第五話:強気で弱気なお嬢様
「そういえば、カサンドラさんもエスティって呼んでたよね」
ふと思い出した、もう一人の個性的な人物。
俺がその名前を口にすると、エスティナは少し呆れ顔になる。
「あー、うん。あの子、そういう所だけ妙に律儀なんだよね」
「彼女も随分と癖が強かったね」
「でしょ? 確かに良家のお嬢様だけど、それを鼻にかけてるから、一線を引く子も多いの」
やれやれと言わんばかりのエスティナの反応。
やっぱり、あまり反りが合わないのか。
まあ初日の雰囲気でも傲慢さは感じたし、あんな態度を取られたら、気持ちはわかるけど。
「でも、今日のミャウちゃんへの取り乱しようは流石に驚いちゃった」
「あー。あれは確かに。彼女って猫好きなの?」
「そうみたいだね。正直、今まであそこまでの反応をするの見た事なかったから、私も知らなかったんだよね」
俺はエスティナと話をしながら、カサンドラさんがここで犯した失態? を思い返していた。
§ § § § §
「御機嫌よう」
部屋に一人で入ってきた時には、まあ初めて会った時と同じ振る舞いだったカサンドラさん。
金髪をなびかせ颯爽と歩いてきた彼女は、腕を組んだまま、ベッドの上の俺を見下すように見つめている。
「……貴方がまさか、本物の来界者だったなんて……」
あり得ない。
そんな言葉が露骨に似合うきつい顔をしたまま、彼女はじっと俺を見ていたんだけど。
「私の名はカサンドラ。以後お見知りおきを」
ツンツンとした反応のまま、そう名乗ってくれた。
……まあ、好まれていないのは明白。とはいえ、流石に反応しないわけにもいかないもんな。
「龍斗です。その節はご迷惑をおかけしました」
何となく彼女につられ、妙な敬語を口にしつつ頭を下げると、「ふん」という態度で顔を背ける。
……正直、俺も彼女のようなタイプは苦手だし。触らぬ神に祟りなし。ささっと顔合わせが終わらないかな、なんて思っていたんだけど。残念ながら、そうはいかなかった。
「……で、そちらのミャウという子は、本当に猫なのかしら?」
こっちの謝罪なんて気にも掛けず、彼女はちらりとミャウに視線を向けたんだけど……俺はこの時、この先の流れが一通り読めた気がした。
相変わらずクールさを装ってるけど、あの目は間違いなくミャウに興味がある。
そして、あいつといえば……間違いなく怒ってる。って事は、そこから導き出される答えはひとつだけ。
顔を上げたミャウは、カサンドラさんを一瞥した後、ツンっとそっぽを向き、再びベッドで寝る姿勢になる。まるで興味が無いかのように。
その反応に、彼女の表情が固まる。けど、それは怒りじゃなく、どちらかといえば戸惑い。
「……リュウト。私が直々に、その子を撫でてやってもよくってよ」
「カサンドラ。そういうお願いの仕方は──」
「貴女は黙ってらっしゃい!」
上から目線過ぎる一言にエスティナが苦言を呈そうとしたけど、それを一括したカサンドラさん。
ちらりと彼女を見たミャウの目が冷たい。
……あー。
こりゃ、完全にこいつを怒らせたな。
まあいっか。どうせ俺の存在も喜ばれていないんだし。一緒に嫌われ者になっても。
「さあリュウト! 私にその子を撫でさせなさい!」
まるで高らかに歌うオペラ歌手のように、片腕を伸ばし促してきた彼女に対し、
「えっと。ごめんなさい」
俺は素直に断りを入れた。
「何ですって!? この私が直々に、愛でてあげようと言っているのよ!?」
またもあり得ないって顔をする彼女に、俺は苦笑する。
ここまで自己顕示欲が強くて自己中心的な人を、俺は向こうで見た事がなかった。
そういう意味じゃ、漫画なんかで見たような、まるで絵に描いたようなお嬢様だな。
「すいません。ミャウはあなたの応対を見て、気分を悪くし気が立っています。それこそ、手を噛まれたりするかもしれませんので、許可できません」
「この子がそんな気持ちを持っているとは限りませんわ! だいたい貴方に何が分かると言うの!?」
彼女が俺を非難する言葉を投げかけた瞬間。
「グルルルルルル……」
ミャウが顔を上げると、珍しく歯を剥き出しにし、怒りの形相でカサンドラさんを威嚇する。
その反応には、流石の彼女もギクリとした。
「……失礼を承知ではっきり言います。ミャウがここまで気が立っている姿を、俺ですらほとんど見た事がないんです。こんな状態であなたが手を出す事なんて認められません。こいつが、あなたに怪我を負わせてしまうかもしれないから」
真剣な顔でそうはっきり伝えつつ、ミャウをなだめる為に身体をゆっくりと撫でてやる。
流石にそれで俺の考えを理解したのか。流石に威嚇は止め、再び関係ないと言わんばかりに、そっぽを向き不貞寝を始めた。
俺を素直に受け入れているミャウを見ていたカサンドラさんの表情がみるみる内に青ざめ、身体をわなわなと震わせる。
そして……。
「あああっ!」
……その場で泣き崩れた。
って、何で?
俺とエスティナが唖然として顔を見合わせる中、彼女は床をドンドンと叩き、泣きながら叫んだ。
「何故! 何故ですの! 生まれて十六年。私はずっと猫を愛でたいとここまで頑張ってきましたのに! お父様が用意してくださったダリアンも、街中で見かける人懐っこい野良猫も、何故皆私を避けますの!? 私はただそのお身体に触れ、その肌触りや温もりを味わいたいだけですのに! 可愛らしい子にここまで歩み寄れた。それだけでも運命的なミャウ様にすら嫌われるなんて! 神は私にどこまで試練を与えるのですか!? あぁぁぁぁぁぁっ!」
……えっと、これ、リアクションが大きいけど、多分ガチ泣きだ。
実際、床につけた腕に顔をつけ伏せる彼女の腕が、涙で濡れてるし。
エスティナですら、目を皿のようにして驚き固まってたし、本気でこんな姿を見た事なかったんだろう。
多分、心の叫びが口から溢れたに違いない。
そして、それを理解できるからこそ、ミャウも俺に困ったような顔をする。
と。ふぅっとため息を漏らしたエスティナが、泣き止まないカサンドラさんに声を掛けた。
「……カサンドラ。ミャウちゃんはね。リュウトが大好きなの。そんな彼をぞんざいに扱ったら、彼女だって機嫌を悪くするわよ。ね? ミャウちゃん」
「ミャーウ」
まったく、と肩を竦めつつ、同じくミャウの身体を撫でるエスティナ。
そうだと言わんばかりの鳴き声をと共に、それを素直に受け入れているミャウを、涙顔を隠さず、ゆっくりと見上げたカサンドラが悲愴感を溢れさせながら呆然と見つめる。
……ったく。
俺は思わず頬を掻く。
正直、女子寮に男子が来るんだ。嫌われるのは覚悟してたし、カサンドラの毛嫌いする反応も想定内。
だけど、猫好きだけど報われない彼女の話には何となく同情するし、多分ミャウが機嫌を直せば願いを聞き届けてあげられるんだよな。
「……なあ、ミャウ」
俺が声を掛けると、あいつがゆっくりとこっちを見る。
「その……カサンドラさんに、撫でられてやってくれないかな?」
「え?」
俺の言葉に、エスティナとカサンドラが同時に声を漏らす。
多分、俺がそんな事を言うなんて思ってなかったんだろう。
「……お前が俺の事で気分を害して、あんな態度を見せたのは分かってるし、それは嬉しい。けど、彼女の夢のひとつくらい、叶えてやってもいいと思うんだ。ダメかな?」
「……ミャウ」
俺の言葉に、ふっと目尻を下げたミャウがにっこりとすると、俺に擦り寄ってくる。
きっと、いいよって事か。
俺はあいつに微笑み返すと、カサンドラさんを見た。
「カサンドラさん。さっきエスティナが言った通り、ミャウはあなたの俺に対する扱いに怒ったんだと思います。勿論、来界者とはいえ、女子寮に男子なんて望まれてないのも分かってます。だから、俺と仲良くなって欲しいとは言いません。ただ……こいつの機嫌を損ねない程度に、扱ってくれませんか?」
「……そうすれば、ミャウ様は心を許してくださるの?」
……様付けとか、心を許すとか。
ちょっと大袈裟な気もするけど、そこは突っ込むのも野暮かな。
「ミャウが心許してくれるかは、今だけじゃなく、これからのあなた次第だと思います。ただ、今回だけはこいつも大目に見てくれるようなんで、触れる事を許可します。優しく、大事に扱ってください」
俺が安心させるように笑いかけると、彼女は涙を拭いもせず、ゆっくりと屈んだままベッドに近づいてきた。
ミャウはそんな彼女に真面目な顔を向けたまま、その行動を見守っている。
何も声を出さぬまま、ベッドの側まで歩み寄ったカサンドラさんは、恐る恐る震えた手を伸ばすと、ゆっくりとミャウの頭に手を置いた。
その拍子にミャウは一度目を閉じる。でも、そこから暫く動かない手に、再び目を開くと、不思議そうに彼女を見た。
カサンドラさんは、未だ泣いたまま。
だけど、ミャウと目があった彼女は、顔をくしゃくしゃにしたまま、ゆっくりと、愛しむように頭を撫で始めた。
「……これが、猫の感触……」
「……どうですか?」
「凄く、毛並みも良くて、触り心地も良いですわ」
「そうですか。昨日風呂に入ってて良かったな。ミャウ」
「ミャーウ」
思ったより大事に撫でてもらえているからか。
気分を悪くすることなく、俺に返事をするミャウ。それを目の当たりにし、彼女の表情が緩んでいく。
「あの……リュウト様」
「えっと、何?」
……リュウト様?
予想外の呼ばれ方に、思わず言葉を失いかけたけど、戸惑いを誤魔化し何とか返事を返す。
「その……ミャウ様の、に、肉球とやらを、触っても……よろしくて?」
……猫の肉球はこの世界でも人気なのか。
その申し出に内心笑ってしまう。
でも、彼女がそれを触ったらどうなるか。ちょっと気になるかも。
「ミャウ。いいかな?」
俺が念のため確認すると、仕方ないなと言わんばかりの顔で、前足のひとつを前に出し、カサンドラさんの手が届くようにする。
それを同意と判断したんだろう。彼女は頭を撫でていた手をゆっくりとミャウの手の先に持っていくと、そのまま優しく手を摘み、肉球に触れたんだけど。
瞬間……彼女は、溶けた。




