皇帝陛下に絶対選ばれたくない
「苑家の娘、苑翠玉、十八歳」
宦官の言葉を受けて前に進み出た。
跪いて礼儀正しく挨拶をする。
「ごきげん麗しゅう、陛下。ごきげんよう、皇太后、皇后娘娘」
つとめて声を低くし、あまり顔が見えないように俯いた。
「好きな花は?」
「皇太后にお答えします。花は好きではありません」
「……なぜ?」
「ただ色のついた草に過ぎないからです」
「……そう、変わってるのね」
お花を愛でるくらいしか娯楽のなさそうな時代に、この発言。
皇太后は興覚めしたようだった。
年配の人は変わり者を受け入れないものだし、失礼にならない程度に嫌われることに成功したようだ。
だが、陛下は口を開いて「近くへ来い」と言った。
―――他の人にはそれ言ってなかったのに?
「……陛下のご命令よ」
すぐ動かずに居たら、皇后に注意されてしまった。
不機嫌そうな顔をしているし、これで皇后にも嫌われることができたのではないだろうか。
「面を上げよ」
言われた通り顔を上げ、陛下と目が合った。
若き皇帝とは聞いていたけれど、本当に若い。
まだ二十歳くらいの美丈夫だ。
自意識過剰だと思われるかもしれないけれど、分かる。
目の前の男が私の顔を見て、どのように感情が動いたかを。
「皇帝よ、どうしたの」
黙り込んでしまった陛下に皇太后が尋ねる。
「……驚いた。しかしこのような美女、前もって余の元に届けられた姿絵には居なかったぞ」
そうだった。
姿絵の替え玉問題があるのだった。
「苑翠玉の姿絵を持って来い」
陛下が太監に命じる。
(ええ!?わざわざ持ってきて確認する気!?)
そこまでする?興味ありすぎじゃない?
絵なんて参考程度に眺めて終わりだと思っていたのに、この場で本人確認のようなことをするのだろうか。
姿絵を描いてもらった時は妃選びは不参加で済ませるつもりでいたので、こうなる事態をあまり考えていなかった。
私は緊張のあまり、背中に汗をかいてきた。
太監はすぐに戻ってきた。
巻物状になっていた絵を広げ、陛下達によく見えるように掲げる。
「……似ていませんね、母上」
「ええ、特に目など、別人に見えるわ」
「そうですわね」
高貴な三人が、私の絵を見て口々に言っているのが聞こえる。
いや、それは完全に別人なので……。
とは言えず、言葉を失う。
落選するのはいいけれど、替え玉がバレたら陛下達を怒らせて罰を受けてしまうだろう。
おそらく家族も巻き添えになるし、それは避けたい。
上手い言い訳を考えていた時、背後から男性の声がした。
「絵描きの腕が悪かったのでは?」
声の主は太監の服を着ていない。
仮にも後宮に関する行事に宦官以外の男が関わることが許されるのだろうか。
私はその声に聞き覚えがあり、顔を確認する。
横の方でくくった髪に、何を考えているのか分からない糸目。
先日の、絵描きだった。
「……妃選びの最中ですよ、場をわきまえなさい」
皇太后が言うが、さほど怒っている感じはしない。
「下手な絵描きに、どんな罰を?」
「……唯一同腹の弟を罰したりはせぬ」
絵描きの言葉に、陛下が答えた。
皇帝の弟……?
ということは、先帝の皇子様?
(なぜそんな人が絵描きとして屋敷に来たの……?)
小説でそんな設定あったっけ?
いや駄目だ思い出せない……。
「しかし僕は絵が達者なはずなのに、なぜそんな出来になってしまったんでしょうか」
おかしいなーと、絵描き改め皇帝の弟が呟く。
そして、私に向かって意味ありげな笑みを見せてきた。
まさか替え玉の件を報告するつもりではないかと心配したが、その様子はなかった。
ただ楽しそうに笑うだけだ。
(もしかして、この人、私が困っているのを楽しんでるの?)
性格悪っ。
でもこの人の乱入で話の流れが変わったのは確かだし、正直助かった。
「……絵のことはもういいでしょう、苑翠玉、あなたの特技は?」
皇太后が妃選びを再開させる。
「と、特技ですか?」
「名家の令嬢なら楽器の先生くらいつけてもらうでしょう」
絵から話題がそれたのはいいけれど、まだ落選できたわけではない。何て答えようか。
さっき姿絵の件で焦りまくってしまったせいで、良い考えが思い浮かばない。楽器、楽器……。
琴とか笛とか適当なこと言ってみようか。でも、もう嘘のせいで後で困るのもイヤだし……。
嘘はつかない、でも、令嬢としてこの場に居る以上何もできないとは言えない雰囲気だ。
あ、そうだ。
ここの誰も知らない楽器ならどうだろう。
最初に頭に思い浮かんだのは、特に習い事をしていない人でも小学校の授業やカラオケで鳴らしたあの楽器。
「……タ、タンバリンでございます」
「……それはどのような楽器なのだ」
陛下が問う。
「じ、実際にはございません。私の想像上のものでございます」
しん、と静まり返る。
―――すべった?呆れて落選させてもらえるかな?
しかし、次の瞬間皇帝の笑い声が響く。
「そなたの頭の中だけにある楽器か、それは面白い!」
え、めちゃくちゃ笑うじゃん……。
「苑家の娘か、確か兄は仕官していたな。だが」
「え、はい、先の戦で行方不明に。父母はもう戻らないものと思い葬式もあげました」
これは蘭児に聞いていた話だ。
「しかし皇帝よ、私は……」
皇太后はなんだか不満そうだ。
(その調子で、私を落選させて下さい!!)
私は縋るような思いで皇太后を見つめた。
「そなたの兄は武勇で国に貢献したのだな。……その妹を冷遇する訳にはいきませんね、母上」
「……皇帝がそう思うのなら、決めるといいわ」
皇帝の言を聞き、皇太后が折れる。
皇后は二人に意見することはしないようだ。
「苑翠玉を後宮に迎え入れる」
皇帝の言葉を聞いて、跪いた体勢から崩れ落ちる。
「感激のあまり動けなくなったか?しかし次の者達が来てしまうから今日は帰るといい。そなたが入宮したら真っ先に会いに行こう」
望みもしないのに選ばれたことで衝撃を受け、愕然とする私を都合よく解釈した陛下はゆるく微笑みながら言った。