第三話:挨拶
「えっと。こいつ、うちの飼い猫のミャウって言うんですけど。見ての通り、人懐っこい良い奴で、俺にいっつもべったりなんです」
俺が語り始めると、講堂内がまた静けさを取り戻す。
だけど、ミャウのお陰か。俺が怯えてて、恐ろしく見えてしまっていただけか。
今は女子生徒達も、何処か自然にこっちを見てくれていた。
よくよく見れば、エスティナが少し心配そうな顔で座ってるのが見える。
俺はそんな彼女を安心させるべく、自然と笑顔になりながら、話を続けた。
「俺、向こうの世界でこいつがふらふらっと何処か行っちゃって、慌てて追いかけている内に、こっちの世界に飛ばされました。何で飛ばされたのか。どうして転移先が女子寮だったのか。そんなものはさっぱりわかりません。勿論、同じように飛ばされたミャウもきっと同じだと思います。ただ、俺達にもひとつ、わかってる事があります」
そこまで言うと、俺は一旦笑みを仕舞い、胡座のまま背筋を伸ばし、真剣な顔でみんなを見た。
「それは、俺やミャウが皆さんの住む女子寮に現れた時、きっと皆さんに不安や恐怖を与えたって事です」
そこで改めて深呼吸し、自身の心を緊張させないようにする。
「……俺達も、ここに故意に姿を見せたわけじゃありません。だけど、怖がらせたり、不安にさせたのは事実です。みなさん。あの時は、本当にすいませんでした」
そのまま頭を下げると、隣に並んだミャウもまた、同じく頭を下げてくれる。
それに返事はなかったけれど、俺は少しの間頭を下げ続けた後、再び背筋を伸ばし顔を上げた。
「今回、エリス校長のお話にあった通り、俺達は皆さんの住む女子寮で、お世話になる事になってしまいました。この世界の来界者を護る法の下とはいえ、それはきっと皆さんを不安にさせるものだって理解しています。正直、俺もミャウも、不可抗力とはいえ、一度はあなた達を怖がらせた以上、皆さんがそんな気持ちを持つのは最もです。だから、すぐに受け入れて欲しいとか、納得して欲しいなんて言いません」
その場でゆっくり立ち上がり、講堂を見渡して生徒達全員に目を向けた後、きちっと前を向く。
「ただ、俺達も出来る限り、皆さんを怖がらせたり、迷惑になったりしないように気をつけていきたいと思ってます。ですから、これからミャウ共々、よろしくお願いします」
「ミャウミャウ!」
俺は想いを語り切った後、ミャウと一緒に深々と頭を下げた。
訪れた静けさ。
でも、それはすぐ、まばらな拍手によって破られ、それがより大きくなっていく。
ゆっくりと頭を上げると、女子生徒達のほとんどが俺に拍手を向けてくれている。
笑顔の子も多いのを見て、ほっとしつつミャウを見ると、あいつも俺を見上ながら、目を細めていた。
「リュウト君。ありがとう」
エリスさんがそう口にすると、拍手から一転、再び講堂内が静かになった。
「彼には寮母のマナードと共に、寮の共用設備の掃除や食堂での料理など、当面雑務係としてマナードを手伝ってもらいながら暮らしていただきます。勿論、貴女達もお手伝いをする中で、共に行動する機会もあるでしょうから、その時は優しく接してあげてください。それから、この先寮で行動する中で、男子の目に晒される機会も増えます。最近寮内でだらしない格好で行動している生徒がいるという噂も聞きますので、これを機に心を引き締めて行動してください。わかりましたね」
「はい!」
エリスさんの圧に、生徒達がはっきりと返事をしたけれど……これって俺が抑止力って事なんだろうか?
うーん。俺にそんな役割を果たせるほどの事はないと思うんだけど……。
「私からのお話は以上です。では、続きはファミエ先生。お願いします」
「承知しました」
エリスさんが講壇を離れ相手の先生を見ると、ファミエさんって人は眼鏡をくいっと片手で直すと、再び壇上に立つ。
「リュウト君はこちらに」
通りすがりに小声でそう伝えてきたエリスさん。
俺は軽く女子生徒達に会釈すると、そのままミャウと共に彼女に続き、ステージ袖に捌ける。
後ろから聞こえるファミエ先生の話は、正直俺の頭に入ってこない。
どこか疲れた心のまま、教師達の合間を抜け、エリスさんとミャウと廊下に出た直後。
「う……」
その場で目眩を起こし、ふらりとしたのを何とか堪えつつ、しゃがみ込んでしまった。
「ミャウ!」
慌ててミャウが俺の倒れそうな方に回り込み、何とか身体を押し付け支えてくれる。
「大丈夫?」
「あ、はい。すいません。挨拶が終わったと思ったら、気が抜けちゃって」
心配そうなエリスさんに何とか笑顔を返すけど、それが精一杯だった。
正直、今でもあんな挨拶で良かったのかは分からない。
拍手をもらい、笑みを向けてもらっても、結局不安は拭えないから。
「ミャウ。ありがとう。お前が、機転を利かせてくれなかったら、俺、何も出来なかった」
切れ切れの息を誤魔化しつつ、そのまま寄りかかるようにあいつを抱きしめる。
ほんと、あれがなかったら、本気で俺はあそこで何も出来ずに終わる所だった。
でも、何とか、本音を話せてよかったな。
ミャウの温もりを感じながら安堵していると。
『慈愛の神サレナよ。その恩寵にて、彼の者を癒やし給え』
エリスさんの優しげな、落ち着いた詠唱が耳に届いた。
上級治癒術、心命の癒やしか。
生命力も精神力も回復させ、かつ状態異常も回復させる万能な治癒術。
結局俺の疲労も心の疲労。だから、精神力を癒やす事で回復できると踏んだんだろう。確かに、それのお陰で俺の荒い息も、クラクラしていた頭も一気に落ち着いていく。
「すいません。ご迷惑をおかけして」
「いいえ。こちらこそごめんなさい。貴方にとって、そこまでの心労を掛けるかもしれないという配慮もできず、安易に挨拶をお願いしてしまって」
「いいんです。俺がお受けしたんですし。それに、彼女たちの理解を得るなら、拙くても自分の言葉で話すべきかなって思っていたんで」
少しずつ楽になっていく気持ちと共に、俺は自然に笑い返す。
結局、この先の生活で彼女達と共同生活をしないといけないってなるなら、やっぱり自分がちゃんと意思を伝えないとって思ってたし。
ただ、慣れない環境で、笑っちゃうくらい緊張しすぎてたけど……。
まだ、どこか心配そうなエリスさん。
その表情に、俺はふっと笑う。
「……やっぱり、似てますね」
「え?」
「あ、いや。心配したりする顔が、母さんにそっくりなんです」
「ああ。これでも、姉妹ですからね」
「はい。お陰ですごく安心できます」
俺はミャウの頭を優しく撫でた後、ゆっくり立ち上がる。
珍しくきょとんとしたエリスさんは、くすりと笑うと、こんな事を言ってきた。
「それなら、私も少しは母親のように振る舞わないとですね」
「あ、すいません。そういう意味じゃ……」
「わかっています。ただ、私も息子夫婦を随分前に亡くし、エスティナも孫娘。貴方相手に子育ての懐かしさを知るのも、良いかと思っただけです」
少し困った顔をした俺に、あの人は悪戯っぽく笑うと、
「この後は女子寮に向かいます。では、行きましょう」
そう言って、また俺を先導するように歩き出した。
「ミャーウ」
ミャウはそんなエリスさんの反応を見た後、俺に顔を向け「やっぱり似てるね」と言わんばかりに笑う。
「ほんと、よく似てるよ」
俺達は笑いあった後、母親の面影を追い、ゆっくりと歩き出した。




