第八話:踏み込む勇気
「ああん? 何を馬鹿な事言ってんだ! こんな所に男がいるわけねえだろうが!」
あいつがそんな強い言葉を掛けてきた。
正直正論。
落ち着いて考えてみれば、ほんと馬鹿な事を言ったと思ってる。
だけど、俺の頭はそんな言葉すら受け入れてしまう程、別の事に意識を持っていかれていた。
あの男の胸から流れる血。
あれは、俺が斬ったからこそ流れた血。
……俺は、初めて人を斬った。
そんな感情が、心に改めて罪悪感と恐怖を生む。
……だけど。
こうしなきゃ、ドルチェさんが死んでいたかもしれない。
誰かが叫び、誰かが泣き、哀しむ未来しかないかもしれない。
だからこその必死。だからこその覚悟。
俺は、そう自らの心を正当化し、恐怖をごまかす。
「リュウト君! 助けてぇっ!」
肩に担がれたままのミネットさんが、必死の形相で俺に助けを求めてくる。
その言葉を聞いた狼人は、怪訝な顔をした後、彼女にきつい目を向けた。
「まかさお前、あの男と付き合ってやがるのか!?」
「あ、あったりまえでしょ! 大体あんたと会ったのなんて、いきなり告白しに来た時じゃん! あの時とっくに断ってるのに、勝手に愛し合ってるとか言われる身にもなんなよ!」
嘘を交えた言い訳じみた言葉。
だけど、それが男の逆鱗に触れたのか。
あいつが、キレた。
「がぁぁぁぁぁっ! ふざけんじゃねぇっ! だったら、お前もあいつと……死ね!」
「きゃぁぁぁっ!」
瞬間、あいつは軽々とミネットさんを片手で持ち上げ、俺めがけて勢いよく投げつけると、それを追うように走り込んでくる。
彼女を盾に──いや、彼女ごと、俺をやる気か。どうする!?
一瞬の迷いに、刹那の閃き。
俺は、咄嗟に頭に浮かんだプランを実行すべく、剣を構えた。
「ミネットさん、ごめん!」
「えっ!? きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
迫った彼女が驚く暇も与えず、俺は敢えて間合いを詰めると、鋭く長剣で斬り上げた。
斬り上げに合わせ無詠唱で重ねたのは、初級精霊術、突風。
彼女に剣が触れる直前、生まれた突風がその身体を一気に空に吹き飛ばす。
まるで、剣技でそうしたかのように見せかけて。
「ミャウ! 頼む!」
迫る狼人が見えたのと同時に、俺はあいつの名を叫ぶと、ミネットさんの無事を信じ、鋼の爪の連撃と相対した。
激しく刃と爪が打ち合わさり、周囲を包む金属音。
奴は流石に狼人。一撃を止められた瞬間、俺の背後に回り込もうと、鋭いステップで翻弄してくる。
正直手数はあいつが上。だから俺は、避ける必要のない攻撃は敢えて無視して、弾く必要がある爪だけをより強く弾き、連続で仕掛けてこれないように捌いていく。
たまに聞こえる、爪が制服を割く男。
だけど、身体に触れていない爪が、俺を傷つける事はない。
その合間で見えた、ミャウがミネットさんを背に乗せ舞い降りる姿。
それを見てほっとした俺を戒めるように、少し深く、腕に鋼の爪が食い込んだ。
「つっ!」
腕に、ズキっと強い痛みが走り、流れた血。
何処からか悲鳴が聞こえたような気もする。
けど、俺は痛みも声も無視し、奴と相対し続けた。
刃と爪に打ち合いが火花を散らす。
ジンジンと熱くなる傷に反し、心が冷静になっていくのは、そこにある現実に気づいたから。
……確かに疾い。
……確かに力もある。
けど、こっちは自身を強化する付与術すらかけていないのに、それに追いつけている。
この状況が俺に理解させた。
こいつ、勇者《父さん》より弱いって。
ただ、同時にこうも考えていた。
手加減すら難しいこの状況。
今の俺の剣の実力じゃ、あの男を斬り殺さなきゃ勝てないって事に。
こいつは絶対に悪人。
だけど、それでも俺は、人殺しをしたい訳じゃない。
でも、このまま殺さずにいたら、みんなを危険に晒す可能性もあるかもしれない。
あいつの動きを少しでも止められれば、何とかできる案はある。
けど、それだって一筋縄じゃいかない。
初級の魔法しか使えず、それすらも効果を封じられているこの状況。
俺の持つ未知の魔法を使えば打開策はある。
けど、それじゃ色々と騒ぎが大きくなる。
……きっと、勇者《父さん》も経験したであろう、多くの葛藤。
それが今、俺に選択を迫ってくる。
……どうする?
殺すべきなのか。
バレてでも何とかするか。
それとも……。
もう何度目かの刃と爪の打ち合いを凌ぎ、迷う時間を作り出す。
けど、それじゃ何も変わらない。
「死ねよ!」
「まだっ!」
互いの声と共に、強く打ち合った刃と爪。
と同時に、俺もあいつも勢いよく後ろに滑り一旦距離が空く。
多少息があがってきた俺達は、その場で呼吸を整えた。
普段父さんとの稽古でも、これくらいで息があがったりなんてしない。
多分、実戦の緊張感と恐怖感が、俺に恐ろしく無駄のある動きをさせてるんだな。
やっぱり、まだまだ未熟か。
「ふざけやがって。何で死なねえ!」
「みんなは、やらせない」
視線を逸らさず、互いに圧で牽制をし、噛み合わない意思を口にしていると。
『世界の花々よ! あの人に、心からの声援を!』
そんな詠唱とともに、中庭の光景が一気に変貌した。
足元に色々な花が現れ咲き乱れ、空からも沢山の花びらが舞い散り始める。
それは、戦いにあまりにも合わない幻影。
「あん? 何だぁ!?」
拍子抜けし、天を仰ぐ狼人。
勿論俺も、予想外の事に唖然としていたんだけど。
「リュウトお兄ちゃん! 頑張って!」
耳に届いた大きな声援。
思わず顔を向けると、寮の二階の窓から顔を出し、必死に応援してくれるリナちゃんと、緊張した眼差しで見つめてくるラナちゃんが目に留まる。
「お願い! 勝って!」
「リュウトさん! 頑張って!」
まるでそれに釣られるかのように、窓から顔を見せる生徒達も、俺にそんな声を掛けてきた。
「リュウト!」
よりはっきりと耳に届く、エスティナの叫び声。
……そうだ。
このまま俺が負けたりしたら、エスティナや、受け入れてくれたみんなまで傷つくかもしれない。
俺は、みんなを護るって決めたんだろ?
そして、みんなの前で相手を殺して、誇れるような人間でもないんだろ?
だったら俺がやれる全力で、俺が望む結末に導くんだ。
……きっと、あの二人のお陰だな。
ありがとう。リナちゃん。ラナちゃん。
幻影のお陰で緊張感から解放されたのをはっきりと感じ、俺は二人に感謝をすると、武器を構えたまま大きく深呼吸をする。
「ふざけやがって……お前なんざ、絶対に殺してやる!」
恐ろしく低い狼人の声。
と同時に、より強い殺意をこっちに向けながら、奴は姿勢を低くする。
足元に咲き乱れる、花々が似合わなすぎるその状況──そうか。今なら!
俺もまたぐっと姿勢を低くすると、あいつに仕掛けた。
って言っても、踏み込み剣を振るった訳じゃない。動かず、それでも届く術でだ。
素早くあいつの足元に魔方陣をふたつ展開した俺は、その術の強度を一気にあげる。
花々に隠れて見えない魔方陣。だからこそ、誰もその効果に気づかない。
「ぐっ!? 何だぁ!?」
そう。あいつ以外は。
ぐぐっと、より姿勢が低くなった奴の顔に浮かぶ戸惑い。
今あいつは、地面に押し付けられるのを耐えるのに必死になっている。
その理由は、この世界にない俺だけが使える術。重力操作の術中にあるからだ。
俺が向こうの世界で、遊びで色々な術を組み合わせているうちに発見した術。
まさかこんな形で日の目を見る事になるとは思わなかったけど、これのお陰で俺は、覚悟と勇気を決意に変える時間を得た。
集中し、ひとつの剣技を長剣に乗せる。
衝打。
これは剣などの刃に白きオーラを纏わせ、切れ味を失わせて打撃武器にする剣技だ。
正直、普段の戦いでこんな事をする必要はまずない。
だからこそ、この世界でもあまり使われない地味な剣技だって聞いた。
けど、斬るよりこっちのほうが相手を殺しにくいと考えれば、今の俺に合っているはず。
狼人なら相応にタフなはず。それを信じ、俺はこの技に賭ける事にした。
といっても、これだけで勝てるわけじゃないし、俺は剣技の重ねがけをした事はない。
これから全てを託す剣技。
それを放ち切るまで衝打を維持できなきゃ、俺は相手を斬り殺してしまう。
初めてのことを成さなければいけない。
失敗すれば奴を斬り殺す。
緊張する心に対し、俺は自分を鼓舞した。
いいか?
父さんは言っていただろ。
──「戦いに勝つ為に必要なのは、疾さと鋭さ。そして──」
踏み込む勇気だ!
より前傾姿勢になった俺は、あいつに向け勢いよく駆け出した。
けど、そこまで派手に動けば、魔方陣の維持なんてできない。
解けた重力の呪縛。
あいつは急に身体が軽くなったのに気づくと、「クソっ!」っと叫びつつ、慌てて俺に駆け込んでくる。
でも、さっきまでの後手とは違う。
状況を整えて先手を取れたからこそ、あいつに全力の剣技を仕掛けられる!
あいつの下から振り上げようとする、鋭い爪での切り裂き。
そんな奴の攻撃を、地面スレスレから振り上げた長剣で弾いた瞬間、俺は心を決めた。
行け! 勇者《父さん》直伝!
電光石火!
瞬間、俺はあいつの身体に目にも止まらぬ四連斬を食らわせた後、最後の一撃で奴を大きく空に打ち上げた。
「ぐわはぁっ!」
断末魔のような叫びと共に、あいつはそのまま俺の頭上を超えると、背後でどしゃりと地面に叩きつけられる音が届く。
俺はそのままくるりと素早く狼人に向き直り、両手で剣を構え直すと、すっと刀身に帯びていた白い光が消えた。
花園に倒れていた狼人は、ピクピクと痙攣しながら仰向けになっている。身体の切り傷は、最初につけた胸の傷だけ。
……何とか、そこまで衝打が持ってくれたみたいだ。
そんな事を思った直後。狼人がまたも黒い闇に覆われると、その闇が風に流され、さっきの男だけがその場に残されけど、白目を剥き痙攣したまま、起き上がってくる気配はない。
「やったぁぁぁっ!」
中庭を覆った沈黙を破る、リナちゃんの歓喜の声を皮切りに、周囲が歓声と安堵の声が溢れ、より多くの花々が舞い散り、俺が勝ったことを改めて教えてくれる。
……ふぅ。何とか、なったかな。
夜空を彩る花吹雪を見上げながら、俺もまたほっとして、構えを解いたんだ。




