第九話:感謝
俺が剣を下ろした直後。
「リュウト君!」
どんっと勢いよく俺に飛びついてきた子が……って、ミネットさん!?
「ありがとう! 本当にありがとう!」
感極まった声をあげながら、彼女が首に手を回しぎゅっと強く抱きしめてきたけど、それは俺の顔を真っ赤にするのに十分だった。
いや、だって……制服越しにすらはっきりと分かってしまう、彼女の大きめの胸の感触。
そ、そりゃ俺だって、そんなのを感じたらドキっとするだろ!
こ、この事実、伝えた方がいいのか?
う、うん。きっとそうだよな。
緊張で渇いた喉を誤魔化すように唾をごくりと飲み込んだ後。
「あ、あの。ミ、ミネットさん」
と、なんとか言葉にする。
すると、彼女は俺の方に顔を向けてきたんだけど、泣いてるかと思ったらそうでもない。
「え? どうしたの?」
「あ、その、えっと……む……」
「ん?」
くりくりっとした綺麗な瞳。まだ何も疑問に思っていない、不思議そうな顔。
「あ、うん。その……む、胸が、当たってて」
改めて言葉にする恥ずかしさを堪えられず、俯きながらなんとか言葉を絞り出す。
そして、ちらっと彼女を見ると……にんまりして耳元でこう囁かれた。
「あー。リュウト君。そういうのがいいんだー」
「い、いいんじゃなくって! ミネットさんが嫌がると思って──」
「やっさしー! でも、遠慮しなくっていいよ。助けてくれたご褒美に」
俺の気遣いなんてどこ吹く風。
再び彼女が俺をぎゅーっと抱きしめてきたんだけど。
「ミネット! リュウトが困ってるでしょ!」
いつのまにか俺達の脇にやって来たエスティナが、不貞腐れた表情で俺達を引き離した。
いや、不貞腐れてるってより、なんか怒ってる?
どっちにしても、ちょっと怖い感じがするけど……。
「えー!? いーじゃん! これも感謝の気持ちだしー」
「ダメに決まってるでしょ!」
「あー。もしかして、嫉妬してる?」
「してません! リュウトが可哀想って思っただけ!」
にやにやと笑うミネットさんに、おかんむりのエスティナ。
それが俺を唖然とさせたものの、同時にみんなが無事なんだと改めて感じられて、俺は内心ほっとする。
……勿論、ミネットさんの胸が離れたのもあったけど。
「……つっ!」
と、瞬間。
気持ちが緩んだからか。ズキリと腕が痛み、俺は咄嗟に反対の手で爪で裂かれた傷を抑えてしまう。
制服越しにべトリと感じる血。
戦いに必死ですっかり忘れてたけど、結構血が出てるじゃないか。
「リュウト!?」
「リュウト君!?」
俺の歪んだ顔を見て、二人の顔が一変し、一気に不安そうな顔になる。
「ミャウ!?」
流石にそれが心配を煽ったのか。
ミャウも勢いよく俺の前に駆け込んで来た。
「だ、大丈夫。ちょっと痛んだだけだし」
「ダメだよ! ちょっと待ってて。ミネット。いくよ」
「うん!」
二人は互いにこくりと頷くと、俺に向け両腕を伸ばす。
『慈愛の女神よ! 彼の者に癒しを!』
綺麗に重なった詠唱。
二人の初級治癒術、回復。
同時に放たれた光が俺の傷を包み、痛みを和らげ、傷を塞いでいく。
そして、傷がすっかりなくなった所で、二人は腕を伸ばすのを止めた。
「どう? リュウト君」
「あ、はい。もう痛みも全然。ありがとう」
「良かった。ミネット、ありがとう」
「いーのいーの。これくらいじゃお返しにならないかもだけど。ありがとね。リュウト君」
俺の笑みを見て、二人も互いに安堵の笑みを交わす。
さっきの気まずさはどうしようかと思ったけど、何とかなったみたいだ。
「ミャーウ」
おっと。そういやこいつも頑張ってくれたんだよな。
「ミャウ。お前もありがとな」
「ミャウミャウ」
俺がしゃがんで頭を撫でてやると、嬉しそうな顔になるミャウ。
「でもほんと凄かったー。空中で私を咥えて、背中に乗せてくれるなんて思わなかったし。ミャウちゃーん! ありがとー!」
ミャウの脇にしゃがみこみ、頬をすりすりしてスキンシップを取るミネットさん。
それは嬉しくもあるけど、きっとやり過ぎ感もあり、少しだけ困った顔をしていたミャウ。
そして、こいつを更に困らせるかのように。
「ミネット! 抜け駆けは許しませんことよ!」
なんて、三階からカサンドラさんの叫び声が聞こえた瞬間、ミャウはげっと言う顔をした。
その何とも言えない顔を見て、俺とエスティナは思わずくすっと笑いあう。
「まったく。衛兵であるあたしが、あんたに助けられるなんてね」
「本当、情けないです。でも、リュウト君は本当に凄かったですよ」
と、そんな俺達の元に、サラさんとドルチェさんが笑顔でやって来た。
「あの、さっきの男は?」
「あの通りだよ」
サラさんがこっちを見たまま親指で後ろを指し示すと、そこには慌てて駆けつけたであろうデルタさんによって、奴が枷をされロープで身体を縛られていく姿が見えた。
俺の時と違うのは、やっぱりあれだけ暴れたからだろう。
一歩間違えれば、俺もああなってたのか。大人しくしててよかった……。
「悪いけど、剣を返してもらえるかい?」
「あ、すいません。ありがとうございました」
サラさんに促され剣を渡すと、彼女は刃先をじっと眺めると、はぁっとため息を漏らす。
あ。もしかして、俺の無茶で剣が折れたのか!?
「あの、もしかして、剣に何かありましたか?」
「あ、いや。逆だよ。あたしも精進が足りないなって思っただけ」
「逆ですか?」
「ああ。あの男との攻防の時、あたしは正直、この剣じゃ心許ないって感じてた。だけどあんたはその剣で、あいつを殺さず倒しきったんだ。この剣を折られる事すらなくね」
剣を腰の鞘に戻した彼女は、参ったと言わんばかりに肩を竦め笑う。
「あんたみたいな若い子に、ここまでの腕を見せられるなんてね。……ありがとう。あたしやドルチェ。そして、みんなを守ってくれて」
「いえ、そんな。俺は大したことなんてしてません。この間だって、サラさん達に迷惑をかけたばかりですから」
「いんや。あんたは何も悪くないさ。……あんたは雑務係なんだろうけど。もしもの時は、また力を貸してくれるかい?」
「……はい。俺なんかでお役に立てるなら、喜んで」
俺にすっと手を伸ばしてくるサラさんの爽やかな笑みに答え、俺も笑顔で握手を交わした。
「リュウト君。さっきは本当にありがとう。私、あのままだったらきっと、もう生きてなかったと思う」
「いえ。間に合ってよかったです」
ドルチェさんとも握手を交わした後、彼女は何かを閃いたのか。
ぽんっと手を叩く。
「ねえねえサラ。どうせだったら、リュウト君を衛兵に転属してもらっちゃう?」
「おいおい。それであたし達が首になったらどうすんのさ」
「あ、それは由々しき問題かも……。リュウト君。今のは聞かなかった事にしてくれる?」
「あ、はい」
ドルチェさんが慌てて前言撤回する姿が面白くて、俺達はまた思わず笑顔になる。
でも。
本当に、みんな無事で良かったな。
俺は戻ってきた平和を感じながら、誰かを護る為と、厳しく鍛え込んでくれた父さんに感謝したんだ。




