第十一話:明日からの事
「あ、はい。今行きます」
俺は咄嗟に返事をすると、席から立ち上がる。
「時間みたいだし、行こうか」
「あ、うん」
急に会話に水を差されたせいか。エスティナが強い戸惑いを見せてるけど、迎えが来ちゃったんだし仕方ない。
彼女は慌てて、テーブルの紅茶のセットを片付け始めたけど、それだと時間が掛かるよな。
「エスティナ。それは一旦そのままにしとこう。デルタさん達を待たせてもいけないし」
「あ。そ、そうだね」
……何だろう。
さっきまでと違って、随分とおろおろとしている気がするんだけど……。
「ミャウ?」
ミャウもそんな異変が気になったのか。
エスティナを見上げると、思わず首を傾げる。
「あ、うん。何でもないよ。ごめんね。気を遣わせて」
彼女は笑みを見せながらミャウの頭を撫でたけど、何処か表情が硬い。
……うーん。
やっぱり、俺が変な事を聞いたせいかもしれない。
でも、大丈夫って言ってるのに、変に心配したら余計気を遣わせちゃうよな。
「よし。じゃ、二人共。行こう」
「うん」
「ミャウ」
俺は敢えて気にしない素振りをすると、彼女達を先導するように、扉に向け歩き出した。
§ § § § §
よくよく考えると、中学や高校で制服を着るのに、採寸してもらった事はある。
だけど、あれはもうどんな制服かは決まっていて、サイズ合わせをするだけのもの。
だから、まさかこの採寸から、色々デザインの話に派生するなんて思わなかった。
勇者と賢者の息子だろうが、向こうじゃただの高校生。デザインについて学んでいたわけじゃないんだけど……。
仕立て屋の女性は、俺やエスティナから色々とアイデアを聞き出そうと頑張ってくれたんだけど、正直俺はあまり良いアイデアもなくって。
結局、俺は今着ている学ランっぽさのあるデザインでアレンジして欲しいってお願いして、後はエスティナに任せる事にした。
きっと彼女の方がこういうのは慣れてると思うし、こういうやり取りはやっぱり落ち着かないしさ。
その後、仕立て屋さんが持って来てくれた、出来合いの下着や肌着、パジャマなんかから自分の物を見繕っていたんだけど、その肌触りの良さには驚いた。
いや、向こうの世界でもシルクとか肌触りの良いものなんてほとんど経験がなかったのもある。
けど、何より一番の驚きは値段だった。
「ちなみにこれ、お幾らなんですか?」
って聞いたら、
「そちらの肌着は一着七ゴルダン程にございます」
なんてさらりと返された。
……確か以前、この世界について母さんに質問した時に聞いたのは、一カパンが最も価値が低い硬貨で、百カパンが一シルバン。百シルバンが一ゴルダンだったかな。
で、一般的な宿の宿泊が二十シルバン。
魔法が付与された武器なんかでやっと一ゴルダンだったはず。
……たかが肌着なのに、めっちゃ高価。
恐れ多くなって、エスティナに、
「えっと、こんなに高価なの、選んでも本当に大丈夫?」
なんてびくびくしながら尋ねたんだけど。
「お祖母様があなたの為に呼んだんだし、気にしなくて大丈夫だよ」
彼女はそうさらりと笑顔で返してきて、これが貴族の世界なんだなって、開いた口が塞がらなかったっけ。
§ § § § §
昼食を済ませた後は、城から戻ったエリスさんからの申し出で、二人きりで話をする事になった。
ミャウをエスティナに任せて、俺は朝エリスさんと会った部屋の応接用のソファに向かい合わせで座り、色々と話を聞いた。
女子寮で暮らす事は了承された事。
但し、最低半年はそこで暮らさなければならない事や、女子寮で問題を起こす事があれば、来界者であっても罪に問われ、場合によっては牢獄に幽閉される事もある事。
女子寮内での行動は、多少は自由もあるものの、女子寮から出る時には付き添いが必須となる事、などなど。
生活するにあたっての色々な注意事項について説明があったんだけど。
それらを一通り聞き終えた後。
「……ここから先の話は、頭の片隅に置いておいてちょうだい」
エリスさんは真剣な顔で、こんな事を言い出した。
「リュウト君。貴方の現状には、不可解な点がふたつあります」
「不可解な点、ですか?」
「ええ。ひとつは来界者となった経緯です。貴方は、異空嵐を知っているかしら?」
「あ、はい。この世界と向こうの世界が一時的に繋がってしまう、天魔変動ですよね?」
天魔変動。
いわゆる、魔力の強い歪みみたいなものだ。
具体的な仕組みは俺もわからないけど、この歪みが起き、俺の住んでいた現代とこっちの世界が少しの間繋がってしまう事象で、その魔力の歪みが起こる時に風が強くなったり雲行きが怪しくなる事から、異空嵐って名前が付いたって聞いた。
確か、父さんがこっちの世界に飛ばされたのもこれだったし、エスティナをこっちの世界に帰す為に、両親がその発生を予知したのもこれだったはずだ。
まあ、運が悪ければまったく起こらない事もざらだし、自分達が住む近くで起きるとも限らない。だからエスティナは相当運が良かったって、当時二人は言ってたっけ。
「ええ。リュウジさん達が現れたこの世界の危機があって以降、来界者が現れる時には、必ずこの異空嵐が起こりますが、近年は事前に発生場所を予知できるまでになりました。その為、ここ百年ほどは、各国の者が事前に異空嵐の発生予測地点に出向き、来界者が現れるか観測するようになったのです」
「つまり、先回りできるって事ですか?」
「そういう事です」
……あれ?
そこまで聞いて、俺は素朴な疑問を覚えた。
確かに、俺も異空嵐を見た事がある。
エスティナが倒れてたのを見かけたのも、急に天候が悪化した時だったし、彼女を送り出す時だってそうだった。
だけど、俺の時は違う。
森に入っていたとはいえ、風が強くなったとか、そういう変化は感じなかった。
それに予知できるってなら、俺が女子寮に姿を見せる可能性も予知できたはずだよな?
「それって、俺は今までの来界者と違う現れ方をしたって事ですか?」
俺が問いかけると、エリスさんはこくりと頷く。
「勿論、以前は予知なんてできなかったからこそ、貴方と同じように現れた来界者がいた可能性もあります。けれど、最近はそういった話もなかった。だからこそ、貴方がそれだけ特異な現れ方をしたとも言えるのです」
……特異な現れ方、か……。
「それともうひとつ。貴方の連れているミャウという猫。あれは召喚獣ですよね?」
「あ、はい。って、エリスさんはわかるんですか?」
「これでも大賢者と呼ばれていますから。貴方達の魔力の繋がりは感じとれますよ」
ほえー。
確かに母さんも凄いイメージがあったけど、その妹さんなだけあるな。
普通じゃ目に見えない、そんな物で感じ取れるなんて。
「リュウト君。貴方も気づいていると思いますが、ミャウは召喚獣として異質ですね?」
「……はい。俺が物心付く前に、俺が召喚したって聞きましたけど。あいつは召喚獣なのに、一度も俺に召喚を解除されてないです」
「そう。召喚獣を呼び続けるには魔力を消費する。だからこそ、召喚術師ですら永続的な召喚なんてできません。ですが貴方は、それを成している」
そこまで口にしたエリスさんは、一度小さくため息を漏らすと、再び俺をじっと見た。
「この二つの事実は、もしかするとリュウジさんと姉様の血を引くからこその、特異な物なのかもしれません。ただ、他の来界者とは違う、何か使命のようなものがあって、こちらに来た可能性も捨てきれません」
じっと俺を見ていた彼女は、目を伏せる。
何処か申し訳なさそうな顔をして。
「貴方の選択は自由。そして、平穏に暮らしたい気持ちも尊重します。ただ……」
「わかってます」
俺が病気になった時に母さんが見せた憐れみの表情と同じ顔をされ、思わず安心させようと自然に微笑んでしまう。
「俺、両親のように凄い存在じゃないですけど、俺なりにできる事もあると思ってます。それに、エリスさんやエスティナが哀しみ、絶望するような姿は見たくないので。もしもの時には、何かしか決断できるようにしておきます」
「……ごめんなさいね」
「気にしないでください。こっちも色々助けられてますんで」
俺の笑みが崩れないのを見て、エリスさんも小さく笑ってくれる。やっぱり、その方が安心だ。
まあでも、確かに何処か不自然な異世界転移だとは思ってた。
薄々それに気づいていたからこそ、あまりショックはない。
まあ、結局どっちにしたって、まずはこっちの世界で暮らしていかないとだし。やれる事をやるだけだから。
§ § § § §
豪華過ぎる夕食を終えると、エスティナはデルタさんと共に、馬車で寮に戻って行った。
何でも、女子寮では申請していない外泊は認められないんだとか。
校長の血縁でもダメってのは意外だったけど、例外を作ると色々揉めるからかもしれないな。
その後、部屋に備え付けられた巨大な風呂を堪能した俺とミャウは、さっきの部屋に戻ると、互いにベッドでごろりとしていた。
俺は買って貰ったパジャマ姿。
ミャウは勿論普段通りだけど、二日ぶりのお風呂だったから、毛が前よりふさっとしてる。
まあ、図体は大きくなったから、エスティナの代わりに付いてくれていたメイドさんと、大きなタオルで一所懸命に拭いて乾かしてやったんだけどさ。
昨日ので味を覚えたのか。
今日も既に、俺の枕になると言わんばかりに陣取られたので、俺はあいつを枕にしつつ、暗い部屋を照らす、窓から入る月明かりを眺めていた。
昨日と打って変わった豪華過ぎる生活。
これが明日には女子寮になるんだろ?
正直めまぐるしくって、頭がまだ付いてこない。
エリスさんやエスティナのお陰で、少しは気分も楽になった。
なったけど……。
「はぁ……」
エスティナ、好きな人いるのか。
何気にそれが一番ショックだった。
でも、気落ちなんてしてられないよな。どうせ俺はいつか、向こうの世界に帰るんだし。
……彼女の恋、叶うといいな。
うん。せめてそれくらいは見届けよう。
その為にも、女子寮とはいえ頑張って生活していかないと。
正直切なさで胸が痛い。
けど、きっと明日からの大変さで、すぐ忘れられる。
そう自分に言い聞かせながら、俺はミャウに半分顔を埋め、ゆっくりと眠りに付いたんだ。




