第九話:恩返し
「あのね。私達と一緒に、女子寮で暮らさない?」
「え?」
エスティナの予想外の言葉に、俺は思わずきょとんとする。
「いや、だって。俺なんかがいたら、女子寮の人達に迷惑がかかっちゃうだろ?」
「そんな事ないよ。確かに昨日はあなたの事情を知らなくって、みんなも侵入者だって思ってたから冷たかったけど。きっと本当のリュウトを知ったら、ちゃんと受け入れてくれると思う」
「だけど、結局女子寮に住むことができても、俺はどう過ごせばいいかも分からないし……」
「でしたら、あなたには女子寮の雑務係をしてもらいましょう」
戸惑いながらそう返すと、エリスさんが妙な提案をしてきた。
「寮の共用設備や廊下の掃除。食堂での料理の準備などは、今は寮母であるマナードと自発的に協力してくれている生徒有志で協力してやっています。貴方も是非それをお手伝いなさい。そうすれば生活に意味も生まれますし、少しは気も紛れるでしょう」
「まあ、それはそうかもしれませんけど……本当にいいんですか?」
確かに俺としては、ただ女子寮の部屋に籠もっているより全然いいかもしれない。
だけど、そもそも一緒に暮らしたくないとか、止むなく一緒に暮らすとなっても、部屋から出てきてほしくないって思う女子も結構いるんじゃないか?
そんな不安かおずおずとそう尋ね返したんだけど、エスティナはそんな俺に笑顔を見せた。
「うん、いいと思う。お城じゃ何もしてあげられないけど、女子寮だったら私が色々手助けもしてあげられるし、みんなの仲介役もできるもん。それに、この世界を知ってるって言っても、来たのは初めてでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「だったら、私が街を案内したり、この世界について色々教えたりもできるし。ね?」
エスティナはもう、これで決まりってくらいの笑みで話してくるけど……。
本当にいいのか?
俺はすぐに受け入れて良いのか迷い、すぐに返事をできなかった。
冴えない顔をした俺に何かを感じたのか。
彼女は突然目の前に立つと、真剣な目で俺の両手を取り、互いの胸の前に持ってくる。
「リュウト。私はあなたの世界に飛ばされたあの日、すごく不安だった。でも、あなたはそんな私を凄く励ましてくれたし、元気づけてくれたでしょ? 私、今でもあの時の事、本当に感謝してるの」
そこまで口にした彼女は、ぎゅっと俺の手を握ってきた。
「だから……今度は私が、あなたに恩返しをしたい」
昔と同じ、澄んだ瞳のエスティナ。
彼女は手から感じる温もりと同じように、熱のこもった視線を向けてくる。
俺はそんな彼女を見つめたまま、少しだけ顔が熱くなった。
いや、だって。
今までの人生で、女の子にこうやって目の前で話をされた事なんてほとんどないんだぞ?
昔、エスティナを助けた時、こんな距離感で感謝されたことはあったけど。
俺の足りない語彙力じゃ、美少女って言葉でしか表現できないほど、可愛くなっていた初恋の人。
そんな彼女にここまでの事をされているのは、十分恥ずかしいわけで……。
でも、同時にそこまで感謝してくれて、そこまで俺の為を想ってくれている。
それはとても嬉しくって、心が別な意味で温かくなっていく。
「ふふっ。思いやりのある所も、リュウジさんそっくりね」
と、俺達の様子を伺っていたエリスさんが、俺達に微笑み掛けてきた。
「こちらから選択を迫っておいて申し訳ないけれど、私も同じ意見です。城で重用されれば、それはきっと貴方を別な意味で苦しめます。それであれば、歪な環境であっても、貴方の想いが叶い、貴方を知り協力できるエスティナのいる女子寮をお薦めします。勿論、男子だからこその苦悩はあるでしょうけど、貴方ほどの誠実さがあれば杞憂でしょう。いかがかしら?」
……確かに、エリスさんの言う通りかもしれない。
城で暮らす。
それはきっと、女子寮で暮らすのとは別の悩みや苦しみもあるはずだし。
俺を知る人がいないって事は、味方になってくれる人すらいない可能性もあるわけで。
そう考えたら、色々不安も多いしみんなに迷惑をかける可能性もあるけど、エスティナがいてくれる女子寮の方が助かるのは間違いないもんな。
「……ミャウ。お前は女子寮暮らしでもいいか? もしかしたら、みんなに触らせてって、ねだられるかもしれないけど」
「ミャーウ」
俺があいつを見ると、まるで仕方ないと言わんばかりの顔をしている。
でも、嫌そうな顔はしていない。きっとエスティナもいてくれるのが嬉しいんだろう。
俺はそんなミャウに笑い返すと、改めて彼女を見た。
「エスティナ。その、色々と迷惑をかけちゃうかもしれないけど。俺とミャウの、力になってくれるかな?」
「うん! 勿論!」
俺がそう伝えると、彼女はぱぁっと嬉しそうな笑顔を向けてくれる。
それがより気恥ずかしさを加速させたけど、俺は何とかそれをごまかしながら、彼女にはにかんでみせた。
§ § § § §
俺は改めて、エリスさんに女子寮で暮らすと伝え了承を得ると、そのまま家で朝食をご馳走になりながら、今後の話を聞いた。
今日だけは特別に、この屋敷で一泊する事になったんだけど。
本日中にエリスさんが国への報告と諸手続きを済ませ、翌日学園での全校集会にて、改めて俺が来界者だった事。そして、法に従い女子寮の雑務係として一緒に生活すると伝え、晴れて俺が女子寮での暮らしが始まる事になると説明を受けた。
その後はエリスさんの希望で、俺が知る限りの両親の事を話して聞かせた。
両親の話を聞き、彼女は過去を懐かしむような穏やかな顔で、その一部始終を聞いていた。
スマートフォンで撮っていた二人の動画なんかも見せてあげると、そこから聞こえる両親の笑顔と声に、また涙ぐんでいたけど。
流石にそこは見ない振りをしておいた。
でも、そんな穏やかな彼女の顔はやっぱり母さんに似ていて、こっちに来てまだ二日しか経っていないのに、少し元の世界が懐かしくなったのはここだけの話だ。
§ § § § §
食後の一服も終えると、エリスさんはそのまま城に出向くという事で、俺とエスティナは、デルタさんに客室に案内された。
今の俺は制服を始め、着の身着のままの服しか持ち合わせていない。
そんな俺の為に、服を仕立ててくれるって話のようで、仕立て屋がやってくるまでの間、部屋でミャウと一緒に待つ事になったんだけど。少ししてすぐ、一度自室に戻って着替えてきたエスティナが、紅茶の準備をして俺の部屋に遊びに来てくれた。
「ふんふんふーん」
ベッドの側にあるテーブルで、鼻歌を歌いながら上機嫌でお茶の準備をするエスティナ。
床には既に、ミャウのためのミルクを淹れた大皿を置いてくれている。
俺は準備ができるまで、ミャウとベッドの上で彼女を見ていたんだけど……正直、着替えてきた彼女は、今まで泊まった事のない豪華な部屋の凄さすら忘れさせるほどに可愛かった。
後ろ髪を結って束ねた所に大きなリボンをつけて、服装も制服じゃなく、お嬢様らしい清楚な服装に変わってる。
それはさっきとまた印象が違って、俺をドキドキさせていた。
必死に落ち着こうと、ミャウの身体を優しく撫でてごまかしていると。
「リュウト。ミャウちゃん。準備ができたからお茶にしよう」
彼女は俺達に笑みを向けてきた。
「ミャウ!」
待ってましたと言わんばかりに、先にベッドから降りると勢いよく駆け出し、テーブルの脇に付いてミルクを舐め始めるミャウ。
残された俺は、そんなあいつのがめつさに苦笑しつつ、ベッドを降りるとエスティナが座る席の反対に腰を下ろした。
テーブルには紅茶と一緒にお茶菓子であるクッキー。そして、それぞれの前には美味しそうなケーキが置かれている。果物の形は違うけれど、苺のショートケーキっぽい感じかな?
「それじゃ、いただきます」
「どうぞ。召し上がれ」
彼女に促され、俺はフォークを手に取ると、ケーキを切り分け口に放り込む。
果物は甘い香りに偽りなし、というほど芳醇な甘さ。それを周囲の甘すぎないクリームがバランスよく整えていて、これはこれで凄い美味しい。
「これ、凄い美味しいね」
「でしょ? ファランって果物を使ったケーキなんだけど、私も大好きなんだ」
俺の素直な感想に、エスティナは嬉しそうな顔をすると、同じようにケーキを口に頬張る。
瞬間、美味しさに蕩けそうな、満足げな顔をする彼女に、つられて俺も笑う。
昔俺の家で、ケーキをご馳走した時に見たのと同じ光景に懐かしさを覚えつつ、俺はもう、こんな機会なんてないと思っていた、エスティナとの会話を楽しむ事にしたんだ。




