第七話:ここにいる理由
中庭に駆け込んできたのは、サラさんとドルチェさん。
サラさんは露骨に嫌悪を見せつつ、ドルチェさんは緊張した顔で互いに剣を構えている。
デルタさんの姿がないって事は、今日は非番なのか。
あの人がいれば、こんなのすぐに終わりそうだってのに。
俺の見立てだと、サラさん達はクラウディスさん達二人より実力は上。
だけど、あの男はそれでも一筋縄じゃいかない。何か起死回生の手でもないと……。
そんな事を思っていると、
『鎖の蛇よ。その男を動けなくなさい!』
と、別の部屋の方から、初級魔術の鎖蛇の詠唱が聞こえた。
これ、カサンドラさんか!?
横を見えると、確かに彼女が詠唱を終え伸ばした腕から、勢いよく男に鎖が放たれた。けど、それはあいつに届く前に、まるで打ち消されたかのように霧散する。
「どういう事ですの!?」
驚愕するカサンドラさんに、男が「あっはっはっはっ!」と豪快に嗤う。
「ここについてはちゃーんと下調べが済んでいるからね。初級の術だけしか使えないなら、術消失のアイテムで十分。ま、結構高くついたけど、ミネットちゃんと永遠に愛しあう為だしねぇ」
「くっ!」
にやっと嗤ったあいつに、カサンドラさんの悔しそうな声が聞こえる。
でも、今この場所において、この対策は恐ろしく効果的だ。
それぞれの鍛錬による違いはあれど、初級とはいえ術が使えるのは女子が優位を取れる唯一の手。
それを封じられているって事は、女子として劣勢にしかならない。
この状況……やばくないか!?
「大事な生徒を連れて行かせやしないよ! ドルチェ! いくよ!」
「は、はい!」
彼女達もまた、クラウディスさん達同様に挟撃を狙い前後に回り込む。
その光景に、男は少し面倒くさそうな顔をすると。
「もう、手加減も飽きたし。ミネットちゃんがちゃんと言うことを聞くように、みんな殺しちゃおうっかな」
そう言って、腰につけていた一本の瓶を取り出し、中身をぐびっと飲み込んだ。
瞬間。
「な、なんですか!?」
思わずドルチェさんが震えた声を出したけど。
その理由は俺でもすぐにわかった。
「かぁぁぁぁぁっ! 堪らねえぇぇぇぇっ!」
叫ぶ男の姿が闇に覆われたかと思うと、その姿が変貌していく。
赤くなった目。みるみる本物の狼のようになる身体。
さっきまでの、どこかねちねちとした陰湿的だった口調は、はっきりと迫力をました、より凶暴な言葉遣いに変わっている。
狼人と言っていい姿への変貌。はっきりと強くなった圧に、流石のサラさんやドルチェさんも身じろぐことができない。
っていうか、あれは何をしたんだ!?
召喚術って訳じゃない。ただ何かを飲んだだけで、獣人族がまるで獣に戻ったけど、そんな話は読んでいた書物にもなかったし、両親からも聞いてない。
「何なの、あれ……」
いつの間にか、俺の脇に並んだエスティナも愕然としてる。
って事は、ここ数百年で進化した何かってわけじゃない──なんてどうでもいい。
正直これは只事じゃない。
ここまで露骨な殺意。それはここにいる人達を本気で倒せるって自信の表れでもあるはず……。
それは、俺の背中にも悪寒を走らせた。
『我が魔力よ。力に変われ!』
『私の魔力よ。疾さに変わって!』
咄嗟にサラさんは初級付与術、攻撃強化を、ドルチェさんも同じく初級付与術の敏捷強化を掛けると、
「てやぁぁぁっ!」
「いけぇっ!」
サラさんとドルチェさんは、同時に相手に挑みかかっていった。
二人の連携。それは俺から見ても息が合っている。けど、狼人みたいになったあいつは、攻撃を華麗に避けながら、二人に反撃をしかけていく。
「ぐっ!」
サラさんの腹を掠め、飛び散る鮮血。
その隙を突きドルチェさんが袈裟斬りを仕掛けたけど、まるで見えていたかのように奴はその剣をすっと避け踏み込むと、彼女の腹に膝蹴りを入れる。
「きゃぁっ!」
そのまま彼女の勢いよく吹き飛ばさると、寮の塀に叩きつけられてしまう。
「へっへっへっ! まずはー、こっちかぁー!」
「やらせるかよ!」
そこに追い打ちをかけようとしたあいつの前に立ちはだかり、必死に剣を振るうサラさん。だけど、一撃も与えることができず、攻撃を受ける度に押し込まれていく。
「このままじゃ……」
エスティナの震える声に感じる絶望。
サラさんから流れる鮮血。
中庭で手を出せず、様子を見守るしかできないクラウディスさんも、悔しそうな顔をしてる。
下手に手を出せば足を引っ張り、場合によっては妹を危険に晒す。
そう感じてるのかもしれない。
実際、俺の心にも恐怖が走っていた。
血が流れ、痛みを伴い、何かを失うかもしれない、目の前で起こっている実戦。
恐怖。絶望。
そんな感情が心から湧き上がっている。
だけど、同時に心に浮かんだある言葉が、震えで座り込んでしまいそうな俺の身体を何とか支えていた。
──「いいか? 俺がお前に戦い方を教えているのは、勇者になってほしいからじゃない。お前が本気で誰かを護りたくなった時、戦えるようにするため。だから、稽古だからって手を抜くな」
父さんは、稽古で俺が悔しそうな顔をする度、そう言って発破を掛けていた。
……そうだ。
俺がこの世界に来たのは偶然。
だけど、俺はこの場にいるんだぞ?
それは、みんなが傷つき、殺されるのを見届けるためか?
まだ俺の手が届くんだぞ? それなのに見捨てる気か!?
キィィィィン!
狼人の強い一撃を受けきれず、天高く舞うサラさんの長剣。
「お前は後だ!」
「ぐはっ!」
回し蹴りを食らって横に吹き飛んだ彼女。
そして、心底人を殺せるのを楽しみにした、そんな狼人がドルチェさんに向けたいやらしい笑み。
「さあ、泣き叫びな」
「ああああ……」
舌舐めずりした相手に、怯えた彼女は動けない。周りの生徒達も。
唯一動いていた長剣が、俺の目の前の高さまで舞い上がる。
窓からの光で、一瞬キラリと輝いた剣。
……動け!
俺は窓から飛び出すと、空中で剣の柄を手に取った。
「リュウト!」
悲鳴のような、エスティナの声。
それが止まりかけた世界を動かした。
真下にいた狼人、ミネットさん、ドルチェさんが顔を上げる。
その視線を浴びながら、俺は空を舞ったまま剣を構える。
いいか?
着地は衝撃吸収で十分。
疾風で加速しろ!
父さんに教わった剣術を思い出せ!
素早く、鋭く……行け!
必要な全ての魔法を無詠唱で自分に掛け、滞空したままふぅっと息を吐いた俺は、瞬間空を蹴ったかのように、初級精霊術、疾風を使って勢いよく地面に飛ぶと、全力で狼人の頭めがけ、長剣を振り下ろした。
「なっ!?」
こっちの急な加速に反応し、あいつは咄嗟に素早く後ろに身を引き刃を避ける。
けど、これで終わりじゃない!
地面に足をつけた瞬間、同時に俺は間髪入れず、あいつの懐に踏み込み横薙ぎを振るう。
「ちぃっ!?」
奴は咄嗟に大きく後方に跳躍し避けた。
けど、地面にざっと残った赤き鮮血。それは、俺の剣の切っ先に残る。
剣を振り切ったまま、俺は中庭の中央に戻った狼人に視線を向けると、奴は表情に苦悶を浮かべつつ、空いた手で胸の傷を抑えた。
「何だぁ!? お前は!!」
露骨に恨みの籠もった目で睨んでくる狼人。
その鋭い視線を受けながら、正対して長剣を片手で持った俺は、表情を変えず、無意識にこう答えていた。
「通りすがりの、雑務係です」




