もあるだろうし、何となく彼女の雰囲気から、あまり包み隠さなそうな気もしたしさ。
「どうやって貴女の前に現れたのですか?」
「わかんないです。部屋がノックされたからドアを開けたら、既にそこに立ってて」
「それなら、あたしが見てた」
エリスさんとミネットさんの会話を遮るように声をあげたのは、意外にもイリアさんだった。
「廊下を歩いてたら、あいつがミネットの部屋の前に、突然姿を現したんだ」
「突然ですか?」
眉間に少し皺を寄せたエリスさんに、彼女はしっかりと頷く。
「ああ。すーっと姿が見えたあの感じは、多分姿隠しじゃねえかなと思う」
「ですがお姉様。この寮では中級以上の術は使えないように──」
「そんなのわかってるよ! だから多分って言ったんだ」
思わずミレイにきつく当たったイリアさんだけど、彼女も自身の不甲斐なさを思い出してか。ちっと舌打ちして視線を逸らし、はがゆさを見せる。
「そういえば、あの男が狼人に変身したのも、正直不可解ですよね」
「それだよ。怪しげな色の薬を飲んだのはわかる。それであそこまでの変貌を遂げたけど、そんな薬なんて聞いた事ないし」
ドルチェさんが首を傾げると、サラさんが相槌を打ちつつ、俺が持っていた疑問を口にした。
「校長。今回起きた事は、私達で説明できる代物ではありません。こう考えると、世間には出ていないような、何か怪しげな物が使われた可能性もあるのではないでしょうか?」
クラウディスさんの言葉も最も。
でも、俺が知る限りそんな薬は──。
そこまで考えた時、ふっと頭にある事が浮かんだ。
戦っている最中には気づかなかったけど、そっちの可能性ってのはあるんだろうか?
「確かに。その可能性も否定はできませんね」
真剣なクラウディスさんに、少し渋い表情でエリスさんが頷く。
「とはいえ、今ここで全てを解明するのは難しいでしょうし、この学園が被害にあったのも、偶然という可能性も十分あり得ます。この先の調査は、国に任せる事にしましょう」
国に任せる、か。
まあ、確かにそれだけの事態ではあるか。
実際ここので事件も、たまたまミネットさんを好きになった奴が、それらを手にしただけってのも考えられるし。学園狙いって考え方は捨ててもいいかもしれない。
「傷を負った者こそいましたが、生徒や職員みんなが無事だったのは、ひとえに貴方達のお陰です。皆さん。ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
エリスさんは座ったまま。ミネットさんは勢いよく立ち上がった後、互いに頭を下げてくる。
それに対し、みんなも釣られて頭を下げ、それをもってその場は解散となったんだけど。
俺とデルタさんだけはエリスさんに呼び止められ、部屋に残る事になった。
§ § § § §
向かい合い座る俺を見つめていたエリスさんが、ゆっくりと語り始めた。
「リュウト君。貴方は犯人の変貌、どう思いますか?」
問いかけられた俺は、少しだけ頭で言葉を整理する。
……まあ、エリスさんは両親と一緒に戦った勇者パーティーの一員だし。話しても伝わるか。
「俺の知っている範囲では、あの男が使ったような薬の情報なんてありませんでした。ただ……」
「ただ?」
「その……邪降術なら、ああいう事ができそうじゃないかって、ちょっと思いました」
……邪降術。
邪神が存在した時代に、悪しき神を信仰していた者に授けられた力だって、両親から聞いていた。
でも、父さん達によって邪神が倒された直後、その使い手はその力を失ったって聞いたんだど……。
「……やはり、貴方もそう思いますか。デルタ。例のものを」
「はい」
エリスさんの指示に、デルタさんがテーブルの上にふたつの物を置いた。
ひとつは、あいつが飲んだ薬が入っていたであろう空き瓶。
もうひとつはネックレスだと思うけど……あれ?
俺は思わず首を傾げた。
あいつは確かに言っていた。
初級の魔法を封じる術消失のアイテムを持っているって。
だけど、これはどう見ても魔力なんて帯びてなんていない、ただのネックレスだ。
「このネックレスって、何も付与されていないですよね?」
「はい。ですが、あの男が持っていたアイテムらしき物はこのふたつだけです」
「え? じゃあどうやって術消失を?」
「そこなのです」
俺の疑問に、エリスさんもまた神妙な顔をする。
「男はその空き瓶に入っていた液体を飲み、変貌したと聞きましたが」
「はい。俺も見てましたんで間違いないです」
「変貌の前、実際にカサンドラの鎖蛇を止めたというのは?」
「それも目撃してます。その時あいつは言ってました。ここの事はしっかり調べて、術消失を用意したって」
「ですが、事実ここには何もありません。勿論、貴方の剣でアイテムが砕かれたような跡も」
それを聞いた時。
ふと、さっきのミネットさんの話を思い出す。
「さっきミネットさんは、あの男と以前会った時、もっとおどおどしてたって言ってましたよね?」
「……ええ」
「つまり、あの時にはもう、何かをされていた……」
……それだとすれば、辻褄は合う。
だけどそれは、俺やエリスさんの推測が、一歩黒に近づいたって事……。
「あの。寮に敷かれている魔法の制限に、邪降術は含まれていますか?」
俺が真剣に問いかけると、エリスさんはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。術の制限を掛けるには、術自体を媒体に掛ける必要があります。ですが、昔の邪神との戦いの後、邪降術の使い手は存在しなくなった為、術の制限を施すまでには至っておりません」
語りながら、表情を曇らせる彼女。
きっと、推測が真実だった時の事を考えているんだろう。
目を背けたい推測。
だけど、何となくそれは、目を背けてはいけない物にも感じ始める。
「……考え過ぎはいけませんね。リュウト君もお疲れでしょう。お話はここまでにしましょう。戻って結構です」
「あ、はい。お疲れ様でした」
気持ちを吹っ切るように微笑んだエリスさんの言葉に、俺は頭を下げると背を向け扉に歩き出す。
でも、心にはさっきのもやもやが残ったまま。
そんな気持ちで鬱々としかけた時。ある日の想い出が蘇った。
──「父さんって、異世界転移した時どう思ったの?」
──「そうだなぁ。最初は訳もわからなかったし、必死なだけだったな」
互いに向かい合い居間のソファーで並んでテレビを見ていた時、投げかけてみた素朴な疑問。
顎に手をやり何かを考え込んだ父さんは、こっちに顔を向けると、笑顔でこう言ってたっけ。
──「でも、仲間ができて、世界を旅して。勇者の再来なんて言われるようになった頃、こう思ったんだ。この世界に転移したのには、理由があったのかもって」
──「理由……」
──「ああ。俺がこの手で誰かを助ける為に、この世界に呼ばれたんじゃないかって。ま、当時そう思った時は、随分重い理由で呼び出しやがってなんて、神様に恨み言を言ってやりたかったけどな」
……勇者の息子である俺が、突然転移した理由……。
まだ来たばかりだし、そんな漠然とした物なんてわかるわけじゃない。
だけど、俺はここに転移したから、さっきみんなを助けられたんだよな……。
「……リュウト君?」
物思いに耽っていた俺を現実に呼び戻す、エリスさんの不思議そうな声。
気づけば俺は、扉の前で立ち止まっていた。
エリスさんが見せた影のある表情を思い出し、俺は下ろしていた手をギュッと握る。
……そうだよな。
エスティナに何かあるのも嫌だけど。
エリスさんがあんな顔をするのも、俺は嫌だ。
だから──。
俺は静かに振り返ると、彼女をじっと見つめる。
「エリスさん」
「はい。何でしょう?」
「……頼りないかもしれません。でも……俺がいますから」
それだけの短い言葉。
でも、俺はそこにできる限りの決意を込めた。
まだまだ未熟。まだまだ覚悟も足りない。
だけど、もしもの時には、俺は勇者の息子であろう。護りたい人々を護ろう。
そんな、身分違いの拙い決意を。
突然の言葉にはっとし、暫く目を瞠ったエリスさんが、ふっと微笑む。
「……ええ。頼りにしております」
表情の影が消えたのを見て、俺も微笑み返すと、
「それじゃ、失礼します。おやすみなさい」
頭を下げ部屋を出た俺は、人気のない廊下を、俺はゆっくりと歩き出す。
もしもの時には絶対、大事な人達を護ってみせる。
それが俺が存在する意味だと信じて、静かに決意を固めながら。




